ストレスの流れを変えるルートとは?〜中医学やその他の視点から考える③〜
昔の人は、
受けてしまった悲しみや怒りを、
どう処理していたのだろう。
そんな事を考える。
中医学では、
ストレスや感情は、
“流れが止まることで居着く”
と考える。
最初はただの疲れや違和感でも、
考え続ける。
抱え込み続ける。
吐き出せない。
そんな状態が続くと、
少しずつ身体の中に残っていく。
だから昔の人は、
「抱え続けない工夫」
を、 生活の中に持っていたのかもしれない。
私は、 その一つが僧侶の存在だったのではと思っている。
説法には、 物事の捉え方を少し変える知恵があった。
「こう考えてもいい」
という視点を貰うだけで、
人は少し呼吸ができるようになる。
そして、 集団で唱えるお経にも、 意味があった気がしている。
声を出す。
呼吸を合わせる。
一定のリズムを繰り返す。
それは、 頭の中で固まっていた感情を、 少しずつ外へ流す作業にも見える。
20年くらい前、
中国へ短期留学に行った時の事を思い出す。
当時の私は、
大きなため息。
人前でのゲップ。
痰を吐く。
仕事の合間の昼寝。
大きな声で話す。
そういう姿にかなり驚いた。
日本では、 「行儀が悪い」 と思われそうな事が、 もっと自然に外へ出ていたからだ。
でも最近は、 あれも一種の
“溜め込まない文化”
だったのかもしれないと思うようになった。
もちろん、 良い悪いの話ではない。
ただ、 身体の反応を、 無理に全部押さえ込まない。
感情も、
エネルギーも、
ある程度は外へ逃がしていた。
中医学が 「滞り」を嫌う理由も、 少し分かる気がした。
日本は逆に、
静かに我慢する。
空気を読む。
感情を抑える。
方向に強く働きやすい。
だからこそ、 知らないうちに、 身体の中へ溜め込みやすいのかもしれない。
今は、 辛い事があっても、
「迷惑をかけちゃいけない」
と、 一人で抱え込む人が多い気がする。
でも本当は、 人は“流せなくなる”と崩れていく。
だから大切なのは、
👉 ストレスを無くすこと
より、
👉 “居着く前に流すこと”
なのかもしれない。
面白いのは、 流れを変える最短ルートは、 意外と「考えること」ではないところ。
例えば、
ため息を許す。
肩を下げる。
少し歩く。
お茶を飲む。
身体を揺らす。
そんな小さな事で、 身体の流れは変わり始める。
逆に、 止まったまま考え続けると、 身体も感情も固まりやすい。
中医学では、 ストレスの滞りは、
胸郭の硬さ
首や肩の緊張
下腹部の縮こまり
のように、 身体の“ブレーキ”として現れると考える。
だから、 まず少し動かす。
深呼吸を頑張るより、
肩を下げる。
無理に前向きになるより、
少し歩く。
すると不思議と、 呼吸の方が勝手に変わり始める。
結局、 流れを変える最短ルートは、
👉 「考えるのをやめて、少しだけ動く」
ことなのかもしれない。
そして、 ここでいう「静」は、
ただ止まることではなく、
👉 “身体が安心して緩める状態”
に近い。
だから人によっては、
静かな散歩や、
湯気の立つお茶を眺める時間の方が、
ようやく身体が休める“静”になるのだと思う。
続く
