女の邪悪さによって国は滅びる
筆者はしばしば「筆頭ミソジニスト」だとか「ミソジニー日本代表」だとか「ミソジニーハンド」だとかそのような名前で呼ばれることがある。
まぁ、否定はしまい。
自分は明確にフェミニズムをそれを支持するあらゆる女性の在り方に反対しているし、彼女らの行いが欺瞞と不正義に満ちているとかねてから主張している。そういった意味で自分の主張が女性蔑視的な色彩を多分に持っていることは否めないだろう。ミソジニストと呼ばれることに否と言うつもりはない。
しかし、どうしても多少の違和感を抱いてしまうのだ。というのも自分は女性を「蔑視」しているつもりはあまりないのである。
「蔑視」という言葉を辞書で引くと
べっ‐し【蔑視】
[名](スル)相手をあなどって見くだすこと。
という定義が出てくる。つまりは相手を見下し、馬鹿にし、見くびり、侮る、そうした心の動きこそが蔑視という感情の中核であろう。
しかし筆者の中には女性を見下し、馬鹿にし、侮る気持ちというのはあまり強くない。それどころかむしろ女性に戦慄し、女性を畏怖し、女性に慄然とする気持ちの方が筆者の中では大きいように思うのである。
これは読者のみなさまも同様ではないだろうか。女性を頭から軽視できる男性など今の時代にほとんど残っていない。口先で「女子供」だのと馬鹿にはしていても、本当に子供のような無力で無害な存在として女性を見ることは最早むずかしい。
はっきり言ってしまえば、我々は女という生き物を恐れているのである。であるので、「女性嫌悪」と言われれば納得もできるのだが、「女性蔑視」と言われるとどうにも腑に落ちないものが筆者の中に残ってしまうのだ。
ところで、なぜ我々は女性という生き物を恐れるのだろうか。
この問いに対して伝統的にフェミニストたちは「男性は既得権益が女性に奪われるがゆえに恐れるのだ」と回答してきた。実に女らしい的を外した意見と言えよう。そもそも男性が持つ既得権益など陰謀論の世界にしか存在しない。またいわゆる戦闘美少女ブームや若年男性の「同格婚」志向に見るように、男性と対等以上に戦い稼ぐ女性は男性とって脅威でもなんでもなく新しい形の羨望の対象である。
女性が男性のように強く、賢く、タフになること。それ自体を厭う男というのは最早ほぼ存在しない。ではなぜ我々は女性を恐れるのだろうか。
結論から言おう。
それは女という生き物が、男の常識では測れないほどに邪悪だからだ。
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