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悲しみとともに生きる365日   #015蝉の声が少なくなったことに気づいた朝

今朝、外に出たときのことです。

何かが違うような気がして、足を止めました。

暑さはまだ残っています。

陽射しも、夏のままです。

それなのに、少し静かでした。

しばらくして、その理由に気づきました。

蝉の声が少なくなっていたのです。


ついこの間まで、

朝になるとあちらこちらから聞こえていた声が、

今日は遠くから途切れ途切れに聞こえてきます。

毎日聞いていたはずなのに、

「昨日から減った」

とは言えません。

いつからだったのかも分かりません。

気づかないところで、夏は少しずつ姿を変えていたのでしょう。


人の心にも、こういう変化があるように思います。

大切な人を亡くしたあと、

最初の頃は、

昨日と今日の違いなど考える余裕もないことがあります。

朝が来て、

一日を過ごし、

夜になる。

ただそれを繰り返すだけで精いっぱいだったという方もおられます。


私はこれまで、多くの方の悲しみのお話を伺ってきました。

その中で、ときどき、

「いつからか分からないんです」

という言葉を聞くことがあります。


いつから少し眠れるようになったのか。

いつから一人で買い物へ行けるようになったのか。

いつから、その人の名前を口にしても、

言葉を続けられるようになったのか。

何か特別な出来事があったわけではありません。


昨日までできなかったことが、

今日突然できるようになったわけでもない。

ただ、暮らしの中で、ごく小さな変化が積み重なっていたのです。


けれど、その変化に気づいたとき、戸惑うこともあります。

あんなにつらかったのに。

あれほど毎日泣いていたのに。

どうして今日は、普通に一日を過ごしているのだろう。

心が少し静かになったことを、素直に受け取れない日もあるでしょう。


けれど、人の気持ちは、

ずっと同じ場所にいるわけではないのだと思います。

近くにあったものが、少し遠くなることがあります。

反対に、ずっと遠くにあった記憶が、

何かをきっかけに急に近くなる日もあります。

それは、一直線に変わっていくものではありません。


今日、穏やかに過ごせたからといって、明日も同じとは限らない。

何年も経ってから、思いがけないところで涙が出ることもあります。

その揺れを繰り返しながら、

人はその人がいない日常を暮らしていくのではないでしょうか。


今朝の蝉も、すべていなくなったわけではありません。

耳を澄ませば、まだ鳴いています。

ただ、真夏の頃とは聞こえ方が違いました。


季節には、はっきりとした境目がありません。

夏から秋へ変わる瞬間を、私たちは知ることができません。

気づいたときには、風が変わり、

日の暮れる時間が早くなり、

あれほど賑やかだった蝉の声も遠くなっています。


悲しみの中を生きる時間にも、境目はないのかもしれません。

いつから変わったのか分からなくてもいい。

変わったことに、すぐ意味をつけなくてもいい。


ただある朝、

「少し違うな」

と気づく。

そのくらいの変化でいいのだと思います。


遠くで鳴く蝉の声を聞きながら、

過ぎていくものと、今もここにあるものを、

しばらく静かに感じていた朝でした。

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