母を送る日々
母は5月28日に千葉で亡くなった。御戒名は菩提寺である静岡市のお寺でつけてもらい、葬儀は6月6日に千葉で行ったのは以前の記事に書いた通りである。しかし葬儀が終わってからもいろいろとやることがあるのだ。
葬儀の際には、礼服などを持ってかみさんの実家のある神奈川まで車で行き、そこから小田急線と地下鉄千代田線で千葉方面に向かったので、手荷物が多く、帰路は御骨を持ち帰ることはできなかった。
それで6月の14日に、妹夫婦が千葉から新幹線で静岡に御骨を運んでくれた。いただいた供花や写真、肖像画などもあるのでかなりの荷物になるのだが、すっかり世話になってしまった。最寄り駅まで車で迎えに行き、二人とかみさんを乗せてわが家に辿り着くと、御骨や遺影や白木の位牌、供花などを祭壇に安置することができ、ほっとした。運んでもらったことに感謝である。安置したあとは、四人で会食に出掛け、本当は逆だが、私の伊豆文学賞受賞のお祝いということで、美味しい寿司をご馳走になってしまったのであった。まったく妹夫婦には頭が上がらないのであった。彼らはその足で千葉にとんぼ返りした。
次は四十九日の準備である。お寺と相談し、日取りは7月5日の日曜ということになった。それまで準備することが山のようにある。
●お寺への御布施の準備
●当日参列してくださる親戚の人数等の確認
●香典返しの準備
●位牌(塗)の準備
●参列者へ配布する仕出しの予約
●墓石への新仏の戒名の刻みや墓地のクリーニング等を石材屋さんに手配
●当日持参する墓地への供花や線香等の準備
●会葬者の記録簿の用意
当日は天候が心配されたが、暑くはない曇り空で、さいわい雨も降り出すことはなく、無事法要と納骨を終えることができた。実にほっとしたのであったが、御骨がさらしの布にくるまれて墓所に収まるのを見るのは、少し悲しかった。人の死の物質的な外見は、そういうものである。
納骨されるまでのあいだ、家では母の御骨を前に何度かお経を上げさせてもらったが、そのときに見える映像も徐々に変化していった。
葬儀のときには昔風のアーチ型の木の橋を母は9年前に亡くなっている父とともに渡っていき、渡り終えたところで既にこの世を去っている両親や兄弟に迎えられた。
その次のステップでは、父と母は三保の松原と思しき海岸線を二人で歩いていたが、その岸辺はすでに彼岸であるように感じられた。そして松林の上のほうに富士山が見えたが、その富士山は裾野まで真っ白であるという点で、現実の世界の富士山とは異なっていた。それは霊的な道しるべのようにも見えた。
さらに次の段階では、白い鳩のような鳥がたくさん登場し、その白い鳥が無数の紐で熱気球のゴンドラのような籠を吊っており、そこに父と母は乗って次の世界に旅立ってゆくようであった。母は慎重な人であったので、父の道案内が必要であったのかもしれないと思った。
まあそういう光景というか、ヴィジョンのようなものが、私には見えた。そうやって母は父のエスコートで旅立っていったという感じであった。
そして新盆である。四十九日を七月の盂蘭盆会の前に済ませているので、今年が新盆、初盆なのである。
盆の入りの十三日に墓参りを済ませたあと、花屋さんで二つアレンジメントを作ってもらい、祭壇に飾った。牛と馬も飾り、日が暮れる頃に迎え火を家の前で焚いた。最近は、近所ではあまり見かけなくなったが、やはり迎え火や送り火は風情があるし、秘儀めいているので好きだ。
そのお盆ももう終わろうとしている。あと数時間後には、わが家でも送り火を焚くことになるだろう。
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