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『モモ』を読んで気づいた、「時間を節約する」という考え方への違和感
「時間を節約しましょう。」
私たちは毎日のように、この言葉を耳にします。
便利な家電、時短レシピ、効率的な仕事術。
時間を節約できることは、良いことだと考えるのが当たり前になっています。
私も以前はそう思っていました。
けれど最近、『モモ』を読み返していて、ふと立ち止まりました。
本当に、時間は節約するものなのでしょうか。
私は休日になると、庭で野草を摘んだり、発酵食品を仕込んだりしています。
ドクダミを乾かし、梅を漬け、塩麹を混ぜる。
そこには「急ぐ」という選択肢がありません。
発酵は、人間の予定に合わせて進むものではないからです。
毎日少しだけ様子を見て、香りの変化を楽しみながら待つ。
その時間は、一見すると何も生み出していないように見えるかもしれません。
でも、不思議と心は満たされていきます。
考えてみると、野草も同じです。
春には春の草が芽吹き、夏には夏の香りがします。
どんなに急いでも、季節を早送りすることはできません。
自然は、いつも自分の時間で生きています。
だからこそ、私たちはその流れに身を任せるしかないのです。
『モモ』の中で奪われていたのは、時計の針ではありませんでした。
人が誰かと語り合い、花を眺め、ゆっくり生きる時間だったように思います。
効率よく生きることは大切です。
けれど、効率だけでは手に入らない豊かさもあります。
野草や発酵を通して私が教えられているのは、「時間は節約するものではなく、育てるものなのかもしれない」ということです。
そして、そのことをもう少し深く考えてみたくなりました。
いつか『モモ』と発酵、そして日本人が昔から大切にしてきた「時間の感覚」について、もう少しゆっくり書いてみたいと思います。

