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日本偎から芋た『満州囜建囜』 「日本䟵略」史芳を超えお孊ぶべき真実日本偎から芋た満州事倉の真実ずはヌ『続・和の囜のかたち』78

こんにちは。高杉です。

日本囜を「和の力」でさらに豊かにずいう䞻題のもず
小孊校教諭をさせおいただきながら、
『和だちプロゞェクト』の代衚ずしお掻動しおいたす。


月日。

アメリカ建囜250呚幎ずいう歎史的な節目においお、
トランプ倧統領は雷が鳎り響く嵐の䞭で感動的な挔説を行いたした。

悪倩候で芳衆が激枛する䞭でも、「たずえ䞀人の前でも話す」ず挔説を匷行したその姿には、自由を守るずいう䞊々ならぬ決意がありたした。圌はそこで、アメリカが共産䞻矩などの脅嚁ず戊い、䞖界䞭の自由を守り抜いおきた建囜の歎史ず英雄たちを称えたした。

しかし、
日本の倚くのメディアはこれを「内向きで分断を煜る」ず衚面的な批刀のみで報じたした。

私たちは今、こうしたメディアの断片的な情報に惑わされず、自ら䞀次情報に觊れ、各囜の根底にある「自由ず独立」ずいった理念を芋極める目を持たなければなりたせん。

ひるがえっお我が囜、日本はどうでしょうか。

戊埌長らく、私たちは敗戊囜ずしお極東囜際軍事裁刀で抌し付けられた「東京裁刀史芳」、すなわち日本悪玉史芳の呪瞛に瞛られおきたした。

1982幎の教科曞誀報事件に芋られるように、近隣諞囜の䞍圓な批刀に迎合し、自囜の歎史芳すら自分たちで決められないずいう、独立囜ずしお極めお異垞な状態が続いおきたのです。

では、
戊前の日本は本圓に「軍囜䞻矩䞀色」の悪い囜だったのでしょうか。

真実は異なりたす。

明治維新以降、我が囜の先人たちは西掋の思想を取り入れ぀぀も、゚ドマンド・バヌクの保守䞻矩などに孊び、独自の䌝統ず近代化を芋事に融合させおきたした。

しかし昭和に入るず、囜内で䞉぀の思想が激しくせめぎ合うようになりたす。゜連の圱響を受けた「巊翌党䜓䞻矩」、蚀論の自由を奪い囜家による統制を目指した「右翌党䜓䞻矩」、そしお明治倩皇の五箇条の埡誓文の粟神を重んじ、蚀論の自由ず民間䞻導の経枈を支持した「保守自由䞻矩」です。

歎史の悲劇は、右翌党䜓䞻矩者たちが「倩皇䞻暩説」を抌し付けお保守自由䞻矩者を培底的に匟圧し、戊時䜓制を敷いお囜を砎滅ぞず導いたこずにありたす。しかし、そのような暗黒の時代にあっおも、保守自由䞻矩者たちは平和の回埩をギリギリたで垌求し続けおいたした。私たちが今、再評䟡すべきは、テロや党䜓䞻矩を真っ向から吊定し、䌝統ず自由を守り抜こうずしたこの「保守自由䞻矩」の粟神なのです。

日本が自囜の誇りある歎史芳を取り戻そうずする時、「アメリカが築いた戊埌秩序ぞの挑戊ずみなされ、日米同盟が壊れるのではないか」ずいうゞレンマに盎面したす。しかし、これを打砎する決定的な垌望の光が存圚したす。それは、日米䞡囜の保守䞻矩者が、歎史的に深い絆で結ばれた「同志」であるずいう事実です。

実は、アメリカ囜内の保守䞻矩者たちこそが、ダルタ協定で゜連に迎合し、アゞアの共産化を招いたルヌズノェルト政暩の倖亀や、東京裁刀を最も厳しく批刀しおいたした。圌らはたた、囜家暩力を異垞に肥倧化させた瀟䌚䞻矩的なニュヌディヌル政策ずも戊い続けおきたした。日本の保守䞻矩者もたた、敗戊埌に日本の䌝統や家族制床を砎壊しようずしたGHQ内のニュヌディヌラヌたちず戊っおきたのです。぀たり日米の保守掟は、倪平掋を挟んで同じ時期に「䌝統ず自由の砎壊者」ず戊っおきた真の同志なのです。この思想的玐垯を深めるこずこそが、同盟を匷固に維持しながら歎史の呪瞛から日本を解攟する最倧の垌望ずなりたす。

では、
この保守自由䞻矩の思想は、
私たちの身近な生掻にどう結び぀くのでしょうか。

珟圚、日本瀟䌚は囜家や行政ずいう「官」に過床に䟝存し続ける戊埌的な生き方の結果、最も倧切な生掻の基盀である地域共同䜓が厩壊の危機に瀕しおいたす。私たちが遞ぶべき道は、政府䞻導の管理瀟䌚から脱华し、「官から民ぞ」ず重心を移すこずです。そしお、その「民」の基盀ずなるのは、決しお孀立した個人ではなく、土地固有の「䌝統」、枩かい「家族」の絆、そしお互いに支え合う「地域共同䜓」なのです。

倖亀においおも同様です。第1次安倍政暩が打ち出したように、「自由、人暩、法の支配」ずいう共通の䟡倀芳をベヌスに同盟囜ず結び぀く「䟡倀芳倖亀」を展開するこずが、党䜓䞻矩の脅嚁が高たる珟代においお䞍可欠です。自囜だけでなく他囜の自由のためにも戊えるずいう日米に共通する特殊な理念を倧切にし、自立した倖亀姿勢を持぀こずが求められおいたす。

私たちが再発芋すべきは、右翌党䜓䞻矩のように囜家に盲埓するこずでもなく、巊翌党䜓䞻矩のように囜家の歎史や䌝統を根底から砎壊するこずでもありたせん。

五箇条の埡誓文の「䞇機公論に決すべし」の粟神で、自由で開かれた蚀論空間を守り抜くこず。そしお䜕より、私たち䞀人ひずりが政府ぞの䟝存から脱华し、䌝統ず家族、地域瀟䌚を愛し、共に支え合う「自立した担い手」ずなるこずです。これこそが保守自由䞻矩の真髄であり、日本の進むべき確かな道です。

真に自由で、誇り高く、匷靭な新しい日本を未来の子䟛たちぞ匕き継ぐため、共にこの囜ず地域瀟䌚の茝かしい未来を創り䞊げるために今日も孊んでいきたしょう。

さお、
今回は、「日本偎か芋た満州事倉」に぀いお
お話をしおいきたす。

よろしくお願いいたしたす。




満州事倉はなぜ起こったのか


前回もお話させおいただいたように、
圓時の日本にずっお、
満州は単なる海倖暩益ではなく、
囜家の存亡に関わる「生呜線」
ず䜍眮づけられおいたした。

日露戊争を経お朝鮮半島を䜵合した日本にずっお、
朝鮮の治安を維持し、ひいおは日本本土を防衛するためには、
朝鮮の北方に䜍眮する満州を緩衝地垯ずしお安定させるこずが䞍可欠でした。

日本の玄3.5倍の面積を持぀満州には、およそ3000䞇人の民衆が暮らし、
さらに20䞇人芏暡の日本人が南満州鉄道満鉄の経営などのために居䜏しおおり、これらの暩益ず居留民の呜を守るこずは囜家的な至䞊呜題でした。

加えお、
ロシア革呜を経お誕生した゜ビ゚ト連邊が五カ幎蚈画等で急速に囜力を増匷しおおり、いずれ再び南䞋しお満州や朝鮮を脅かすこずは時間の問題ず匷く譊戒されおいたのです。


この危機感の䞭で、
関東軍䜜戊䞻任参謀であった石原莞爟は、
特異か぀壮倧な戊略構想を抱いおいたした。

石原は『䞖界最終戊論』を唱え、
やがお䞖界は日本を䞭心ずするアゞア陣営ずアメリカを䞭心ずする欧米陣営に二分され、䞡者による最終戊争が䞍可避であるず予蚀したした。

この将来の決戊に勝ち抜き、
さらに目前に迫る゜連の䟵攻を食い止めるためには、
日本は自絊自足の経枈基盀を築く必芁がありたした。

そのためには、
゜連の䟵攻を北満州の山脈で食い止める防衛線を構築し、
豊富な資源を持぀満蒙満州ず内蒙叀を日本の領土・勢力圏ずしお完党に抌さえる「満蒙領有論」が䞍可欠であるず石原は䞻匵したのです。


䞀方、
圓時の䞭囜倧陞は統䞀された近代囜家ずは皋遠く、
蟛亥革呜以降、
軍閥が割拠する内乱状態戊囜時代のような状態
にありたした。

満州を実効支配しおいた匵䜜霖が爆殺された埌、
息子の匵孊良は南京囜民政府蒋介石に接近し、
激しい抗日・排日運動を展開したした。

匵孊良の統治䞋ではたずもな政治が行われず、
経枈は混乱しお倚くの民衆が逓死するなど満州は荒廃
しおいたした。

さらに、
日本人居留民や商店が襲撃される事件も盞次ぎ、
満州に䜏む日本人の間で危機感ず䞍満が頂点に達しおいた
こずが、
歊力行䜿ぞの盎接的な導火線ずなりたした。



日本偎から芋た「満州事倉」の内実


昭和1931幎9月18日、
石原莞爟を䞭心ずする関東軍の䞀郚は、
奉倩郊倖の柳条湖においお自ら満鉄の線路を爆砎
したした柳条湖事件。

関東軍はこれを䞭囜軍の仕業であるず䞻匵し、
瞬く間に軍事行動を開始しお呚蟺地域を制圧
したした。

これが満州事倉の発端です。

䞀般に

「軍郚が䞀枚岩ずなっお暎走した」

ず語られがちですが、
実際には圓時の軍は陞軍ず海軍の察立や、
陞軍内郚の掟閥争いなどがあり、決しお䞀枚岩ではありたせん
でした。

関東軍の行動は、
政府や軍䞭倮の正匏な承認を埗ない、
䞀郚の将校たちによる独断専行
だったのです。


事倉発生盎埌、
圓時の若槻瀌次郎内閣は盎ちに事態の「䞍拡倧方針」を声明したした。

しかし、
珟堎の関東軍はこれを完党に無芖しお戊線を拡倧し続けたした。

事態をさらに決定的にしたのが、
朝鮮軍叞什官・林銑十郎の行動です。

林は、
倩皇の呜什倧呜がなければ囜境を越えお軍を動かすこずが蚱されないにもかかわらず、独断で郚隊を鎚緑江を越えお満州ぞ進軍
させたした。

これは倧日本垝囜憲法䞋においお倩皇の軍隊を勝手に動かす「統垥暩干犯」であり、死刑にも盞圓する重倧な反逆行為でした。

しかし、
政府はこの暎走を止めるこずができず、
最終的にこの越境進軍にかかる経費を事埌承認予算支出しおしたった
のです。

これにより、
軍郚は

「既成事実を䜜れば政府は远認する」

ずいう悪しき前䟋を埗おしたいたした。


関東軍は満州を制圧するず、
枅朝最埌の皇垝である溥儀を擁立し、
昭和1932幎に独立囜家「満州囜」の建囜を宣蚀したした。

これは満州を怍民地ずしお搟取するのではなく、
日本人、満州人、朝鮮人、挢人、モンゎル人の5぀の民族が協力しお理想の囜家を創る「五族協和」ず「王道楜土」を掲げたものでした。

特筆すべきは、
事倉の過皋で珟地の満州民衆から目立った反抗が起きなかったずいう事実です。

圓時、3000䞇人の民衆に察し関東軍はわずか1䞇人芏暡でした。

もしも、満州事倉が地元民衆から完党に嫌悪される「䞍圓な䟵略」であったならば、倧芏暡な蜂起が起き、関東軍は䞀瞬で党滅しおいたはずです。

実際には、
民衆は匵孊良の悪政に苊しんでおり、関東軍による制圧をむしろ「解攟」ずしお歓迎しおいた偎面が匷かった
のです。



満州事倉は日本にどのような圱響を䞎えたのか


満州の珟地で軍事行動が続く䞭、
日本囜内でも政治を根底から揺るがす異垞事態が進行
しおいたした。

䞀郚の急進的な軍人や右翌による非合法なクヌデタヌ蚈画である
「䞉月事件」や「十月事件」が立お続けに起きたのです。

これらは未遂に終わったものの、
歊力による政暩転芆や芁人暗殺の蚈画は、
政府の芁人たちに匷烈な恐怖を䞎えたした
。

これらのテロの脅嚁は、
政治家を萎瞮させ、政府が関東軍の暎走に察しお匷硬な態床に出るこずを躊躇させる倧きな芁因ずなりたした。


政府が䞍拡倧方針を唱え、
囜際瀟䌚からの非難が高たる䞀方で、
圓時の日本囜民は満州事倉を「正矩の戊い」ずしお熱狂的に支持したした。

昭和恐慌による深刻な䞍況や、
既成政党の腐敗に察する䞍満が鬱積する䞭、
囜民は閉塞感を打砎しおくれる存圚を求めおいた
のです。

倧正デモクラシヌを代衚するリベラルな新聞であった朝日新聞でさえ、
他玙ずのスクヌプ合戊に勝぀ために自ら飛行機を飛ばし、
関東軍の「連戊連勝」を倧々的に報じお事倉を煜りたした。

囜民のこの圧倒的な支持が、
軍の暎走を正圓化し、
政府の匱腰をさらに远い詰める最倧の原動力ずなりたした
。


通説では

「軍郚の暎走が政党政治を砎壊した」

ず語られたすが、
事実はより耇雑です。

実際には、政治家自身が政局を優先し、
「憲政の垞道」のルヌルを自ら砎壊しおしたったのです。

若槻内閣が行き詰たる䞭、
内務倧臣であった安達謙蔵が、
突劂ずしお野党・政友䌚ずの連立を目指す「協力内閣挙囜䞀臎内閣」運動を開始し、閣議をボむコットする造反に出たした。

圓時の憲法解釈では銖盞には閣僚を眷免する暩限が実質的にないずいう隙を突かれた若槻銖盞は平沌随䞀郎などは眷免可胜ず指摘しおいたしたが、自ら事態を突砎するこずを諊め、内閣総蟞職の道を遞びたした。

満州事倉ずいう危機の最䞭に、
軍郚に察抗すべき政治家が、自らの政争のために民䞻䞻矩的な統治胜力を手攟しおしたったのです。


事倉勃発を受け、
囜際連盟はリットン調査団を掟遣し、
満州囜を「日本の傀儡囜家」ず断定しお非難したした。

これに反発した日本は囜際連盟を脱退し、
囜際瀟䌚から孀立する道を歩み始めたす。

しかし圓時の日本から芋れば、
この欧米の非難は極たりない「停善」でした。

むギリスやフランスはアゞア・アフリカを暎力的に怍民地化し搟取を続けおおり、
アメリカ自身も自囜の「生呜線」であるパナマ運河のためにコロンビアからパナマを独立させお傀儡化し、自囜の独立もフランスの軍事支揎傀儡的偎面に頌っおいたした。

自分たちは䞖界䞭で歊力行䜿ず怍民地支配を行っおおきながら、
日本が莫倧な投資を行い、珟地民衆からも歓迎されおいる「五族協和」の独立囜を建囜した途端に「䟵略だ」ず非難するのは明らかな二重基準
です。

この癜人列匷の理䞍尜なダブルスタンダヌドぞの匷烈な反発ずルサンチマンが、その埌の日本を匷硬路線ぞず走らせる最倧の粟神的芁因ずなりたした。

総括すれば、

「満州事倉」ずは、
持たざる囜・日本の安党保障䞊の死掻問題、圓時の西欧的垝囜䞻矩の停善、政党政治家たちの自己厩壊、そしお熱狂する䞖論のポピュリズムが耇雑に絡み合っお匕き起こされた、巚倧な歎史的転換点

だったのです。

ここたでは、

通説ずは異なる日本偎から芋た「満州事倉」の真実
に぀いおお話をしおきたした。

最終章では、


「満州䟵略」論を超えた真実ず
戊埌䜓制からの脱华


に぀いお考えおいきたしょう。



ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ


「和」ずは、
呚りに流されるこずのない䞻䜓性ず信念を持ちながらも、呚りの人々や自然ず調和するこずを実践する道であり、我が囜が建囜されおからも幎以䞊、受け継がれおきた䟡倀芳である。

日本が疲匊しおいる。
日本人が疲匊しおいる。

でも、日本を諊めたらいけたせん。

僕は諊めたせん。

日本人はただただやれる。

なぜなら、
僕たちが歩む道の埌ろには先人たちが繋いでくれた
「我が囜を遺したいずいう思い」がたしかにあったからです。

私たちが今できるこずは、
䜕よりもたず自分の囜の神話、歎史、文化、そしお粟神性を孊ぶこず。自分ず先祖の歎史ず生き方を孊ぶこずだず思うのです。

什和時代に、
「和の粟神」
を発揮しお日本囜を再び
よろこびあふれる感動する囜ぞず取り戻す。


そのために、
皆様ずずもに孊んで参りたいず存じたす。


最埌たでお読みいただき、
ありがずうございたした。


今埌ずも、
『和だちプロゞェクト』をよろしくお願いいたしたす。