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【コラム】 ムッシュ・ド・パリ 〜サンソン家〜

ムッシュ・ド・パリ。
とても耳触りの良いおしゃれな響きだ。
これは昔のフランスにおいて、ある職業を示す名であるが、その職業とは・・・

死刑執行人の頭領を表す称号。

今回は、代々が死刑執行人を務めた、サンソン家について触れてみたい。

        ◉サンソン家
200年以上にわたって、フランスの死刑執行人を輩出してきた家系の一族。

サンソン家の起こりは、軍人シャルル・サンソン・ド・ロンヴァルが、処刑人の娘マルグリッドと結婚してその職を継いだ事に始まる。
一家の職業は、その後も脈々と継がれ、特に4代目のシャルル・アンリ・サンソンは、ギロチンの導入と、大量の著名人の処刑を行った事で知られる。
フランスでは、処刑人の名前といえばサンソンと言われるほど有名なのだ。
ちなみに、サンソン家の血筋は既に断絶している。

今の日本でいえば、裁判所職員一家…ということだろうが、当時のフランスにおける処刑人は、全然違っている。

引用 Wikipedia様より 肖像画イメージ


4代目のシャルル・アンリ・サンソンは、フランス革命期にムッシュ・ド・パリを務めた。
彼が処刑した人物は、合計2,700名以上にのぼる。
そのすべてを列挙することは不可能だが、彼の執行により、世界史を大きく揺るがした高名な人物たちを下記にまとめた。

・ルイ16世(フランス国王)
・マリー・アントワネット(フランス王妃)
・マクシミリアン・ロベスピエール(革命指導者)
・ジョルジュ・ダントン(革命指導者、演説家)
・ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト(政治家)
・ジャン=シルヴァン・バイイ(初代パリ市長)
・カミーユ・デムーラン(ジャーナリスト・政治家)
・ジャン・バティスト・クローツ(革命家)
・ジャック・ルネ・エベール(エベール派の指導者)
・ギヨーム・クレティエン・ド・ラモワニョン・ド・マルゼルブ(ルイ16世の裁判で弁護を務めた政治家)
・デュ・バリー夫人(ルイ15世の公妾)
・アントワーヌ・ラヴォアジエ(化学者)
・エリザベート・ド・フランス(ルイ16世の妹)

このように革命の激動の中、彼は職務として王族から革命の指導者まで、あらゆる立場の人物の首を彼がギロチンで刎ねることとなった。

刺激的な表現に要注意‼️‼️

※ここからは具体的な処刑方法の、刺激的な表現があるので、苦手な方はスルーしてください。

ギロチン導入される前の処刑は凄惨な方法だった。
・八つ裂きの刑。
 被処刑者の四肢を牛や馬などの動力源に結びつ
 け、異なる方向に前進させて肉体を引き裂く。
 殺人犯などの最も重い刑として執行された。

・剣による斬首刑。
 人間の首は、一度で切り落とせず何回も斬る。
 そして最終的には心臓にトドメを刺す。

これを民衆の面前で行ったのだから、たまらない。
むごい・・・。
凄惨な有り様だ。

処刑人の一族出身だから、彼にとってはなんでもない当たり前のことだったのか?
いや…、実は彼は死刑廃止論者だった。

彼は、何度も国に死刑廃止の嘆願書を出していた。
そして王党派として、ルイ16世を崇拝していた。

貴族は斬首。
平民は絞首刑や火刑など。
この残酷で不平等な処刑方法を改め、苦痛を与えず、身分に関わらず、平等に瞬時に処刑するという人道的方法を考えた。

サンソン家は、死刑執行人の本業を持つ一方で、医師としての仕事も行っていた。

サンソン家の医学は独自の体系を持っていた。
そもそも、死刑執行人の一族は学校に通うことができず、医者に診て貰うこともできなかった。
また正規の教育を受けることができなかった。
当時は「職業に貴賤なし」という言葉は存在しない、まさに差別だ。
そんな中でサンソンとは、独自に編み出された医術を用いていた。
その医療技術は徹底して現実主義的なものであり、当時の医学界で主流だったオカルト的で、非科学的な治療は行わなかった。

※オカルト的医学とは、病気は悪魔や魔女のせいだ!として、悪魔祓いの祈祷をするとか…。
神に捧げれば病気は治る!として、たくさんの乳児を殺めて生け贄にするとか…。

そんな馬鹿げたことが真面目に行われていた時代に、サンソン家の医療は、難病の治療に成功した事例が数多く伝えられている。

死体の保管も行って、サンソン家では死体を解剖して研究を行っていた。
また、鞭打ちの刑罰の際に、人間の身体をどこまで傷つけても死なないか、後遺症が残らないか詳細に知っていたという。
身体に穴を開けると言った刑罰では、どこに穴を開ければ後遺症が少ないか徹底的に研究した。
サンソン家に刑罰を受けた人間は、存命率が高かったと言われている。
またサンソンは、刑罰で自分が傷つけた相手の治療を熱心に行っていた。

王党派であった彼は、崇拝するルイ16世を自分が処刑するという結果になったことを生涯悔いた。
革命当時、ルイ16世のためにミサを捧げることは死刑になるほどの重罪でありながら、神父を匿って秘密ミサを上げていたという。

また、青年時代に恋人であったデュ・バリー夫人も彼の手で処刑された。
かつてルイ15世の寵妃であった夫人の最期は、他の王侯貴族の最期とはまるで違っていた。
王侯貴族たちは処刑台に上がる時も、貴族としてのプライドで、たじろぐ姿は見せず凛としていたが、デュ・バリー夫人は泣き叫び、大声で命乞いをした。

この彼女の姿に、処刑人も民衆も大いに狼狽した。

「みんなデュ・バリー夫人のように泣き叫び命乞いをすればよかったのだ。
そうすれば、人々も事の重大さに気付き、恐怖政治も早く終わっていたのではないだろうか」

その日の日誌に、サンソンは書き記している。


死刑制度の存廃について、私はここで述べるつもりはないが、処刑される人も、処刑する人も、どうしようもない屈辱がそこにあると感じる。

シャルル・アンリ・サンソンという人は、アンシャンレジーム(旧体制)が崩れゆく時代の過渡期に、人間の尊厳というテーマを真剣に受け止めていたと言える。
自由・平等・博愛に憧れ、動き出した歴史の歯車は、大きな畝りとなっていった時代。

彼は日々の「職務」を黙って遂行しながら…。
何かが違う…。
おかしい…。
間違っている…。
と、気付いていたのだろう。

シャルル・アンリ・サンソンに代わって、私は今の世で明言したいと思う。

人間の命は、全てが尊いもの。
人間の魂の重さに、変わりはない。 
                      了
几戸姶洛

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