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「期待しない方がいい」って本当?

「期待するから傷つくんだよ」

一度は言われたことがあるんじゃないだろうか。あるいは、自分でそう言い聞かせたことが。

期待しなければ、裏切られない。がっかりしない。傷つかない。
「他人に期待しすぎるな」という言葉もよく聞く。
そんな「期待アレルギー」が、じわじわと広まっている気がする。

しかし、苫米地英人さんの『「感情」の解剖図鑑』には、そんな通説とは違う「期待」の考え方が載っていた。この記事では、本書をベースに、期待アレルギー時代における幸せな期待の仕方について考えていきたい。


期待とは、未来に希望を置くこと

期待しているとき、身体では何が起きているか。
まず、脳内で、ドーパミンが分泌される。そしてその後、セロトニンが出る。
つまり、期待している最中そのものが、楽しくて幸せな状態だといえる。

コンサート前夜のそわそわ。新曲発表前の「どんな曲だろう」というわくわく。セトリ予想が外れても「まあそれはそれで!」と笑えるあの感じ。
推し活をしている人ならわかると思う。「まだ聴いていない」状態が、実は一番幸せだったりする。

期待とは、未来に希望を置くことだ。そしてその時間そのものが、すでに豊かさである。


自分の未来に、もっと期待していい

期待アレルギーのこわいところは、他人に傷つけられないようにしているうちに、自分の可能性にも蓋をしてしまうことだと思う。
「どうせうまくいかない」「また失敗するかも」——そう思って、期待することをやめてしまう。
でもそれは、脳がドーパミンを出すチャンスを自分で潰していることでもある。

期待は、自分の未来を広げる行為だ。
本書にはこう書いてある。期待とは、常に未来に希望を抱くことであり、現状の外を見ることだ、と。
今すぐ実現できるかどうかは関係ない。今の自分には無理に見えることでも、未来がどうなるかは誰にもわからない。だから、期待することに遠慮はいらない。
「そんな大それた夢」と笑われても、気にしなくていい。期待は、今の自分の限界の外を見るための行為だから。

なにより、期待する先があると、日々の行動が変わってくる。脳は、向かうべき方向があるとき、そこへたどり着くための情報や行動を自然と選び始める。
「なんとなく毎日」と「あの未来に向かっている毎日」では、同じ一日でも密度がまったく違う。
期待することは、夢想じゃない。未来から逆算して、今の自分を動かす力だ。


「期待通りにいかない」のは、むしろラッキー

さらに本書には、こんなことも書いてある。
期待通りに進めばラッキー。では期待通りにいかなかったら?それは「もっとラッキー」だ、と。
なぜなら、思い通りにいかない分だけ、期待して待ち受ける時間が増えるから

読んでいて、なるほどこれは面白い逆転の発想だと思った。

ひとつだけ、気をつけることがある。
「期待通りにいかなければならない」と思わないこと。がっかりしたり、自分を責めたりしないこと。
期待は不確定な未来に向けるものだから、外れることもある。それはそういうものだ。
外れたときに「ラッキー」と思えるかどうかが、期待を味方にできるかどうかの分かれ目だ。 


コーチは、期待を操る強い味方

夢や期待することに対して、他人にとやかく言われる筋合いはない——本書にもそう書いてある。その通りだと思う。
でも、1人で信じ続けるのは正直しんどい。今の時代、スマホを開けばすぐに「現実的に考えると」「それは難しい」という声が目に入る。SNSには他人の正論があふれていて、気づけば自分の期待が小さくしぼんでいる。

そんなとき、コーチの存在は大きいと思う。
クライアントが「どうせ無理かも」「現実的に考えると……」と言い始めるとき、その人は自分の未来への期待に、自分でブレーキをかけているとき。
コーチの仕事は、そのブレーキを外す問いを投げることだ。

「もしそれができたとしたら、どんな感じがしますか?」
「今の制限がなかったとしたら、何を望みますか?」

そうやって、まだ見ていない未来をリアルに感じてもらう。
期待するのはコーチじゃない。
クライアント自身が、自分の未来を期待できるようになる。それを一緒につくっていくのが、コーチの仕事だ。
自分の未来に期待することは、1人でしなくていい。

期待は、自分への応援。

「期待しない方がいい」?そんなことない。
期待していい。むしろ、もっと期待していい。「こうでなきゃいけない」という決めつけさえしなければ。

これを読んだ今、あなたの頭にはどんな期待があるだろう。
勇気を出して、その期待に向き合ってみよう。

参考文献:苫米地英人『「感情」の解剖図鑑』​​​​​​




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