【映画レビュー】フィフス・エレメント|ブルース・ウィリスに一度も撃たせませんから。
今年最後の映画レビューは、バカ映画で締めくくろう。
リュック・ベッソン監督の『フィフス・エレメント』は、ブルース・ウィリス像を意図的に解体した稀有な一本だ。
結論から言えば、この映画は「ダイ・ハード的凡人ヒーロー」も「暗黒ウィリス路線」も一度封印し、最後は“超常的な愛”に丸投げする物語である。
1.ヒーロー不在のブルース・ウィリス
主人公コーベン・ダラスは、かつてのエリート軍人でありながら、現在は無気力なタクシー運転手。巻き込まれ型であるものの、戦う意思は薄く、正義感や使命感もほぼ感じられない。
これが『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンが「やるしかない」と腹を括るのに対し、ダラスは世界が滅びても関わりたくない男として描かれる。ヒーロー以前の存在だ。
2.銃撃戦は後半まで封印
本作のウィリスは、前半は逃げ、そして振り回され、ようやく後半で銃を手にする。しかし無双感はなく、戦闘は断片的で、主役感は終始ミラ・ジョヴォヴィッチ演じるリールーに奪われる。
観客が期待する「銃を撃つブルース・ウィリス」は、意図的に焦らされる構造になっている。
3.クライマックスは“愛”で終わる
世界を救う最終手段は、銃でも爆弾でもなく、愛を受け入れること。ダラスの役割は、敵を撃ち抜くことではなく、愛を言葉にしてリールーを支えることだ。
『デスウィッシュ』や『ジャッカル』の暴力的解決とは真逆の、最も非ブルース・ウィリス的なラストである。
4.異常世界を眺める“常識人”
ダラスは世界を動かさず、ただ振り回される観測者として機能する。ゲイリー・オールドマンの俗物的な悪役、ルビー・ロッドの過剰な変態性、政府や神父たちの欲望まみれの言動、極彩色ばかりの宇宙人、電話通信を行うミスター・シャドー…。これらの異常さは、銃を撃たずに困惑するダラスを通じて、観客が安全に笑えるコメディとして成立する。
5.総括:ブルース・ウィリス像の一時的解体
『フィフス・エレメント』は、
• ダイ・ハード的庶民ヒーローを停止
• 暗黒ウィリス路線を排除
• 愛を受け入れる中年男へと変換
という構造で、ブルース・ウィリスをヒーローではなく観客席の中央に座らせた。
物語はガバガバでSFとしては低偏差値だが、異常な世界を“玩具箱”として楽しませるスペクタクル・コメディとして唯一無二の存在感を放つ。
21世紀初頭ブルース・ウィリスを「撃つ男」として消費する前に、一度だけ撃たせなかった映画――それが『フィフス・エレメント』である。
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