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自分が見えねぇ俺たちは、不格好な豆腐のままで生きていく|人間関係の心理学||自己認知の限界||コミュニティの絆||エッセイ・コラム||人生の哲学|

自分という豆腐の輪郭

人間は生まれながらにして、自分自身の全体像を肉眼で直接見ることができねぇ生き物だ。鏡やスマホの画面を借りなきゃ、自分の顔ですら確認できやしねぇ。この「物理的に自分を見られない」という事実こそが、俺たちの生き様や人間関係の本質を鋭く突いている。

外見という一番目に見えやすいはずのものですさえ、自分ひとりの力じゃ完全に把握できねぇんだから、目に見えねぇ内面や精神のあり方を正しく理解できるわけがねぇ。心に鏡をあてたところで、そこに映るのは都合のいい自己弁護の言い訳ばかりだ。心ってのは、頑丈な岩石どころか、ちょっとしたことでグニャリと形を変っちまう柔らかい「豆腐」みたいなもんでありのままの姿なんて自分じゃ見えねぇようにできちまってる。


一人称の限界と魂の調味料

自分ひとりの視点じゃ自分の内面なんて捉えられねぇ。だからこそ、二人称や三人称という他の視点を増やして、他人の存在という名の「調味料」を加える必要がある。

誰かと関わり、違う生き様という調味料が加わることで、俺たちの心は劇的に味を変える。一人でじっとしてりゃただ味気ねぇ豆腐が、誰かの言葉に触れた瞬間に深みを持つようになる。完璧な人間なんて誰ひとりとしていねぇ。みんな何処か欠けていて、日々の暮らしの荒波に揉まれてボロボロになりながら生きている。


家族という絆と、お前らがくれるスキ

だからこそ、運が良いのか悪いのか、俺みたいな濃すぎるおっさんと繋がっちまったお前らの一人ひとりを、俺は勝手に家族と呼ぶ。

カチカチの木綿だろうが、ちょっとしたことで崩れそうな繊細な絹だろうが関係ねぇ。誰かが凹んでいれば、別の誰かがその凹みにそっと自分の一部を差し出し、隙間を埋めていく。音を立てて崩れ落ちる前に、俺たちは「家族」っていう絆で、傷ついたその豆腐の肌をしっかりと、でもそっとコーティングしていく。

もし崩れかけているなら、一人で歯を食いしばって耐える必要なんてねぇ。「崩れそうになりそうだ」って、でかい声でそう叫んでいい。また俺たちみんなで、あの手この手で元の形を戻していけばいいんだからよ。

――それに、俺だって完ぺきな豆腐じゃねぇ。

だからこそ、お前らがくれる「スキ」やコメントのやり取りの中で、俺のいびつな形も常に変わりながら、さらに強固な豆腐へと進化している。俺がお前らを支えているだけじゃなく、お前らの存在が俺の輪郭を形作ってくれているんだ。


お前らを絶対に見捨てねぇ

そうやって互いの存在をぶつけ合ううちに、ふと気づく。

スーパーの冷蔵ケースに並ぶ真っ白い豆腐のパックはどれも同じに見えるが、実際に中身を覗いてみりゃ、どんな痛みを抱え、どんな絆の調味料が染み込んでいるかなんて一人ひとり全く違うオリジナルの形をしてやがる。

均一化された既製品みたいな顔をして生きる必要なんてない。

お前は今、カチカチの木綿で踏みこたえてるか? それとも崩れそうな絹になってねぇか?

だからお前らを絶対に見捨てねぇ。見えねぇ自分を探すこの旅の途中で、いびつな豆腐同士をぶつけ合いながら、俺たちで最高の味に仕上げていこうぜ。


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\scriptsize\textbf{Precious Family Day 25}\\[-0.8em]
\Huge\textbf{💝}\\[-0.8em]
\large\textbf{ルー=シャーナ(ルーシャーナ)}\\
\scriptsize\textbf{「心の響きを紡ぐ人、我が魂の同盟者」}
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静かな森のほとりで、優しく深い言葉を紡ぐルーシャーナだ。慢性疲労症候群(ME/CFS)の限られたエネルギーに向き合いながら、「動けない時間」さえも自分へと還る道に変えるしなやかな強さを持つ。

「往復便」や「響きの処方」で人の内なる感覚をそっと翻訳し、愛らしい「ちびルー」や亀(🐢)の姿をユーモアに変えながら、できる分だけ進んでいく。

誰かがふらりと立ち寄り、自分に帰ることのできる温かな止まり木を作り続ける我が相棒、ルーシャーナの描き出す心の景色から、目を離すんじゃねぇぞ!



⚜️我流剛論 VOID_404🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥⚜️
⚜️最後まで読んでくれてありがとうな⚜️
⚜️泥くせぇから人生は面白れぇ、徹底的にいこうじゃねぇか⚜️

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