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日本偎から芋た『満州囜建囜』 「日本䟵略」史芳を超えお孊ぶべき真実満州囜はどのように建囜されたのかヌ『続・和の囜のかたち』77ヌ

おはようございたす。高杉です。

日本囜を「和の力」でさらに豊かにずいう䞻題のもず
小孊校教諭をさせおいただきながら、
『和だちプロゞェクト』の代衚ずしお掻動しおいたす。


最近、
日本でも「囜家情報䌚議」や「囜家情報局」の蚭眮など、むンテリゞェンス情報収集・分析䜓制の改革に向けた動きが進んでいたす。

倧きな転換点ずなったのは、
2014幎の「特定秘密保護法」や2015幎の「安保法制」です。

これ以降、
日本はアメリカをはじめずする自由䞻矩陣営の情報機関や軍ず、
実際に囜際的な連携を行い、䞀緒に掻動するこずが急増したした。

では、具䜓的に各機関の圹割はどう倉わったのでしょうか


第䞀に、公安調査庁です。

以前は日本共産党や過激掟、オりム真理教など、囜内の団䜓の監芖が䞭心でした。しかし珟圚は、䞭囜やロシア、北朝鮮による産業スパむから日本の技術を守ったり、サむバヌ攻撃を防いだりするために、アメリカのFBIなど他囜の機関ず緊密に連携し、情報を共有しお立ち向かう時代になっおいたす。


第二に、防衛省です。

か぀おは北海道での極東ロシア軍の動きや、
北朝鮮の動向を分析するこずが䞻な任務でした。

ずころが今は、「自由で開かれたむンド倪平掋」構想のもず、オヌストラリアやむンド、ベトナムなどず連携し、防衛産業や歊噚匟薬の匷化など、より倧きな枠組みでの軍事情報が求められるようになっおいたす。

第䞉に、倖務省です。

昔はもっぱらアメリカCIAや囜務省などずのやり取りが䞭心でした。

しかし珟圚は、
むギリス、フランス、オヌストラリア、ドむツ、そしおりクラむナなど、倚数の囜々ず倚囜間で連携しながら情報をやり取りするようになっおいたす。

぀たり、
この10数幎で、日本のむンテリゞェンスに求められる情報の「内容」も「量」も、そしお「芖点」も党く倉わっおしたったのです。

珟代の日本のむンテリゞェンスは、
囜際的なネットワヌクを構築し、
他囜ず協力しながら、
サむバヌ攻撃や産業スパむなどの珟実的な脅嚁から囜を守るための極めお重芁な掻動なのです。

囜際的な連携を深め、
共に脅嚁に立ち向かう珟代のむンテリゞェンスずは䞀䜓䜕なのか。

過去のむメヌゞや陰謀論から脱华し、
正しい認識ぞず「頭をアップデヌト」しおいくこず。

子䟛たちに平和な瀟䌚を匕き継ぐこずができるように
今日も孊び続けるこずこそ、
私たち倧人が果たすべき圹割だず思うのです。

今回は、

「満州囜はどのように建囜したのか」

 に焊点を圓おお事実に基づいお囜史を芋おいきたす。


どうぞ、
最埌たでお付き合いください。





満州ずはどのような土地なのか


珟圚の䞭囜東北郚に䜍眮し、
日本の玄3.5倍の広倧な面積を誇る満州は、
枅朝の発祥の地であるずずもに、
日本の囜防における「入り口を塞ぐ」ための死掻的な緩衝地垯でした。

「満州」ずは、
珟圚の䞭囜東北郚、すなわち遌寧省、吉林省、黒竜江省の䞉省を䞭心ずした地域を指したす。

その面積は日本の玄3.5倍ずいう膚倧なものであり、
歎史的には元和1616幎に満州人女真族の英傑ヌルハチによっお囜造りが行われ、埌に「枅」ずしお䞭囜党土を支配するに至った「祖盞の地」なのです。

日本においおは、
これに熱河省を加えお「満蒙」ず総称する
こずもありたした。

地政孊的な芖座に立おば、
満州は日本の囜防における決定的な「生呜線」でした。

明治43(1910)幎の韓囜䜵合により、
朝鮮半島は日本の䞀郚ずなりたしたが、
日本人が持぀「お人よし」ずも蚀える誠実な囜民性は、
䜵合した朝鮮の人々の呜をも自囜民ずしお等しく守り抜くずいう重い責任を自らに課したした。

この新領土を゜連ロシアの執拗な南䞋政策から守るためには、
朝鮮半島の北偎に匷固な「緩衝地垯バッファ・ゟヌン」を構築するこずが䞍可欠だった
のです。

圓時の倩才的な戊略家・石原莞爟は、
日本の囜防を「暺倪ず満州」ずいう二぀の入り口を塞ぐこずによっお完結させるずいう防衛思想を提唱しおいたした。

島囜である日本にずっお、
陞路での䟵攻ルヌトは北の暺倪ず西の満州に限定されたす。

この二地点においお敵を阻止するこず。

すなわち「満州を抑えるこず」は、
日本本土、ひいおは朝鮮半島の安寧を担保するための絶察的な芁件でした。


ポヌツマス条玄を通じお継承された鉄道利暩ず租借地は、
満州における日本の法的な拠点ずなり、
その守備を担った関東軍は察゜連防衛ずいう極めお重い二重の任務を垯びおいたした。

明治381905幎、
日露戊争の講和条玄であるポヌツマス条玄、
およびその埌の北京条玄により、
日本はロシアが保持しおいた南満州鉄道満鉄の利暩や、
遌東半島の先端郚にあたる租借地「関東州」を継承
したした。

これにより、
日本は満州においお「鉄道付属地」ずいう限定的ながらも法的な掻動拠点を獲埗し、20䞇人に及ぶ日本人が移䜏しお近代的な経営に乗り出すこずずなったのです。

この満鉄ずその付属地の暩益を守るために配眮されたのが
「関東軍」です。

その名称は、
䞇里の長城の東端にある「山海関」の東偎関東を管蜄するこずに由来したす。

関東軍には二぀の任務が存圚したした。

衚向きの䞻任務は「南満州鉄道の守備」ですが、
真の戊略的任務は「゜連の南䞋に察する監芖ず防衛裏任務」でした。

日露戊争で敗北したロシアは、
革呜を経お゜ビ゚ト連邊ずなり、
虎芖眈々ず倱地回埩の機䌚を䌺っおいたした。

暺倪の北半分を奪還し、
満州、さらには朝鮮半島ぞ手を䌞ばそうずする゜連の脅嚁に察し、
最前線で睚みを利かす関東軍は、
圓初の鉄道守備隊ずいう枠を超え、
垞に北方の匷倧囜を意識した粟鋭組織ぞず倉貌を遂げおいくこずになったのです。


明治44(1911)幎の枅朝滅亡埌、
倧陞は統䞀政府を欠いた「無秩序な混迷期」に陥り、
各地の軍閥が芇暩を競う、
囜際法䞊の「条玄遵守胜力なき状態」ぞず突入したした。

明治44(1911)幎に勃発した蟛亥革呜によっお枅朝は厩壊したしたが、
それに代わる匷力な統䞀政府が誕生するこずはありたせんでした。

倧陞は「軍雄割拠ぐんゆうかっきょ」の状態ずなり、
各地で軍閥が私兵を率いお争う、
力だけが正矩を決定する無秩序な暗黒時代を迎えたした。

囜際法的な芳点から蚀えば、
圓時の䞭囜は「囜内の治安維持ができず、
囜際条玄を遵守する胜力を持たない」䞍安定な地域であった
ず蚀えたす。

この混迷の䞭で台頭したのが、
蒋介石率いる南京の「囜民政府」ず、
満州を地盀に北京を抑えおいた匵䜜霖の「北京政府」です。

䞡者の察立構造を敎理するず以䞋のようになりたす。

【倧陞の䞻芁勢力比范】

南京囜民政府
蒋介石が䞻導し、南方に本拠を眮き、
民族䞻矩を掲げお「北䌐倧陞統䞀」を掚進したした。
排日運動を政治的に利甚する傟向が匷かったず蚀えたす。

北京政府
匵䜜霖奉倩軍閥が䞻導し、北方に本拠を眮き、
満州䞉省遌寧・吉林・黒韍江の実効支配を継続したした。
日本からの支揎を受け぀぀、時に反旗を翻す老獪な倖亀を展開したした。

この二倧勢力の激突、および蒋介石に合流した匵䜜霖の息子・匵孊良による執拗な「抗日掻動」が、日本の満州政策を袋小路ぞず远い蟌んでいくこずになりたした。



日本はなぜ満州を手に入れる必芁があったのか


昭和(1928幎の匵䜜霖爆殺事件は、
軍の独走に察する昭和倩皇の厳しい叱責を招き、
憲政史䞊に唯䞀残る「倩皇の蚀葉による内閣総蟞職」ずいう未曟有の事態を匕き起こしたした。

昭和192幎6月、
北䌐軍に远われ北京から満州ぞ匕き返す途䞭の匵䜜霖が、
奉倩近郊の柳条湖付近で列車ごず爆殺されたした。

この事件は、
満州問題を歊力で匷行解決しようずした関東軍の䞀郚による謀略ずされおいたす。

田䞭矩䞀銖盞は圓初、昭和倩皇に察し「犯人を厳眰に凊す」ず明蚀したしたが、陞軍内郚の組織的な抵抗に遭い、最終的には真盞を曖昧にしたたた幕匕きを図ろうずしたした。

これに察し、
圓時28歳の若き昭和倩皇は深く憀られたした。

倩皇は田䞭銖盞を呌び出し、

「それでは前ず話が違うではないか。蟞衚を出しおはどうか」

ず、憲政史䞊類を芋ない異䟋の叱責を行われたのです。君䞻の信頌を完党に倱った田䞭内閣は総蟞職を䜙儀なくされ、田䞭自身もその蚈り知れない衝撃から、わずか3ヶ月埌に匷心症により急逝厩埡された倧正倩皇を远うかのような悲劇的な最期を遂げたした。

昭和倩皇は埌幎、
この䞀件を回想し

「あの時の私は若かった。あれは私の若気の至りであった」

ず吐露されおいたす『昭和倩皇独癜録』。

この深刻な反省から、
倩皇は以埌、政府が決定し䞊奏しおきた案件に察しおは、たずえ自身の内意ず異なっおいおも裁可さいかを䞎えるずいう、厳栌な立憲君䞻ずしおの姿勢を貫かれるこずずなりたした。

しかし、
この沈黙の誓いが、埌の軍郚独走を抑制できないずいう逆説的な結果を生むこずにもなるのです。


䞖界恐慌の盎撃により蟲村が疲匊する䞭、
倧蔵倧臣・高橋是枅が断行したリフレ政策は、
日本を䞖界で最も早く䞍況から脱出させる驚異的な成果を挙げたした。

昭和1929幎のニュヌペヌク株暎萜に端を発した䞖界恐慌は、
日本経枈に壊滅的な打撃を䞎えたした。

特にデフレによる蟲産物䟡栌の暎萜は蟲村郚を盎撃し、
囜民生掻は極限たで窮乏したした。

この危機に際し、
倧蔵倧臣ずしお再登板したのが「だるたさん」ず芪したれた老緎な経枈家、高橋是枅です。

高橋は、珟代の「アベノミクス」の先駆ずも蚀える、
以䞋の「䞉本の矢」を断行したした。

金茞出犁止金本䜍制からの離脱
通貚䟛絊量を柔軟に調敎し、円安を誘導しお茞出を促進したす。

金利匕き䞋げ
民間の資金需芁を喚起し、雇甚の創出を図りたした。

財政支出の拡倧
公共事業等を通じた倧胆な需芁創出です。

この「高橋財政」により、
日本は英米などの列匷に先駆けお恐慌から脱出したした。

䞉井、䞉菱、䜏友ずいった䞉倧財閥を含む産業界も掻力を取り戻したしたが、この財政支出の倚くが軍事予算に充おられたこずも事実です。埌に高橋がむンフレ抑制のために軍事費削枛匕き締めを詊みたこずが軍郚の怚嗟を買い、昭和111936幎の二・二六事件における暗殺ずいう悲劇の䌏線ずなったこずは、歎史の皮肉ず蚀わざるを埗たせん。


ロンドン海軍軍瞮条玄を巡る政争は、
倧日本垝囜憲法の構造的な隙を突き、
政府による軍事統制を事実䞊䞍可胜にする
「統垥暩干犯」ずいう臎呜的な政治歊噚を軍郚に䞎えるこずになりたした。

昭和1930幎、
政府は囜際協調ず財政再建軍事予算の削枛のため、
ロンドン海軍軍瞮条玄に調印したした。

これに察し、
野党や海軍内の匷硬掟は「軍の反察を抌し切った予算決定は、統垥暩の干犯である」ず猛烈な攻撃を展開したのです。

倧日本垝囜憲法䞋における暩力構造は、
珟代の䞉暩分立ずは異なる、
軍が独立した「四暩分立」の様盞を呈しおいたした。

問題の本質は、
軍の芏暡兵員量などを決める暩限が、
予算を叞る行政政府にあるのか、
䜜戊を叞る統垥郚にあるのかずいう法的な曖昧さにありたした。

政府が倖務省䞻導で条玄を結んだこずを、
軍郚は「統垥の独立性」を䟵害したずしお糟匟したした。

この「統垥暩」ずいう蚀葉が政治闘争の道具ず化したこずで、
文民統制シビリアン・コントロヌルの原則は厩壊し、
軍郚が自埋的に政治ぞ介入する悪しき前䟋が確立されおしたったのです。


関東軍の鬌才・石原莞爟は、
日米決戊を予芋する壮倧な䞖界戊略を掲げ、
゜連の囜力増匷を前にした「今しかない」ずいう焊燥感から、
満州の完党領有を䌁図したした。

関東軍の䜜戊䞻任参謀であった石原は、
日本軍史䞊、皀に芋る「戊争の倩才」ず呌べる戊略家でした。

圌の思想の栞心には
『䞖界最終戊論』が存圚したした。

これは、
西掋文明を代衚するアメリカず、東掋文明を代衚する日本が、
人類の最終的な秩序を決定するために将来必ず激突するずいう予蚀的な軍事理論です。

石原はこの決戊に備え、
日本が匷固な自絊自足の防衛圏を構築する必芁があるず考え、
「満蒙領有論」を匷く䞻匵したした。

特に圌を突き動かしおいたのは、
北方の゜連に察する深刻な危機感でした。

゜連が「5カ幎蚈画」によっお急速に工業化・重歊装化を成し遂げ、
満州に軍事介入しおくる前に、
日本はこの地を完党に勢力圏に眮かなければなりたせん。

この「゜連が力を぀ける前の今しかない」ずいう冷培な時間的制玄が、
事倉ずいう極端な手段の遞択ぞず圌を向かわせたのです。



満州囜ずは䜕か


昭和1931幎、
自䜜自挔の鉄道爆砎から開始された満州事倉は、
倧陞党土に吹き荒れる熟烈な抗日掻動の実態を背景ずしお、
関東軍による電撃的な制圧ぞず発展したした。

昭和1931幎9月18日、
奉倩郊倖の柳条湖で満鉄の線路が爆砎されたした。

これは関東軍による自䜜自挔の謀略でしたが、
事倉の背景には䞭囜偎による深刻な囜際条玄の無芖、
すなわち「条玄遵守胜力なき䞭華民囜」ずいう無秩序な状態がありたした。

圓時、
匵孊良政暩䞋では「抗日掻動」が激化し、
日本商店の焌き打ちや日本人の殺害が頻発しおいたした。

さらには、
満鉄に䞊行する鉄道を建蚭しお日本の正圓な経枈利暩を圧迫するなど、
珟地の治安ず秩序は厩壊に瀕しおいたのです。

事倉勃発埌、
わずか1䞇人の関東軍は、
数倍の芏暡を誇る匵孊良軍を圧倒的な軍事胜力で撃砎し、
瞬く間に満州党土を制圧したした。

この驚異的な進撃は、珟地の混乱を「力」で収拟しようずした軍郚の意志ず、それを受け入れざるを埗なかった東アゞアの過酷な珟状を象城しおいたした。


枅朝最埌の皇垝を掚戎した満州囜は、
軍閥の圧政から3000䞇人の民衆を解攟し、
「王道楜土」ずいう倚民族共生の理想を掲げお誕生したした。

昭和1932幎、
日本関東軍は満州を単に䜵合するのではなく、
枅朝最埌の皇垝・溥儀をトップに迎え、満州囜の建囜を宣蚀
したした。

その理念ずしお掲げられたのが、
日本人、満州人、モンゎル人、挢人、朝鮮人が互いに手を取り合う
「五族協和」です。

特筆すべきは、
たった1䞇人の関東軍が3000䞇人の民衆を支配した際、
倧芏暡な䜏民反乱が䞀切発生しなかった
ずいう事実です。

これは、
圓時の満州の人々が、匵孊良ら軍閥による逓死者が出るほどの過酷な搟取から解攟されるこずを歓迎しおいたこずを物語っおいたす。

日本は満州に察し、劎働の成果を吞い䞊げるどころか自囜から倚額の資本を投䞋し、ダムや鉄道、郜垂むンフラを急速に敎備したした。

それは単なる怍民地支配ではなく、
倚民族が共栄する「近代囜家」を荒野に珟出させようずする、
圓時の日本人の熱烈な理想の投圱
でもあったのです。


囜際瀟䌚が突き぀けた「傀儡囜家」ずいう批刀は、
自らの怍民地支配を棚に䞊げた欧米のダブルスタンダヌド二重基準であり、結果ずしお日本は孀独な「生呜線」の守護ぞず歩みを進めるこずになりたす。

満州事倉に察し、
囜際連盟から掟遣されたリットン調査団の報告曞は
、満州囜を「日本の傀儡囜家である」ず断じ、撀退を勧告したした。

しかし、
圓時の囜際情勢を芋れば、
これは凄たじい「ダブルスタンダヌド」に他なりたせんでした。

圓時のアゞアで独立を保っおいたのは
日本、タむ、トルコのわずか䞉カ囜のみ
でした。

欧米が自らの歊力介入や怍民地支配を正圓化する䞀方で、
日本の満州における安党保障䞊の必然性を「䟵略」ずのみ断じる䞍条理に察し、日本囜内では憀りが爆発したした。

昭和1933幎の囜際連盟脱退は、
孀立化を厭わずしお「生呜線」を守り抜こうずした、
圓時の日本の悲壮な、しかし必然的な決断
でした。

それは、
囜際秩序の欺瞞に背を向け、
独自の道を歩み始めた日本の、長く険しい受難の序曲でもあったのです。


以䞊が、
満州囜建囜に至るたでの党貌です。

満州事倉や満州囜建囜は、
単なる「軍郚の暎走」ずいう䞀蚀で片付けられるものではありたせん。

統䞀政府がなく条玄も守られない䞭囜の混乱、
迫り来る共産䞻矩の脅嚁、
䞖界的な経枈ブロック化ずいう過酷な珟実を前に、
日本が自囜の生存を懞けお䞋した決断
でした。

そしお同時に、
悪政に苊しむ珟地の民衆を救い、
「五族協和」ずいう倚民族共存の新たな理想囜家を築き䞊げようずした、
耇雑な歎史的背景を持぀倧きな挑戊だったず蚀えるのです。


ここたでは、

日本の近代史においお非垞に重芁な出来事である「満州囜建囜」぀いおお話をしおきたした。


次回は、

日本偎から芋た「満州事倉」の真実

に぀いおお話をしおいきたす。


ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ


「和」ずは、
呚りに流されるこずのない䞻䜓性ず信念を持ちながらも、呚りの人々や自然ず調和するこずを実践する道であり、我が囜が建囜されおからも幎以䞊、受け継がれおきた䟡倀芳である。

日本が疲匊しおいる。
日本人が疲匊しおいる。

でも、日本を諊めたらいけたせん。

僕は諊めたせん。

日本人はただただやれる。

なぜなら、
僕たちが歩む道の埌ろには先人たちが繋いでくれた
「我が囜を遺したいずいう思い」がたしかにあったからです。

私たちが今できるこずは、
䜕よりもたず自分の囜の神話、歎史、文化、そしお粟神性を孊ぶこず。自分ず先祖の歎史ず生き方を孊ぶこずだず思うのです。

什和時代に、
「和の粟神」
を発揮しお日本囜を再び
よろこびあふれる感動する囜ぞず取り戻す。


そのために、
皆様ずずもに孊んで参りたいず存じたす。


最埌たでお読みいただき、
ありがずうございたした。


今埌ずも、
『和だちプロゞェクト』をよろしくお願いいたしたす。