発酵する時間〜『モモ』とAIのあいだで、私が考えたこと
第一章 AIは待てない。私は待てる母親になれただろうか。
最近、私はAIと話す時間が増えました。
質問をすると、数秒で答えが返ってきます。
文章を書いてくれる。
アイデアを整理してくれる。
知らないことを教えてくれる。
その速さには、何度使っても驚かされます。
私たちは今、とても便利な時代を生きています。
検索するより速く、人に聞くより正確で、ときには自分で考えるより整理された答えが返ってきます。
AIは「待つ」という時間を、どんどん短くしてくれています。
それは間違いなく、人類にとって大きな進歩なのでしょう。
私もその恩恵を受けています。
けれど、ある日ふと思いました。
AIは、待てるのだろうか。
もちろん、技術の話ではありません。
人が育つのを待つこと。
花が咲くのを待つこと。
悲しみが癒えるのを待つこと。
誰かが、自分の言葉で話し始めるのを待つこと。
そういう「待つ」です。
私はシングルマザーとして息子を育ててきました。
小さな頃は、毎日が慌ただしく過ぎていきました。
朝起きて、お弁当を作り、仕事へ行き、保育園へ迎えに行く。
夕食を作り、お風呂に入り、本を読んで寝かせる。
時計ばかり見ていたような気がします。
時間が足りない。
もっと時間があれば。
もっとお金があれば。
そんなことばかり考えていました。
だから私は、「早く」が好きでした。
早く大きくなってほしい。
早く一人でできるようになってほしい。
早く安心したい。
そんな気持ちが、心のどこかにありました。
でも、親というものは不思議です。
子どもが少し大きくなると、今度は別の「早く」を願うようになります。
早く勉強を好きになってほしい。
早く自分の将来を見つけてほしい。
早く落ち着いてほしい。
その「早く」は、愛情から生まれているのだと思います。
でも、愛情という名前を借りた不安でもあったのかもしれません。
息子が中学生になった今、その頃を振り返ることがあります。
あの子は、私の予定どおりに育ったでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。
成長には波があります。
ぐんと伸びる時期もあれば、立ち止まって見える時期もあります。
勉強が楽しい日もあれば、ゲームばかりしている日もあります。
親は、そのたびに心が揺れます。
「このままで大丈夫だろうか。」
その問いは、何度も何度も私の中に現れました。
そんなとき、私は数字を見ます。
テストの点数。
偏差値。
順位。
周りの子と比べてしまう自分もいました。
数字はわかりやすいからです。
安心も、不安も、数字は一瞬で教えてくれます。
でも、その数字を見つめているときの私は、本当に息子を見ていたのでしょうか。
それとも、未来への不安を見ていただけだったのでしょうか。
最近、『モモ(ミヒャエル・エンデ)』を読み返していて、そんなことを考えるようになりました。
時間泥棒は、人々から時間を奪いました。
でも、本当に奪われたものは「時間」だけだったのでしょうか。
私はむしろ、「待つ力」が奪われていたのではないかと思うのです。
待つことは、何もしないことではありません。
相手を信じることです。
目には見えない変化を信じることです。
春が来ることを信じるように。
発酵が進むことを信じるように。
子どもにも、その子だけの季節があることを信じることです。
私は母親として、その「待つ」ということができていただろうか。
その問いは、今も私の中で静かに続いています。
そして、その答えを教えてくれたのは、一冊の本でも、教育書でもありませんでした。
庭の片隅で静かに育つ野草と、小さな瓶の中でゆっくり熟していく塩麹です。
発酵は、時間をかける技術ではありませんでした。
時間を信頼する技術だったのです。
この気づきは、やがて私の子育てや、AI時代の人間らしさについての考え方まで変えていきました。
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