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プダペストの衝撃👑ドナり川のほずり、Vぱリザベヌト像を前に立ちすくむ

 幎末にハンガリヌぞ旅した。正確に蚀うず、目的地はチェコ、ハンガリヌ、オヌストリアで、各囜二泊ず぀である。盞倉わらず忙しい旅だ。

 ある日、倫のOが、
「冬の旅行はブダペストにしようず思っお」
ず蚀うのを聞いた時、Vは思わず『よしっ! 』ず拳を小さく挙げた。

 Vがオヌストリア皇劃゚リザベヌトオタクであるこずはOもよく知っおいるものの、Oは皇劃に関しおたるで興味がない。
 であるから、ハンガリヌに決めたのも『久しぶりにブダペストを芳光しようかな』ず思ったから決めただけであり、゚リザベヌトゆかりの地であるこずは知らない。䜕たっおOが眺めおいる『地球の歩き方』の䞭欧線、ハンガリヌのペヌゞにぱリザベヌトの゚の字も曞いおない。
 ガむドブックは、旅人に察しお、䞀般的で倧事な情報を茉せなければいけないので、オタクが欲しがるような情報はあったりなかったりするわけだ。それは仕方がない。

 であるので、《目的地ハンガリヌ》の発衚に察しお、Vは喜びを爆発させるこずもなく、平垞心を保぀。䜕なら無衚情で「ぞぇ」ず蚀う。

 しかし、ゞワゞワず゚リザベヌト関連情報をOに掗脳する。
「オヌストリアがハンガリヌを統治しおた時代がある」ずか、「どれだけシシィちゃんがハンガリヌを愛しおいたこずか」ずか、「マゞャヌル語がペラペラだったんだっお」ずか。

 Vは行きたいずころはあるものの、はっきりず垌望を申し出るわけではない。申し出たずころで、二日間では限界がある。どうせい぀ものように忙しい旅行をするのだ。
 䌝えた情報から、いかにOがプランを緎るのか様子芋をする。
 Vが行きたい堎所が旅先ずしお挙がるず、ご耒矎ずしお、少し機嫌良く䌚話をする。
「わぁ、そこ行きたかったの♪」などず、Oを喜ばせるようなこずは蚀わない。ツンデレである。

 ネットを眺めおいたOが、
「メむンはマヌチャヌシュ教䌚ず王宮に行けばいいんでしょ?」ずほが正解に近い答えを出すが、Vの垌望はもう䞀捻り。
「マヌチャヌシュ教䌚ず郊倖のゲデレヌ城。シシィちゃんは王宮よりもそっちがお気に入りで、通算2300日も滞圚したから」
「えっ? そっちでいいの?」ずO。
い぀もVが行きたがるのは、旅の王道から倖れおいお、Oには地味に芋える堎所なのだ。

『あちらこちら旅をしたシシィちゃんが、それだけの日数逗留した城だから!」ずいうオタク的興味による。

 ゲデレヌ城はプダペストから数十キロ離れた郊倖にある。䞀般的には、王宮に行く方が教䌚ずも近いので、そちらをお勧めする。
 
 そしお、ただVにはブダペストで行きたい堎所がある。Oは気づくだろうか?


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 フランツ・ペヌれフ1䞖はオヌストリアハンガリヌ垝囜の囜父ず呌ばれ、囜民から信頌を受け愛された。18歳で即䜍し、圚䜍68幎。
 劻はドむツの王族゚リザベヌト愛称:シシィ
ドむツ、ミュンヘン生たれ1837〜1898 
 ノむシュバンシュタむン城など倚くの城を建おたルヌドノィヒ2䞖は芪戚ルヌドノィヒ䞖の父芪はシシィの埓兄にあたる。

 ペヌロッパ宮廷600幎の歎史は、広倧な領土を支配したハプスブルク家の隆盛の時代である。
 オヌストリア皇劃゚リザベヌト愛称:シシィは、その長い歎史の䞭で、最も矎しい皇劃ずしお名高い。
 ドむツ、ミュンヘンに生たれ、王家の傍流の家系で育った為、郊倖のポッセンフォヌヘンの城で自由な生掻を送っおいたが、姉の芋合い盞手であったフランツ・ペヌれフ1䞖に身染められお、16歳でオヌストリアに嫁ぐ。
 
 実の叔母でもある姑ゟフィヌは、元々自由奔攟に育った゚リザベヌトを疎たしく思っおおり、結婚埌は宮廷のしきたりから始たり、䜕かず゚リザベヌトを悩たせる厳しい接し方をしおいたずいう。

 初産の長女が倭逝したこずを理由に、その埌出産した長男ルドルフをゟフィヌに取り䞊げられる。その頃から゚リザベヌトは䜓調を厩すようになり、暖かい囜での静逊を勧められる。
 それをきっかけに、皇劃は倧きな行事があっおもりィヌンに戻らないこずが倚くなり、半幎を超える長い旅に出るようになるのだ。

 皇劃は、宮廷の生掻に銎染めないたた鬱屈した日々を送っおいたが、その矎しさが泚目されるこずにより、自身の矎しさを意識し、それが歊噚ずなるこずを知り、自信を持぀ようになったずいわれおいる。

 ゚リザベヌトはオヌストリア宮廷は嫌ったが、ハンガリヌを深く愛しおいた。ハンガリヌの自治暩を求める動きを支持しお貢献した。オヌストリアハンガリヌ二重垝囜が成立し、フランツ・ペヌれフ1䞖ず共に戎冠し、ハンガリヌ王劃ずなる。
 
 ゚リザベヌトはハンガリヌ人の気質や粟神に共感し、この囜を深く愛した。勉匷嫌いで知られる皇劃だが、ハンガリヌ語は真剣に孊び、短期間で習埗したずいう。

 亡くなるたでの長い期間、旅をし続けおきた皇劃は、公務を果たさないこずや、莫倧な費甚の浪費に関しお長幎批刀を受け続けたが、ゞュネヌブでアナヌキストに暗殺されるずいう悲劇により、䌝説の存圚ずなったず蚀われおいる。


 オヌストリア、ドむツ、スむスなどには、ゆかりの地が倚く、様々な堎所に゚リザベヌト像が建立されおいる。
 これたで芳おきた゚リザベヌト像は、胞像や立ち姿が倚かった。あどけない少女時代や結婚前の初々しい様子の胞像。
 

故郷南ドむツのポッセンホヌフェン駅前の像
駅舎はシシィ博物通ずなっおいる


 りィヌンのホヌフブルク宮殿のシシィ博物通には等身倧の立像がある。ほっそりずしお矎しい。
 身長172センチ、䜓重は42〜46キロ、り゚スト50センチコルセット䜿甚を生涯維持したずいう。



 ブダペストのマヌチャヌシュ教䌚に眮かれおいる胞像は、オヌストリアハンガリヌ二重垝囜の皇劃ずなった戎冠匏の折の姿である。

マヌチャヌシュ教䌚の皇劃像

 堂々ずした嚁厳を感じられる。この時゚リザベヌト38歳。矎しさの絶頂にあった時期だ。


戎冠匏の衣裳

 こうしお写真が残っおおり、実際の矎しいお顔を知っおいる為に、各地にある皇劃の石像や銅像を眺めおも、䜕か䞀぀物足りなさを感じおしたうのだった。マヌチャヌシュ教䌚の石像も倧倉矎しいが、ご本人の方がずっず若く可愛らしい。

 よく考えおみたら凄いこずだ。絵画にしおも、像にしおも、䜜家の腕で幟らでもモデルの欠点を補えるし、より矎しく䜜るこずができるはずであるけれども、゚リザベヌト皇劃の堎合、本物の方が矎しいのであるから。



この絵はリアル。特城をよく捉えおいる
同じ衣裳の有名な絵画 
戎冠匏。こちらもたいぞん特城を捉えおいお奜感床高し


 ゚ルゞェヌベト゚リザベヌト橋のたもずの公園にあるずいう座像は、戎冠匏から䜕幎か経った幎代の゚リザベヌトの顔のように芋える。
 ネットにはこのプダペストにある像の写真はよく茉っおいるが、補䜜者ず建立の時期に぀いお曞かれおいるものは芋぀けられたけれど、それ以倖の詳しい情報は出おいない。

 戎冠匏の頃の可憐な矎しさずはたた䞀味違っお、颚栌のある矎しさだ。たたこれたで芳おきた立像や胞像ずは趣が違う。
 写真で眺めるず、ハンガリヌ皇劃ずしおの自信ず嚁厳に満ちた、堂々ずしお優雅な姿が衚珟されおいるように感じおいた。
 この像は1900幎に圫刻家ペヌゞェフ・ロヌナにより制䜜された。1898幎に暗殺された゚リザベヌトを、远悌する為に䜜られたものである。

 この矎しい銅像を芳たい、ずずっず思っおきた。ずうずうプダペストに行くのだ。

「゚リザベヌト橋を枡ったずころに像があるんだっお」ずOがネットの情報に気づいたようだ。
 像は䞭心郚から少し離れた堎所であるせいで、実際に蚪れる人は少ない感じがする。情報がずにかく少ない。Oはよく芋぀けたものだ。
『よしっ』Vは再び拳を挙げた。


 ハンガリヌぞ行ったのは旅行四日目ず五日目。この二日間の詳现は埌日の蚘事で。

 ハンガリヌ二日目の午埌、プダペストの街を離れ、これからりィヌンに向かう、ずいうハンガリヌでの日皋の最埌に、埅ち焊がれた銅像ずの察面が予定されおいた。
 街で䞀日過ごしお、ホテルに眮いおあった車に戻った。䜕のこずはない、像のある公園はりィヌンに向かう途䞭にあり、車でないず行きにくいので、単に埌回しにされただけのこずなのだ。Oの挔出ではない。

ただ16:00を過ぎたずころなのに、薄暗くなっおきた。
䞭倮に芋えるのが゚リザベヌト橋


 ゚リザベヌト橋を枡り右折するず、すぐにナビがたた「右方向」を指瀺した。ドナり川沿いに䞋る道が珟れた。
 前日に郊倖のゲデレヌ城に出かけた折にも、この橋を枡ったので、堎所は確認枈みだ。ガヌドレヌルの隙間から公園ず゚リザベヌト像がチラリず芋えたので、ここに間違いない。

 円圢の公園に沿っお、ぐるりず䞋っおいくず、䞀方通行の川沿いの道に合流した。どうやら橋の䞋をくぐった先に駐車堎があるようだ。
 けれどもそこに空きスペヌスがあるかどうか、ずOず話しおいるず、公園の敷地が終わる蟺りの路肩に䞀台車が停たっおいるのに気づいた。公園の芝生ず道路ずの際で明らかにそこだけ道は広く、珍しく停車しおも問題なさそうなゆったりした路肩だ。駐車犁止の暙識もない。こんな堎所は滅倚にお目にかかれない。
 その車の埌ろにOは車を停めた。


 ブダペストも同様に、ペヌロッパの道には驚くほど「路肩」の郚分が少ない。駐車犁止の暙識がいたるずころに䞊んでいる。
 建物ぞの出入り口を陀いた道路の䞡脇が、瞊列駐車のスペヌスになっおいるのが殆どであるし、そもそも道が狭い。逆に広い道は車やトラムの埀来が激しく、短時間停止できるスペヌスなどない。であるから、タクシヌ以倖の䞀般車が、停車するこずができるのは、Pず暙識で指定されおいる限られた堎所だけだ。それも殆ど瞊列駐車。それが嫌なら倧きな駐車堎に入れるしかない。
 旧垂街の道は狭く耇雑な為、迷うこずもある。ほんの少しだけ停止しお、ナビの入力をし盎したい、ずいうようなこずがあっおも、停めるず違反になるようなずころばかりなので、垞に緊匵がずもなう。

「じゃ、行っおきお」路肩に車を停めたOが蚀う。
 ブダペストたで来おいるのに、おたけに芳光客でもなかなか来づらいこの堎所に来おいるのに、Oは車から降りる気はない。
「ちょっず芳おくればいいじゃない?!」ずVが䌝えおも、
「゚リザベヌト皇劃には党く興味がない」ずきっぱり。毎床のこずだ。
 Oは土産物店では、シシィの絵のパッケヌゞの玅茶やお菓子などの品物を芋るず、その郜床「買わなくおいいの?」ず勧めおくる。でも興味は党くないのだ。


 思い出した。以前、スむス、ゞュネヌブのレマン湖に行った時もそうだった。少し暪道ぞ。


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 䞀昚幎の旅の途䞭、Vは湖に倧噎氎が芋え、車がレマン湖の近くを走っおいるこずに気づきハッずしおた。
 「ここたで来たのだから、シシィちゃんが亡くなった堎所にお参りに行く」ず隒いで、向かうこずになったのだった。
 ホテル ボヌ・リノァヌゞュ界隈の芳光地は、レマン湖の倧噎氎の察岞であったので、Oに文句を蚀われた。

 1898幎9月10日、゚リザベヌト皇劃が、レマン湖から200mほどの䜍眮にある、滞圚しおいたホテル 『ボヌ・リノァヌゞュ』を出お、蒞気船に乗る為に船着堎に向かっおいた時、むタリア人アナヌキストに刺されお亡くなった。その刺された珟堎に行った時も、Vが䞀人でその堎に行ったのだ。

 この広いペルル・デュ・ラック公園呚蟺には駐車堎がなく、熱を出しおいたVには、遠くの駐車堎から歩く元気はなかった。
 どうしたものかず思っおいたずころ、皇劃が最埌に滞圚しおいたラグゞュアリヌなホテル『ボヌ・リノァヌゞュ』の前の䞀角に、たたたた停車可胜なスペヌスを発芋したOは車を停め、
「じゃあ行っおきお」
ずその時もOは蚀ったのだった。降りる気れロ。興味がないから。


モダンな蚘念碑 现く長い


 公園にあるデフォルメされたモダンな゚リザベヌト像はすぐ芋぀かった。それを眺めおから、Vは皇劃が亡くなった珟堎に取り付けられおいるずいう、小さなプレヌトを探しお走り回った。

 有名な話であるので、誰に聞いおもわかるだろうず、途䞭にある二軒のカフェで聞いたずころ、「あっち👉」ず二回ずも同じ方向を瀺された。その「あっち」に行っおも説明曞きも䜕もない。
 20分ほど走り回っお、ずうずうVは船着堎近くの柵の倖偎、湖に向かっお匵り出しお取り付けられおいる小さなプレヌトを発芋し、その前の歩道に手を合わせおきたのだった。


やっず芋぀けた‥‥わかりにくすぎる


巊にレマン湖の倧噎氎が芋える


 ゚リザベヌトを殺害した、スむスに䜏むむタリア人アナヌキスト、ルむゞ・ルケヌニは、元々フランスの王䜍継承候補のアンリ・フィリップ・マリヌ・ドルレアンオルレアン公を狙っおいた。貧しい生い立ちで、皎金で豊かに暮らす王族を恚んで犯行を蚈画しおいたずいう。
 しかし、オルレアン公は既に前日にスむスを立ち去った埌であった為、たたたた新聞に報じられたこずで、゚リザベヌト皇劃が滞圚しおいるこずを知っお、殺害の矛先を倉えた。
 殺す盞手は、王族であれば誰でも良かったのだ。悲劇だ。
 

『゚リザベヌト皇劃ゞュネヌブに滞圚䞭』ず報じられた蚘事


 ゚リザベヌト皇劃はコルセットで身䜓を締め䞊げおいた為か、ルむゞ・ルケヌニ手補の现いやすりで胞を刺されたにも関わらず、人ずぶ぀かったずしか思わなかったずいう。船の出航時間が迫っおいた為、皇劃は立ち䞊がっお船に乗る。
 しかし傷は肺たで達しおおり、出航埌しばらくしお、出血倚量で皇劃は気を倱う。傷が小さかった為に、お付きの女性は皇劃の服を緩めるたで出血に気づかなかったずいう。
 船は船着堎に戻り、滞圚しおいたホテルに運び蟌たれた埌、皇劃は息を匕き取ったのだった。

 長男ルドルフが皇倪子ずしおの立堎に苊しみ、17歳の愛人マリヌ・ノェッツェラず心䞭したマむダヌリンク事件の埌、悲しみに暮れた皇劃はそれ以埌生涯喪服しか着ず、自らも死を望む発蚀を繰り返しおいたず、嚘マリヌ・ノァレリヌが話しおいる。
 死因こそアナヌキストによる殺害ではあるが、皇劃は殺害される恐怖も、死の恐怖も意識するこずなく、倩に召されたのだった。

 
 レマン湖のほずりは、このような悲劇の舞台であるこずを、VはOに繰り返し話しおいたのだが、党く興味を持たれるこずもなかった‥‥Vが興味を満たせば、Oはそれで完結なのだ。
 どうせならホテル内を芋孊しおお茶を飲んだり、廊䞋の遺品の展瀺も芋たかったけれど、シシィ博物通の展瀺でいいや、ず諊めるこずにした。熱もあったので。


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 話は暪道からブダペストに戻る。
 ドナり川のほずりで、車を停めたOから
「じゃあ行っおきお」ず声をかけられ、レマン湖の時ず同じだ、ずVは思い぀぀、
「行っおくる! 」ずスマホだけ握りしめお、公園に走っお行った。

 数十メヌトル進んだ先に、゚リザベヌト皇劃像の埌ろ姿が芋えた。
 時半近くなり、少し暗くなりかけた公園には誰もいない。街灯も点き始めた。
 おそらく昌間であっおも、この堎所には車で芳光する、それも゚リザベヌト掚しの芳光客以倖は殆ど来ないだろう。䞭心地から離れた堎所である䞊、呚囲に橋以倖は䜕もなく、公園に像があるだけなのだから。
 ネットで怜玢すれば、この像の写真はよく芋られるけれども、Oの持っおいるガむドブックには掲茉されおいない。
 敢えお『゚リザベヌトゆかりの地巡り』をしようずする人以倖は、恐らく来ようずは思わないだろう。
 ブダペストのメむンの芳光地は、ドナり川の向かい岞、ブダ偎の王宮の䞘や囜䌚議事堂などのある地域なのだ。

 
 䞞い公園には、像を眺められるように、少し離れた䜍眮にベンチが半円を描いお䞊べられおいる。
 誰もいない公園、V䞀人で像ず察面できる!  ã‚·ã‚·ã‚£ã¡ã‚ƒã‚“に䌚える!
 シシィちゃんの生たれ故郷、南ドむツのポッセンホヌフェンに行った話をしようか、レマン湖に行った報告をしようか。

「うわ〜💓綺麗!!!」
ずVは興奮しお像の正面に回り蟌み、優矎な像の党䜓を眺め、溜め息を挏らした。思ったよりも倧きく、本圓に矎しい。
 これたで芋おきた皇劃の座像は、皇劃がお行儀良く、怅子にスッず腰掛けたものばかりだった。それが、今目の前にある銅像は、これたで芋た䞭で最も倧きく、圫刻のある怅子にゆったりず斜めに腰掛け、裟が倧きく広がる優雅なドレスをたずった゚リザベヌト皇劃の堂々たる姿である。

 䟋えるならギリシャ神話のような芞術的な矎しさ。手の動きを芋おも、誰かず䜕かを語り合っおいるその䞀瞬を捉えたような、動きのある、物語を感じるデザむンだ。



 正面から䜕枚か写真を撮り、Vぱリザベヌト皇劃が斜め䞋を芋䞋ろしおいる偎に移動した。
 ぀たり゚リザベヌト皇劃ず向き合う䜍眮に立っお芋䞊げたのだった。


        そしお‥‥目が合った


 その瞬間、頭のおっぺんから衝撃が走った。
『うわっ💊💊💊』
声も出ず動けない。人生で初めお足がすくんだ。背䞭に寒気が走る。

 睥睚する皇劃の芖線、その堎に凍り぀いたようになっお、どうすべきかわからなくなったVの口から出た蚀葉は、
「さっき『シシィちゃん』なんお気楜に呌んでごめんなさい💊」
であった‥‥子どもの蚀い蚳のようだ。でも他に䜕も蚀葉が出ない。

 畏怖の念?  äœ•だかそれずも違う気がする。
䜕だろう‥この怖さは
 これたで銅像、圫像は山のように芋おきたけれど、怖いなどず思ったこずは䞀床もない。霊感だっおない。
 実圚したリアルな人物の銅像も、グロいギリシャ圫刻も、悲痛なキリスト像もいろいろ芋おきた。でもこんな経隓は初めおだ。

 その時感じたこずは、顔がリアルすぎる、ずいうこずだった。矎しい皇劃の肖像画は沢山残されおいるが、やはり絵であり、画家の䞻芳が入っおいお完璧な写実ではない。
 しかし皇劃の矎しい写真は倚く芋られるので、本圓のお顔はわかっおいる。

 幎霢を重ねおからは、容貌が衰え始めたこずを意識しお、皇劃は人前で顔を晒すこずや、人ず䌚うこずそのものも避けおいた。
 であるから、それ以降に描かれた肖像画は、画家の芋た写真や絵の過去デヌタから導き出した想像画なのである。


亡くなる前の姿の肖像画。
新聞に掲茉された写真を元に曞かれたず蚀われおいる
お顔は50代前半くらいの時期を参考にしおいるように芋える



 銅像に関しおは、写真が残されおいる時代の人なのだから、もっず䌌た顔にできるはずなのに、ずい぀も思っおいた。
 この目の前の銅像は、写真の皇劃の顔立ちずそっくりで矎しい。頬が少し痩せおいるので、おそらくハンガリヌ皇劃になっおからしばらく経った頃、40代半ば以降のお顔のむメヌゞだろうか。円熟味ず凄みの増した、倧人の皇劃の姿ずVは捉えおいた。

 それはそれずしお、ずにかく怖い‥‥Vは足がすくんだたた、どうにか目線を倖しお、茫然ず像の正面に足を匕きずるようにしお戻る。
 どうしよう‥‥怖い‥‥でももう二床ずここには来ないかもしれない。‥‥お願いするしかない。

「写真を撮らせおいただきたす。すみたせんっっっ
宜しくお願いしたすっっっ」
 ブダペストたで来お、䞀人で䜕を蚀っおいるのだず思い぀぀、本圓に他に蚀葉が出ないので仕方ない。
 Vはこんなに泡食った自分を知らない。酷い。

 背筋をザワザワさせながら、目が合う䜍眮にも移動しお、目線を少し倖し぀぀撮圱した。
 20枚くらい撮ったずころで、満足した。もう少し遅い時間だったら、暗くなりすぎお衚情も芋えなかっただろう。
 りィヌンに戻る前、ブダペストに別れを告げるこのタむミングで、念願叶っお皇劃像に䌚いに来れお良かったのだ、ず思う。
 昌間だったら、もしかしお他の芳光客もいお、皇劃像ずの察話もできなかったかもしれない察話ずいうより、蛇に睚たれた蛙のお詫びのようだ。

 皇劃像に向かっお、別れのご挚拶をする。
「ありがずうございたした。皇劃が愛したブダペストに来るこずができお、ここでお目にかかれお良かったです」
 像を芋䞊げるず、たたゟクゟクが蘇る。目線はもうずおも合わせられなかった。ずにかくここから早く離れねば、ず本胜が叫んでいる気がした。
 そうしお挚拶をしたものの、
「たた来たす」ずは蚀えなかった。

 ブダペストはずおも玠敵で、たた来たいけれども、䜕か耇雑な思いがした。
 瀟亀蟞什銅像に?でもいいから「たた来たす」ず像に向かっお蚀うべきではないかず思ったものの、背筋のゟクゟクがそれを阻んだ。
 
 結局、
「お邪魔したしたっっ! 倱瀌したすっっっ」
ず頭を䞋げお、逃げるようにVは立ち去った。

 振り返らずに、公園を抜けた。絶察に振り返っおはいけない、ずいうギリシャ神話のオルフェりスの悲劇を思い出しおいた。
 地䞊に出るたで決しお振り返っおはならなかったのに、䞍安で振り返っおしたっお氞遠に劻を倱ったオルフェりス。

 これを思い出しながら、走っお車に戻ったV。

 それからりィヌンに戻るたでの2時間半、皇劃がこちらを芋䞋ろす顔を思い出す床に、Vは党身に鳥肌が立った。

「怖かった〜💊💊💊怖いっおいうか‥‥䜕だかわかんない〜💊💊💊」
ず、Oにこの時の様子を喋り続けた。


O「わざわざ䌚いに来おくれお、シシィちゃんは喜んでくれたんじゃない?」
V「喜んでたずは思えない‥」
O「暗くなりかけおいたから怖かったんじゃない?」
V「今たで暗い䞭で銅像を芋おも、怖いず思ったこずない‥‥」


 皇劃はオヌストリア宮廷を毛嫌いしたが、ハンガリヌを心から愛し、尜力し、人民からも倧倉愛された。熱心にマゞャヌル語も孊び、短期間で話せるようになっおいた。

 オヌストリアを離れ、自由を求めた長く続く旅の日々ずは違い、皇劃ずしお公の立堎で、自分の意志でハンガリヌには長く滞圚したのだ。
 亡くなった埌、皇劃の魂はブダペストに垰ったのかもしれない。人の念ずいうものは、人生の䞭で最も倧切にしおいた地に戻っお行くものなのかもしれない。

 ‥‥Vのあの衝撃は、改めお゚リザベヌト皇劃の成熟した矎しさに魅入られた、ずいうこずだろうか。真の畏怖の念ずは、あのような状態になるものなのだろうか。雷に打たれたような、ずよく蚀うけれど、それにも近い気がする‥‥
 

 Vはい぀たでも考え続けた。



               —了—



【次回予告】
次回はプラハ、りィヌン、プダペストからたたりィヌンに戻った旅をお届けしたす🎶
この移動ず日皋がたた‥‥お楜しみに(^-^)

いいなず思ったら応揎しよう