メモリアル会が、悲しみをひとりにしない理由
大切な人を亡くしたあと、
悲しみを抱えながら過ごしている方は少なくありません。
けれど実際には、その悲しみを誰かと話す機会はあまり多くありません。
葬儀の時はたくさんの人が集まります。
四十九日や一周忌までは、親族が顔を合わせることもあります。
しかし時間がたつにつれて、故人の話をする機会は少なくなっていきます。
周囲も気を遣い、
「もう落ち着いた頃だろう」
と思うことがあります。
そのため、
本当は話したいことがあっても口にできなくなる方もおられます。
私はアメリカのお寺で長年、多くの法要に関わってきました。
年回忌法要のあとには、
家族や友人が集まり食事会を開くことがよくありました。
お寺の多目的ホールを使い、
写真を飾り、
花を飾り、
故人が好きだった音楽を流す。
想い出の物をそれぞれ持ち寄ったり。
テーブルには好物だったお菓子や飲み物が並びます。
お弁当を用意するご家族もいれば、
サブウェイのサンドイッチをケータリングするご家族もいました。
どれも豪華な会ではありません。
けれど、その人らしさが感じられる温かな時間でした。
そして印象的だったのは、
皆さんが故人の思い出をたくさん話されることです。
「こんな失敗をしたことがあったよね」
「旅行先でこんなことがあった」
「この料理が大好きだった」
そんな話が次々に出てきます。
時には涙ぐむ方もいます。
けれど、それ以上に笑顔がたくさんありました。
私はその光景を見るたびに、
悲しみは話してはいけないものではないのだと感じていました。
亡くなった人のことを話すことは、
過去に戻ることではありません。
その人が生きていた証を、みんなで確かめる時間なのだと思います。
死別の悲しみは、
一人で抱えていると重く感じることがあります。
「あの時こうしていればよかった」
「もっと話したかった」
そんな思いが心の中を何度も巡ることもあります。
けれど誰かと故人の話をすると、
同じ思い出を共有する人がいることに気づきます。
自分だけが覚えているのではなかった。
自分だけが悲しんでいるのではなかった。
そう感じられるだけでも、心は少し違ってくることがあります。
私はこれまで多くの死別の悲しみに触れてきました。
その中で感じるのは、
人は悲しみそのものよりも、
悲しみを一人で抱えることに苦しむことがあるということです。
だからこそ、
故人のことを安心して話せる場所には大きな意味があります。
亡くなった人の名前を口にする。
思い出を語る。
笑ったことも、後悔していることも話してみる。
そんな時間は、
悲しみを消すためではなく、
大切な人とのつながりを確かめる時間なのかもしれません。
メモリアル会には、
悲しみをなくす力はありません。
けれど、
悲しみをひとりにしない力はあるように思うのです。
大切な人を思い出し、
その人の名前を口にする。
一緒に笑った出来事を話す。
伝えたかったことを語ってみる。
そんな時間を誰かと分かち合うことで、
悲しみを抱えながら生きる力を受け取ることがあるのかもしれません。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!