私が「転倒」ではなく「違和感」を書く理由
転倒は突然起きるように見えます。
でも現場では違いました。転倒する前から、小さな変化が始まっていることがありました。
毎日見ているから、気づきにくい
家族は毎日そばにいるからこそ、変化に気づきにくいです。
昨日と今日の差は小さすぎて、目に入らない。でも半年前と比べると、何かが違う。その「何か」を言葉にできないまま、「最近なんか心配で」という感覚だけが残ります。
私が現場で見てきたのは、「言葉にならない違和感」でした。
転倒の前に、親はサインを出しています
壁を触りながら歩くようになった。
箸を食事中に落とすことが増えた。
お風呂の敷居をまたぐ前に、一瞬止まるようになった。
どれも小さなことです。「年のせいかな」で片付けられてしまうことばかりです。でも私にはこれが、転倒の前に体が出しているサインに見えます。
転倒という出来事ではなく、その手前にある日常の変化。その変化を伝えたいという思いです
私は少しの変化をこう見ています
ある人は転倒を見ます。ある人は筋力低下を見ます。
私は「その人らしい生活が、少しずつ変わっていくサイン」
壁を触るようになったのは、廊下を歩くことへの不安があるのかもしれない。箸を落とすことが増えたのは、食事中の手の使い方や注意の向け方など、何かが変わってきたのかもしれません。止まるのは、またぐという動作に迷いが生まれたということ。
それは老化の話ではなく、その人の暮らしが今どこにいるかという話です。
次に親と会うとき、「大丈夫かな」という目ではなく「以前と違うことはないかな」という目で見てみてください。
大きな事故の前には、小さな違和感があります。その違和感に気づくことが、転倒について考える最初の一歩になります。
最後に
現場で働く中で、小さな変化が見逃されたまま
転倒や怪我につながるケースを何度も見てきました。
「なんとなく心配」という言葉にならない違和感を、
記事を通して少しずつ言葉にしていきます。
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