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2026年9月9日の日記「ちいかわと非言語」

 少し前の話だが、ほぼミリしら状態で『ちいかわ』の映画を観た。そんで見事にやられてしまった。面白い。正直舐めてた。浅薄な流行り物だと思ってた。いや、流行り物こそ、現代人の抱える病理や欲望が一番よく反映される筈なのだ。ちいかわはまさしく我々の「現実」だった。あれはリバティ、ユートピアのパロディ。

 何が一番驚いたかって、ちいかわたちのコミュニケーションがかなり「非言語」に寄っていること。なにせ主人公のちいかわが「ア……」とか「ヤーッ」とか「イヤッ」みたいなことしか喋らない。映画で重要なパートを担うヒトハとフタバも、言葉を喋らない。ほとんどうめき声で演じている。あの重い物語を。この映画、めっちゃ凄い表現を目指してないか?

 それと、あとから気づいたことだが、言葉を喋るキャラのほとんどが「一人称」を使わない。ハチワレは自分のことを指して「僕」なんて言わない。それと、ちいかわのことを指して「きみ」とか「ちいかわ君」とか呼ばない。パーソナルな名前が作中で全然発語されないのだ。そもそも「ちいかわ」は「なんか小さくてかわいいやつ」の略称であり、彼の固有の名前ではない。「ハチワレ」も「うさぎ」も、模様とか種族の呼び名であって、固有の名前は(今のところ)存在しないし、「ラッコ」「くりまんじゅう」「シーサー」「モモンガ」も同様。「古本屋」は役職に過ぎない。

 ただ、「島二郎」だけは固有の名前があり、しかも「俺」という一人称を劇中で使っている。名前の有無と一人称は相関してるのか? セイレーンはどうだったっけ。思い出せない。そもそもセイレーンは種族名か。

 言語化ブームが吹き荒れる昨今において、大衆の支持を集める流行の話題作が、こんなにも「非言語」「非人称」に寄った表現をしているという事実は面白い。言語化ブームに対するバックラッシュとも考えていいのか?

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 非言語の演技による奥行きと深みを追求することに挑戦した作品で、私が思い出すのは北野武(ビートたけし)の『あの夏、いちばん静かな海。』という映画だが、これは主人公の男性とヒロインが共に聾唖者であり、物語のほとんどが非言語コミュニケーションで進行する。画期的な作品。音楽は久石譲。本当に良い映画なのでもっと知られてほしいが、配信されてないようです。


 余談だが、私は「精神的にまだ未熟な若者が、世の中の不条理に対する怒りを上手く言語化できなくて、激情に呑まれてしまう」というシチュエーションが好きだ。

 たとえば、漫画『金魚王国の崩壊』の主人公・女子小学生の藤代ミカゼが、大量のバッタの足をもいだクラスメイトに対してブチ切れるシーン。

 主人公は、金魚を飼い始めたことをきっかけに、食卓に供される魚料理が食べられなくなってしまう。「大切にすべき生き物」と「食べていい≒殺していい生き物」が、人間の勝手な都合で分けられているという不条理に耐えられなくなってしまったのだ。

 そんな中、ミカゼのクラスメイトの男子が、「これは俺が捕まえたペットだぞ(だから俺の自由にしていい)」と豪語し、大量のバッタの脚をちぎっていたという事実が発覚する。それを目の当たりにしたミカゼは以下のように叫ぶ。


おまえ……

おまえーっ

人間がなーっ

バッタをなーっ

ゆるさーん

『金魚王国の崩壊』第2話より http://www.goldfishkingdom.client.jp/02.html


 この絶叫の直後、ミカゼはクラスメイトに襲いかかり「お前の腕をちぎってやる」と言い放つ。激情を上手く言語化できず、すべて暴力に変換されてしまう瞬間。名シーン。

 もうひとつ例を挙げると、Zガンダムの主人公の少年・カミーユが、戦争と人殺しを愉しんでいる敵パイロット・ヤザンに対し感情を爆発させるシーンの台詞。


遊びでやってんじゃないんだよー!!

生命(いのち)は、生命は力なんだ。生命は、この宇宙(そら)を支えているものなんだ。

それを……それを……こうも簡単に失っていくのは……それは……それは、酷いことなんだよ!!

何が楽しくて、戦いをやるんだよ!

貴様のような奴はクズだ!生きていちゃいけない奴なんだ!!

『機動戦士Ζガンダム』第49話「生命散って」より


「それを……」とか「それは……」の所が秀逸で、言葉が上手く出てこない感じが全力で表現されていて良い。そしてカミーユも、暴力を暴力で返すという、終わりのない復讐の連鎖に身を投じていくことになる。

 ◇

 私は決して「アンチ言語化」を標榜したいわけではない。しかし、大島育宙が近著の『なぜあなたの感想はふつうなのか』で指摘した通り、最近の「言語化」は「金儲け」と近づき過ぎている、とは思う。収益化とか、登録者数とか、いいね数とか、そういう概念と「言語化」は相性が良い。良すぎる。

 資本主義社会で生きている以上、金儲けの全てを否定することは勿論できない。できないが、金や数字に囚われると言語活動や表現は確実に痩せ細るし、やがて腐敗する。

 それと、星の王子さまも言ってるじゃないですか。「本当に大切なことは目に見えない」って。本当のことって、目に見える数字とか言葉では表せられない部分に宿るんじゃないかと最近はよく考えてしまう。ちいかわたちのうめき声を聞くと、そんな思いに駆られるんです。言語化できてないけれど、ここには魂のうめき声がある、って。


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