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日記:虫がすき。蚕の繭の刺身をたべた。

虫がすき。すき、を更に細分化すると、私は蟲をおそれていて惹かれている。

福田亨作、木彫りの蝶と水滴。https://fukudatoru.com/worksより引用。

【食】のマガジンを参照していただくと、私が【人生で一度も食べたことがない食】を好むことが分かる。要するに奇食のたぐい。

でも虫食はしたことがない。
タケムシ(バンブーワーム)のスナック(東南アジアや中国南部でよく食べられている)を口元に持って行って、2分ほど静止したけど、食べられなかった。リタイアした。なぜか、個人的な忌避感が虫に対して発揮された。

横浜シルクアーモンド(カイコの繭からつくられるシルクパウダー)というお菓子は食べた。※味はミルク臭く、シルクパウダーの含有量は少ない。
虫の副産物は食べられる。だって蜂蜜食べてるし。

「まゆ刺し」 | 昆虫食TAKEO|を食べた。カイコの繭の刺身だ。
味はほぼなかった。クラゲっぽい。醤油もつけずに生で食べてみたが、店員さんが説明してくれた「かすかな桑(蚕の餌)の香り」は感じ取ることができなかった。
虫食を嗜まない人間にとって、なにより見た目が受け入れやすい。透けた白は清らかな印象を与える。
虫への忌避感があるとしたらそれは後天的な刷り込みだろうことも、味も栄養素も申し分ない食材であることもわかっていても、やはり虫の羽!頭!脚!をぼりぼり食べるのには無意識にストッパーがかかる。
まゆ刺し、おいしい。食べれてうれしい。

「一般的な繭は、絹(シルク)の原料となるフィブロインが75%、その周りを覆うセリシンが25%という2つのタンパク質からできています。しかし、今回まゆ刺しで使用してるセリシン繭は、フィブロインが1.5%、セリシンが98.5%という特別な繭なのです。」

やばくて新しい昆虫食。その名は「まゆ刺し」 | 昆虫食TAKEO|通販から実店舗、製造、養殖、研究までより引用
浅草


■冬虫夏草は食べた。(▹参照投稿https://note.com/wasurenasai/n/n8456092d51ee?sub_rt=share_sb

■ミドリムシ(ユーグレナ)は食べられる。動物でも植物でもなく、両方の特徴を持つ独自の生物。

上記から考えると、私のOK・NGラインは【虫の卵から成体に至るまですべて食べられない。虫から生み出されたもの(蜂蜜、繭)、虫を養分にしたもの(冬虫夏草)、虫か曖昧なもの(ミドリムシとか?)は食える。】という感じで現状引かれているらしい。なるほど。

無理して食べる気はない。いずれこのラインが崩れたら食べるかもしれない。私は私をよく理解しておきたくて現状確認しているだけだ。虫を食べられるようになったら人生の選択肢が増える。食べられないままでも、この飽食の時代で当分困ることはない。

あらゆる乱読をしてきたので、グロゴア耐性はあるのだが、【虫の産卵】に類するような表現がもっとも総毛だつ。
でもすき。だからすき。すきの反対は無関心であり、私の虫への思いは、目を両手で覆い隠しながら、そっとその指の隙間から覗き見るような爛々とした興味だ。おぞましい、と思う瞬間もあるし、美の結晶と思う瞬間もある。
おそらくだけど、【虫の産卵】への畏れは、【自分が生殖機能を持つ存在である】ことへの畏れに近いんじゃないかな。


父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね
僕は父を見た。父は続けた。
友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。
そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは----。
父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。

----ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体----

『I was born』吉野弘 「現代詩文庫」思潮社

下記の教科書サイトが検索で引っかかる。時期を詳しくは覚えてないが、学校で習ったと思う。この詩が私の原初の虫へのイメージなのかもしれない。
I was born 吉野弘|334国語総合(現代文編)|教科書単元リンク集・高等学校|東書Eネット

象も蟻も、命の個数としては『1』だ。でも象はちょっと叩かれても大丈夫だけど、蟻はちょっとしたことですぐぷちゅっと潰れてしまう。あっけない生命。小さい命は、生命の密度が高いというか濃縮されてる感じがこわいんだ。カマキリの卵鞘を潰したら、一気に200から300の命をkillすることになる。そのように考えると途方もない感じがする。虫って固いんだか柔いんだか分からないのも、私を惑わせる。ねえ?蝉は硬いけど、中は空っぽですぐ潰れる。トンボは捩じ切れて、カブトムシはひしゃげる。
命っぽいうえに機械っぽいところも怖い。猫や鳥はまだ愛着というか〝なつき〟の片鱗を感じられるけど、虫は食って生殖して種に尽くして、本能に従って動く軍隊のような感があるからだ。私も究極的にはそのような産む機械なのかもしれないという可能性を見つめなくちゃいけなくなるから。

まあそんなこと言いだしたら全生物がそうなのだけど、私にとって象徴的なのが虫ということなんだろう。
でもすきだ、虫。畏ろしく思うということは、その時点で既に魅入られているということだ。美しいものはこわい。『無意味なものと不気味なもの』(春日武彦著)にも虫への恐怖に関する記載があった。おすすめします。

こうまで書くと私が妊娠、および女体に畏れを抱きすぎている印象になるので、女性讃歌としてすきな一節も引いておきます。

美くしき手を持つ人は、美くしき顔を持つ人よりも少ない。美くしき手を持つ人には貴(たっと)き飾りが必要である。
女は燦(さん)たるものを、細き肉に戴(いただ)いている。

夏目漱石 野分

本編からここだけ切り抜いてしまうと少し印象が違うかもしれないけど。
女は燦たるものを、細き肉に戴いている。
よい一文だと思います。実感がある。


さて、話を虫に戻します。
『虫』、『美』のワードでまっさきに思い浮かぶのは個人的には玉虫厨子 だ。あいにく本物を見たことはないんだけれど。もっとも有名な虫のアートってなんだろう。

(虫めづる美術家たち | 芸術新聞社公式サイトを近々読む気でいる。)

あと、ブローチハムシとかもジュエリー扱いされた虫だ。構造色が約一世紀を超えても輝き続けるのは、鳥の標本でもそう。インターメディアテクで、身は崩れても羽が鮮やかに輝き続けている鳥の標本を見たことがある。

2023年7月22日~9月18日に開催された、虫めづる日本の人々サントリー美術館の展示には行った。表題の通り、虫に関する美術展だ。

日本美術の特色のひとつとして、草木花鳥が古来大事にされてきたことが挙げられます。そして、それらと比較すると小さな存在ではあるものの、虫もまた重要なモチーフでした。現代において昆虫と分類されるものだけでなく、例えば、蜘蛛、蛙、蛇などの、うごめく小さな生き物たちも虫として親しまれ、物語や和歌、様々な美術作品に登場します。特に蛍や、鈴虫などの鳴く虫は愛好され、深く物語と結びついていた様子が源氏絵や伊勢絵などから伝わってきます。また、草花や虫を描き吉祥を表す草虫図が中国からもたらされ、中世から長く日本で珍重され、多くの絵師たちにも影響を与えました。
江戸時代に入ってからは、本草学の進展や、古画学習、俳諧などの文芸の影響を受けて、草虫図という範疇には収まらない多彩な虫の絵が生み出されます。そして、江戸時代中期以降には、虫聴や蛍狩が娯楽として市井の人々に広まり、やがて江戸の年中行事となりました。この文化は近代、現代においても受け継がれています。日本の虫めづる文化は、長きにわたって育まれてきましたが、大衆化が進んだ江戸時代をピークのひとつとすることは出来るでしょう。
そこで、本展では特に江戸時代に焦点をあて、中世や近現代の「虫めづる日本の人々」の様相に触れつつ、虫と人との親密な関係を改めて見つめ直します。

虫めづる日本の人々 サントリー美術館

どの展示もしみじみ美しいな、チケット代の甲斐はあるなと思ったものです。サイトに飛ぶと一部作品が見れます。

台湾旅行で、かの有名な『翡翠の白菜』(台北の国立故宮博物院に展示されている翡翠彫刻の「翠玉白菜」)を見れなかったのが心残りなのだけど(白菜は人気で他館への貸出が多く故宮博物院にないがち)、
思えばあれにもバッタとキリギリスが彫られている。あの虫がいるから、あの白菜は余計に瑞々しくうまそうに見える。

虫の詩かそけきものの声音を愛す - 小泉八雲記念館 | Lafcadio Hearn Memorial Museumの展示にも行きたかったが行けなかった。虫の小説というとカフカを思い出してしまいますが、あれは実際の虫というよりは抽象の虫だから。

最近だと昆虫 MANIAC 国立科学博物館特別展が話題を呼んだ気がしますが、行きそびれてしまったな。展覧会:養老孟司と小檜山賢二の虫展 | 東京都写真美術館も行けてない。全然行けてない。かなしい。

取り留めもなく書いてしまいましたが、最後におすすめ書籍の紹介と引用で終わります。

『虫の文学誌』(著/奥本大三郎

引用元https://fabre.jp
引用元https://www.shogakukan.co.jp/books/09388706

読書の喜び La joie de lire……03
第1章 むしめづる人々――宇宙の豪奢を覗き見る小さな窓……15
第2章 『百虫譜』――虫の日本文学・文化総説……53
第3章 トンボ――日本の勝虫、西洋の悪魔……75
第4章 ハエとカ――文武文武と夜も眠れず……107
第5章 スカラベ・サクレ――太陽神の化身……141
第6章 ホタル――鳴かぬ蛍が身を焦がす……169
第7章 ハンミョウとツチハンミョウ――毒殺の虫……189
第8章 マツムシ・スズムシ・コオロギ――暗きところは虫の声……209
第9章 飛蝗――数も知られぬ群蝗……263
第10章 ハチとアリ――働き者の社会……295
第11章 ノミ・シラミ・ナンキンムシ――馬の尿する枕元……321
第12章 チョウとガ――てふの出て舞う朧月……359
第13章 セミ――やがて死ぬけしきは見えず……403

目次

しかし、昆虫の魅力について、もっとも美しい、瞑想的、哲学的な文章は、同じドイツの作家エルンスト・ユンガー(1895~1998)の作品中にある。ユンガーの『小さな狩』から、ある部分は意訳しながら引用させていただく。彼は、さまざまな生物好きの人々を列挙した後で、こう述べるのである。
どういう生物に特に深い愛着を抱くようになるか――それは、生物の分類上の位置などによって決まるのではなく、愛好者の側の選択と観察によるのである。束の間の現象の海の中の、まさにそこで、波が光を反射してきらめいたのだ。そしてまさしくここに、宇宙の豪奢を覗き見る小さな窓が開いたのである。
(拙訳、ただし、エルンスト・ユンガー『小さな狩ーある昆虫記』山本尤訳人文書院を参考にした)

p41

古代中国人は、後に述べるように(第10章)、ジガバチには雌がおらず、そのため、子孫を絶やさぬようにイモムシ、アオムシなどを見つけると、それを穴の中に取り込んで養子にするのだと考えた。
その時穴の中でハチがジジジジと麺音をたてる。それを昔の人は、「象我、象我」(日本では「似我、似我」、つまり「我が形になれ」と呪文をかけていると聞いたのである。それ故日本ではジガバチ(似我蜂)と名を付けたという。これは中国の俗倍に始まる迷信が日本に伝わったもので、『詩経』にこのハチのことが謳われている。

「聞き做(な)し」という言葉がある。鳥や虫の声に人の言葉をあてはめて解釈することである。外国には、鳥の声の聞き做しはあるが、虫の聞き做しは少ない。日本の場合、ツクツクボウシの声を「筑紫恋し」と聞いたり、「(夏の去るのが)つくづく惜しい」と聞いたりしている。
ついでに言えば「蜀魄」はホトトギス。ツクックボウシの風情は、朧月をかすめて鳴くホトトギスにも劣らぬというのである。

欧米では、ハチを人間の都合で以下のように分類する。
ミツバチのように善いハチ/bee(ビー)
スズメバチのように恐ろしいハチ/hornet(ホーネット)
人を刺すだけの、普通のつまらぬハチ/wasp(ワスプ)
である。ホーネットなどはアメリカ空軍の戦闘機の名に使われている。フランス語ではそれが順にabeille frelon、 guepe(アベイユ、フルロン、ゲープ)となる。

p296


ちなみに、蟲、と書くと蟲ではなく動物の総称になる。
蟲毒、と聞いたときにイメージする壺の中にサソリとかも紛れてないか?サソリは昆虫ではないが、蟲ではある。

古代中国の論文集から、
・羽蟲は羽をもつ動物の総称
・毛蟲は毛をもつ動物の総称
・甲蟲は甲羅をもつ動物の総称
・鱗蟲は鱗をもつ動物の総称
で、裸蟲は人間のことらしいです。(!?われわれは裸蟲だったのか)
羽蟲の長は鳳凰、毛蟲の長は麒麟らしい。

へー。もう少し勉強したい。

今回は取り留めもなく以上。







余談:清澄白河でワイルドシルク体験!<ワイルドシルクミュージアム>|平野 - 深川くらし
シルク博物館(横浜)
気になる。
前者は、口コミによると蚕の幼虫が動いてるのを見れるし成虫も見たい時は予約の際に電話かメールでお伝えしたらいいようだ。

余談:以下サイトも面白いです。
虫の雑学 -- 公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会 --


おまけ:魚津水族館の爬虫類コーナー(昆虫ではなくとも蟲の範囲で)

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