#016 コメ検定5級・蟷螂パニック
講義録 『コメ検定5級』
弥生時代の稲作についてです。
弥生人たちは試行錯誤しながら、
農業技術を発展させていきました。
以下の内容は、私の中では
コメ検定5級(超初級・入門編)です。
これを知らずに毎日ご飯を食べるのは、
少しもったいない。
コメ好きなら、ぜひ知っておきたい知識です。
という設定で授業を開始します。
ここは入試頻出事項です。
初期には湿田が利用されていました。
田下駄を履き、
ぬかるみを踏みしめながら、
木鍬や木鋤による耕作が行われていました。
田植えの方法も、
まだ整ったものではありません。
種を直接まく直播と、
苗を植える田植えが併存していたとされます。
収穫には石包丁が用いられました。
稲は穂首から刈り取られていました。
これを「穂首刈り」といいます。
ここで注目したい点があります。
現代の稲刈りが「根元」から刈るのに対し、
なぜ「穂首」からだったのかということです。
授業では生徒に質問してみます。
なぜ根本ではなく、穂の部分から刈ったと思う?
「根本から刈ると腰が痛くなるから。」
「藁が必要なかったから。」
「鳥に食べられないように急いで穂だけ刈った。」
なるほど…。
意外と鋭い答えもあります。
私が用意している答えは2つ。
1つ目。
収穫具は石包丁だったため、
現在の包丁のような鋭い切れ味はなかった。
そのため、硬い根元を刈るのではなく、
柔らかい穂首部分を摩擦で擦り切る必要があった。
2つ目。
稲の生育がバラバラだったと考えられています。
そのため、実った穂から順に収穫していった。
イチゴ狩りを思い浮かべるといいと思います。
熟したものから摘み取っていくように、
稲も実った穂から収穫していた可能性があります。
収穫された稲は、
「ネズミ返し」のある高床倉庫へと運ばれました。
代表例としてよく知られているのが、
静岡県登呂遺跡です。
やがて時代が進むと、鉄器が導入されます。
農業はさらに効率化していきました。
鉄製の刃を持つ農具が使われるようになり、
田は湿田から、排水設備を備えた乾田へと変化。
そして、収穫方法も変わります。
鉄製の農具と生育が安定したことから、
硬い根元から一気に刈り取られるようになります。
いわゆる「根刈り」です。
選びながら刈る農業から、まとめて刈る農業へ。
この変化は、生産力を大きく高めました。
生徒たちは…
弥生時代の農業技術の進歩に興味がなさそうです。
眠そうな生徒が多い。
コメ好きな私の怒りに触れます。
「弥生人に謝れ。」
「コメ検定なんか受けさせない。」
「お前ら、今日はコメを食べるな。」
「パンを食べろ。」
自分で授業を壊してしまう単元です。
まだまだです。
余談 『蟷螂パニック』
稲作の思い出です。
毎年、祖父の家に連れていかれました。
春の田植えと秋の稲刈りの手伝いです。
「手伝い」というよりも「勤労動員」でした。
少年であっても、
しっかりと労働力として数えられます。
それが稲作です。
田植えの時期。
祖父の田んぼの中で、
不思議な生き物に出会いました。
オタマジャクシからカエルへと変わる、
その途中の姿です。
手足が生え始めた、
あの何とも言えない幼体。
理科の授業で見たものが、
手の中にありました。
「成長」というものを、
あれほど実感したのは初めてでした。
稲刈りの季節。
稲穂の周りには、
もう一つの収穫物がありました。
蟷螂(カマキリ)の卵です。
あの、泡のような塊です。
ご存じでしょうか。
収集癖のあった私は、
それを見つけては、
ポケットに入れて持ち帰りました。
この時点で、
結果はほぼ決まっています。
数か月後…。
忘れたころにそれは起きました。
孵化です。
ある朝…。
コタツの中から、
数百匹のカマキリの群れが一斉に動き出しました。
まさに地獄のような光景です。
母は悲鳴を上げ、
次の瞬間には掃除機が動き始めました。
吸い込まれていく小さな命を、
ただ黙って見ていることしかできませんでした。
ポケットに入れて持ち帰った卵が、
いつの間にかコタツの中へ落ちていたのです。
卵を落としたことなど、覚えていませんでした。
しかし…これで終わりではありません。
数日後…
父の愛車から
掃除機の音が聞こえてきました。
ポケットに入れていた別の卵か……。
どうやら車内に落としていたようです。
狭い車内を、数百匹のカマキリの群れが、
うじゃうじゃと動き回る。
父は黙ってハンディクリーナーを手に取りました。
さすが農家の息子です。
静かに吸い込まれていく、小さな命。
父に怒られる準備しながら、無言で見つめました。

命とは何か。
生き残るとはどういうことか。
そのすべてを、掃除機の音で学びました。
カマキリ騒動まで含めて、
祖父を手伝った日々は、今懐かしい思い出です。
よく家族で思い出しては笑った話です。
そんな記憶の中でも、
一番心に残っているのは、
親戚一同で田んぼのあぜ道に腰を下ろし、
みんなで食べたおにぎりです。
硬めに握られた米。
汗をかいた体にしみる塩。
何より「みんなで食べる」という時間。
あの味は、はっきりと思い出せます。
忘れられないのではありません。
体が覚えているのです。
仕事終わりに飲むビールと互角の味でした。
そんな幸福感があるからこそ、
弥生人もまた、
米に価値を見出したのだと思う。
ただ腹を満たすためだけではない。
皆で働き、
皆で収穫し、
皆で分け合う。
その時間ごと、共有できる食べ物だった。
だから人は、田んぼに集まる。
だから村が生まれる。
だから、社会ができた。
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