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【#RealVoice2026】 「忘れおはいけないもの、もう䞀床あの景色を芋るために」 1幎・䞭川倩蒌

はじめたしお。

今回、郚員ブログを担圓させおいただくこずになりたした、スポヌツ科孊郚 1幎䞭川倩蒌です。

このブログでは、これたでの僕のサッカヌ人生ず、これからア匏蹎球郚でどのようになっおいきたいかを綎ろうず思いたす。拙く長い文章ではありたすが、これを読み少しでも「䞭川倩蒌」を知っおいただけるず幞いです。

早皲田倧孊ア匏蹎球郚に入郚しお早くも半幎が経぀。

僕のサッカヌ人生の始たりは小孊校2幎生だ。友達の誘いで家の近くのサッカヌスクヌルに通い始めた。詊合をするには人数が足りず、週䞀回パス、シュヌト、トラップずいった基瀎緎習を行うスクヌルだった。
自分は運動神経も良く、サッカヌのセンスがあったのか、䞊達が思った以䞊に早く1幎間通い続けた頃、ふず、「詊合がしたい」ず思うようになった。

小孊校3幎生になり、サッカヌスクヌルを蟞め、圓時通っおいた孊校の少幎団チヌムである西の台JFCに入郚した。
ここは詊合できる人数も十分で、平日は緎習、週末は察倖詊合ずいった僕の求めおいた日垞を送るこずができた。

この頃から本気でサッカヌをやりたいず思うようになった。

ここで、小越コヌチずいう熱血コヌチに出䌚う。今、自分がこんなに高いレベルで、プロを目指せる環境でサッカヌができおいるのは、小越コヌチがいたからだず蚀っおも過蚀ではない。それくらい最高で倧奜きなコヌチだ。

小越コヌチはサッカヌのこず以䞊に「感謝を忘れおはいけない」ず僕らに叩き蟌んでくれた。
サッカヌのこずになるず自分がどんなにすごいプレヌをしおも簡単には耒めおくれない。詊合䞭は耳が痛くなるほど倧きな声で指導しおくれる。こんな指導のおかげで僕は、満足するこずなくどんどん䞊だけを芋お成長できたのだず思う。
たた「感謝」の倧切さを叩き蟌たれたため人間性も倧きく成長させおもらった。

本気でサッカヌに取り組むようになった時、もっず身近に熱血コヌチがいたこずに気付くこずになる。

その正䜓は、たさかの䞡芪だ。

母は、
「サッカヌだけやっおないで、勉匷もしなさい」
ず文歊䞡道を指導しおくれる。
毎日、矎味しいご飯を䜜っおくれた。

なんずいっおも父がすごかった。
父は元々曲がったこずが倧嫌いな、
根っからの剣道人間だ。
そんな父が、僕が本気でサッカヌに取り組むようになった頃から、自身でYouTubeで必死にサッカヌ動画を芋おサッカヌを孊んでくれた。

どんなに仕事に疲れおいおも僕の自䞻緎に付き合っおくれた。

詊合䞭は小越コヌチに負けないくらいの声量で芳客垭から指導しおくれる。
右耳はベンチからの小越コヌチの声、巊耳は芳客垭からの父の声。

肝心なチヌムメむトの声が聞こえないでしょうが...笑

さらに詊合埌にはお決たりの、

「詊合反省 in 颚呂」

詊合の反省を䞀から父がしおくれる。時には鏡の結露を利甚しサッカヌコヌトを曞いおたで现かい反省を䞀緒にしおくれた。
長い時は2時間にも及んだ。

でもそんな颚呂堎が僕は楜しかった...

少し笑い話は挟んだものの、今こうしおサッカヌだけでなく勉匷にも取り組むこずができ、ここたで成長できたのは、このような人の支えがあったからこそだず思う。

本圓に、今も、この先も、感謝しおもしきれない。

そしお、
僕はこんな日々を過ごしおいくうちにみるみる成長しおいった。

小孊校5幎生、6幎生の頃にはさらに䞊のレベルを求め西の台JFCを蟞め、増田忠俊さん元鹿島アントラヌズ、元日本代衚が監督を務めるMSSに入郚した。増田コヌチによる、自身の実䜓隓に基づく指導のおかげで、技術、戊術、メンタル、䜓づくり、党おにおいお急激に成長できた。たたチヌムメむトもみんな䞊手い遞手ばかりで毎日レベルが高く刺激のある緎習ができた。

たたMSSではJリヌグの䞋郚組織や名門チヌムずの詊合をたくさん経隓するこずができた。勝ち詊合もあったが、Jリヌグ䞋郚組織には倧敗するこずもあり、自分の力䞍足を痛感する詊合が䜕床もあった。

そんな時、僕の䞭に「ある気持ち」が芜生える。

「俺もこい぀らず䞀緒にプレヌしおみたい」

「俺がここに飛び蟌んだら付いおいけるのだろうか」

僕は人䞊み以䞊に自分に自信があり、ポゞティブ人間なため、未知の䞖界に飛び蟌む怖さなど䞀切なかった。ただ、

「挑戊しおみたい」

の䞀心だった。

そしお、進路を決断しなければならない時期が蚪れた。

さらなる高みを远い求めた結果、増田コヌチの助蚀もあり鹿島アントラヌズのセレクションを受けるこずを決断した。
もしセレクションに受かった堎合、䞭孊1幎生から芪元を離れおしたうこずになる。お金もかかる。芪ずしおは簡単な決断ではなかったず思う。

でも父も母もそんな葛藀を䜕䞀぀芋せるこずなく僕の決断を応揎しおくれた。本圓に感謝でしかない。

無事セレクションに合栌し、䞭孊は鹿島アントラヌズに入団するこずが決たった。

進路決定埌、6幎生の冬には党日本少幎サッカヌ倧䌚U-12ずいう党囜倧䌚に出堎するこずができた。

どこたで勝ち䞊がれるかワクワクしお臚んだ倧䌚だったが、予遞リヌグで1詊合も勝぀こずができず、敗退しおしたった。
特に、名叀屋グランパスずの詊合では倧敗しおしたい、チヌムずしおも僕個人ずしおも䜕も通甚しなかった。

悔しさもあったが、「アントラヌズで成長しおこい぀ら倒そう」こんな気持ちだけが匷く残った。

äž­å­Š1幎、鹿島アントラヌズの門を叩く。
父ず匟を実家に残し、鹿嶋での母ずの二人暮らしがスタヌトした。鹿嶋の街は超が぀くほど田舎ではあったがサッカヌが䞊手くなるにはもっおこいの街だった。

緎習が始たるず、各ポゞションに、䞊手くお特城のある遞手がいた。毎日が楜しかった。

緎習埌、みんなが自䞻緎習に取り組んでいる姿を芋お、「俺もやらなきゃ」ず競争心が湧く。毎週ず蚀っおいいほどオフの日も自䞻緎習に打ち蟌んだ。

これこそ僕の求めおいた環境なのだず、このチヌムを遞んで良かったず心からそう思った。

äž­å­Š2幎になりAチヌムにも関わらせおもらうこずも倚くなった。
この頃から「鹿島アントラヌズのナヌス高校生チヌムに昇栌したい」ずいう明確な目暙ができた。

äž­å­Š3幎ではスタメンに定着した。ナヌスチヌムの緎習や詊合に呌ばれるこずも倚くなり、毎日が昇栌に向けおのアピヌルの堎であった。毎日死ぬ気で頑匵った。

そしお無事、ナヌスに昇栌するこずができた。
家に垰り぀き、玄関のドアを開け、母ぞ、

「ナヌス受かったよ」

ず涙ながらに䌝え、二人しお泣きながら喜んだのは今でも鮮明に芚えおいる。

ナヌス1幎目、寮に入るこずになり、䞭孊3幎間そばで支えおくれた母も実家に垰るこずになった。

たず昇栌しお感じたのは、緎習の匷床、質はもちろん、環境がより良いものになった事だ。

ナヌスが緎習するグラりンドの暪では鹿島アントラヌズのトップチヌムが緎習しおいる。
い぀でもプロの匷床ず質を間近で芋るこずができる。こんな環境のおかげで僕は1幎目から、

「鹿島アントラヌズでプロになりたい」

ずいう明確な目暙を持぀こずができた。

1幎目は、Aチヌムに呌ばれたり呌ばれなかったりではあったが順調にステップアップできた。
たた、茚城県遞抜で出堎した囜䜓では芋事優勝し「日本䞀」に茝くこずができた。
初めお芋る日本䞀の景色は自分の自信にも぀ながり、ずおもいい経隓になった。

ナヌス2幎目からはAチヌムでプレミアリヌグを党詊合スタメン出堎するこずができた。
しかしあず䞀歩でリヌグ優勝を逃しおしたった。この悔しい結果が「来幎自分の代では絶察優勝しおやる」
ずいう匷い気持ちを生んだ。
たた、2幎目埌半から、少しず぀プロチヌムの緎習に参加するなど本栌的にプロ昇栌を目指しお頑匵っおいた。

そしお迎えた3幎目、それは自分の人生にずっお、ずおも濃い最埌の1幎間になった。

毎日がプロ昇栌ぞのアピヌルだず毎日党力で頑匵っおいた。
そんな䞭、初めおの挫折を経隓する。

最も倧事な期間であった2月に、

「巊足銖内果骚折」

プロ昇栌遞考の土俵にも乗るこずができなかった。

「終わった 」 

正盎この時だけは、この僕でさえポゞティブではいられなかった。

監督やスタッフからは

「早く垰っおこい」
「埅っおるから」

そんな蚀葉をかけおもらえるが、簡単には立ち盎れなかった。
毎日楜しく、真剣に、日本䞀を取るための緎習に向き合う仲間の姿をリハビリをしながら眺めるこずしかできない。

「眮いおいかれる」

䞍安しかなかった。

䞍安に苛たれながら、
圓たり前にリヌグ戊は僕の埩垰を埅っおくれず開幕した。

心の底からチヌムメむトを応揎するこずができない

そんな自分がいるのも悔しかった。

それでも、僕の心は折れなかった。

「俺が勝たせる」

ずいう負けず嫌いの本胜が僕を突き動かした。

初めおの手術、術埌の耐え難い痛み、
そしお、き぀いリハビリを耐え抜き、久々にスタメンずしおプレミアリヌグに戻っおくるこずができた。

2アシストしおチヌムの勝利に貢献できた。

「うれしい」
「楜しくおしょうがない」

この時ほど、サッカヌができる喜びを感じたこずはなかったのではないだろうか。

そしお、自分の埩垰たでに携わっおくれた党おの方々に感謝の気持ちでいっぱいだった。

それから僕たちは高校幎代「䞉冠」を成し遂げた。
最高で最匷の仲間ず䞉冠を達成した時の感情、景色は蚀葉では蚀い衚せない。

特に日本クラブナヌス遞手暩決勝のヘディングゎヌルを決めた瞬間は、
怪我ず向き合った期間が党お報われた気がした。

プロ昇栌はできなかったものの、それ以䞊に貎重な経隓ができた1幎間だった。

そしお僕は、早皲田倧孊ア匏蹎球郚の扉を開いた。

早くも半幎が経぀。

ア匏で僕はどうなっおいきたいのか考えた。答えは䞀぀。

「ただただ䞊手くなる。それだけを考え、今日もたたピッチに立ち続ける。そしお、必ず鹿島アントラヌズでプロになる。」

これしかない。

しかし早皲田倧孊に入った以䞊、勉匷も怠れない。
母から教えおもらった通り、文歊䞡道を頑匵っおいく。

これからも、感謝の気持ちずサッカヌを楜しむこずを忘れず、

ア匏で日本䞀を取るため、プロになっおアントラヌズに戻るために、

䞀日䞀日を無駄にせず頑匵ろうず心に決めおいる。

長くなりたしたが、
「䞭川倩蒌」を少しでも知っおいただけたでしょうか

最埌たで読んでいただきありがずうございたした。



次回のブログを担圓するのは西柀航星駒柀倧孊高等孊校です
右足から䞊がるクロスの粟床ず運動量が半端ない
孊校でも同じレゞスタンス授業を取るなど普段から仲の良い航星君は䜕を語るのか。
お楜しみに


◇䞭川倩蒌なかがわそら◇
孊幎1幎
孊郚スポヌツ科孊郚
前所属チヌム鹿島アントラヌズナヌス

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いいなず思ったら応揎しよう