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2025年6月27日の死刑執行について想うこと


止められない死刑執行

 2025年6月27日に元死刑囚の白石隆浩の死刑が執行された。(※1)死刑執行を命令した法務大臣鈴木馨祐は、なぜ白石が死刑執行の対象となったのかについては、答えられないとして次のように述べている。

なぜ白石隆浩を今回選んだのかということですが、個々の死刑執行の判断に関わる事柄については、申し訳ありませんが、お答えを差し控えさせていただきたいと思っています。

(死刑執行に関する)法務大臣臨時記者会見の概要

また、記者から白石が再審請求を行っているのか、死刑の告知をいつしたのか、その在り方はどうなのかといった質問に対しても、答えを差し控えたい、といったものであり、死刑執行のプロセス自体が一切明かされないという「知らしむべからず」の態度に終始した。(※2)

 特に、白石が再審請求をしているのかについて答えられないとの鈴木のスタンスについては、再審制度の見直しの議論において、再審請求があった場合、刑の執行を停止するべきとの指摘があるにもかかわらず、再審請求の有無について大臣が回答をしないというのはおかしいという質問があった。にもかかわらず、鈴木はこの指摘について以下のように回答をした。

 先ほど来申し上げていますように、個々の執行の判断の中で、これも一般論ですが、当然のことながら、精査した上で、再審事由の有無について慎重な検討を行い、それがない場合に、死刑執行命令を下しているところです。そして、再審請求中であることは刑事訴訟法上、死刑の執行停止事由とはされていない。これはおそらく御承知のとおりです。
 そういった中にあって、今の現状ということで申し上げれば、やはり、先ほど来申し上げていますように、凶悪な犯罪が後を絶たない中で、国民の皆様方の間においても、そうした凶悪な事案については、死刑執行もやむを得ないといった世論も示されている状況です。そうした状況の中で今回、慎重な判断を下した結果として、死刑執行命令を下したという状況ですので御理解いただきたいと思います。

(死刑執行に関する)法務大臣臨時記者会見の概要

死刑確定囚の再審請求については、再審請求における冤罪の可能性、量刑の妥当性といった死刑制度の根幹にかかわる問題をはらんでおり、その意味からしても、鈴木はまともに回答をすることができなかったものと推察される。質問をした記者は答えになっていないとして、再度同じ質問をした。再質問に対して、鈴木は次のように回答をしている。

 それぞれ再審請求をしているのかどうか、その事実自体を公表されたくないと考えておられる場合もあります。
 そういったことを考えれば、死刑確定者あるいは被害者の御遺族の方々の感情を害するおそれもあるということで、これまでも差し控えさせていただいたことであり、現状においても私は変わらないと考えています。

(死刑執行に関する)法務大臣臨時記者会見の概要

 しかし、これもなぜ死刑確定囚が再審請求の可否について事実を公表されたくないと考えている場合があるとしているか、個別具体的理由への言及がなく、実情がどうなのかについて回答をしていない。死刑確定囚、遺族感情を害するとの主張についても、再審請求の権利行使の可否を心情論を理由にして、個別具体的な理由への言及をしていないものである。鈴木のこうした姿勢は、十把一絡げに死刑確定囚、遺族はこういうものだと決めつけるステレオタイプ的なものである。鈴木の回答からは、本当に個々の死刑確定囚、遺族のことを考えているのかとの疑念を抱く。

フォーラム90主催死刑廃止執行再開抗議集会に参加して

 白石隆浩の死刑執行を受けて、死刑廃止団体フォーラム90は、2025年7月25日に文京区民センターで抗議集会を行った。(※3)私も途中から開場に赴いた。司会者は、当初は死刑執行がなされないことを考察する集会であったとのことだが、死刑が執行されたので急遽抗議集会に変更をしたと会場の参加者に説明をしていた。当初は韓国における死刑執行の停止状況についての考察として、東国大学教授の朴秉植による講演を予定していたが、講演に加えて、死刑執行の抗議集会が行われたようである。

 講演者の朴は今回の死刑執行再開について、死刑執行に抗議する側の問題点として4つの点を指摘した。

 第1に死刑執行に対する抗議が法務大臣あてになっているが、任命権者である総理大臣の見解を問うべきあると指摘したことである。確かに、死刑に対する執行が止められないというのは、そもそも政府として死刑を存置するということを前提にしているからと言える。総理大臣への抗議がないということは、政府見解を質すという視点がないという視点に欠けているという点で問題であろう。

 第2に死刑執行に関する情報公開によって死刑廃止の動きを求める動きがあるが、死刑執行が刑務官が行うという人任せの要素があるという意味では、情報公開ということでは世論は変わらないとのことである。この点については、アメリカにおいて死刑に関する情報公開がなされていても、死刑存置州において死刑執行が停止されていないことを踏まえての見解であろう。

 第3に日本のメディアは死刑について、検討、議論をせよと主張をして、死刑存置、死刑廃止の両論併記のスタンスで臨んでいるが、この姿勢は様子見で死刑を考えているしか思えないと語る。今回の死刑執行について言及しているメディアとしては、東京新聞の2025年7月15日の社説がある。ただし、本文中で「人権上の懸念が拭えない」、タイトルに廃止への歩み止めるな」と死刑が人権に反していること、また、廃止するべきとの方向性を打ち出してはいるものの、廃止、執行停止をはっきりと打ち出しているわけではない。(※4)世論の反発を恐れて抑制的になっている様子がうかがえる。

 第4に死刑廃止派の政治家を増やすとあるが、抗議集会に参加をしている人たち自体が顔なじみの人たちばかりで新たな参加者がなく、若い世代の参加者がいないと指摘する。確かに周りを見ても、若い世代の人はなく、周りは高齢者が多いという印象を持った。

 関連して、講演後の抗議集会において、関係者からは国会議員に死刑廃止を説いても選挙で落選することを恐れる国会議員も多く、死刑廃止議連に参加している国会議員でも参加していることを口外しないように主張するケースもあるとの報告があった。死刑廃止に理解を示す政治家を増やすには、私たち自身が、なぜ死刑が問題なのか、秩序に逆らう者を粛清するというシステムが許されるのか、犯罪が起こらないようにするためにどうするか、また犯罪の被害者遺族となった人たちが社会から孤立している現状を死刑執行、厳罰化によってカタルシスを得るやり方がいいのか、ということに正面から向き合うことが必要である。

死刑について私たちはどう思っているのか

 多くの人たちにとって死刑は他人事であり、関心がないという現実がある。今回の死刑執行は、参議院選挙が1ヵ月後に迫った段階で行われたにもかかわらず、死刑執行や死刑制度の是非が選挙の争点になることはなかった。また、死刑執行が国会閉会中に行われており、国会でなぜ死刑執行が行われたのかという質問やそれに対する政府答弁を行うという議論を避けた形となっている。このことも先に述べた「知らしむべからず」の姿勢につながっていると言えるだろう。日本の死刑執行は議会制民主主義の理念からも外れたところにある。

 私は何度となく、死刑に関する問題に言及をしてきた。(※5)死刑に関する問題に言及しなくてもいいような社会であってほしい。また、その思いだけに留まらず実際に行動していきたい。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1)

(※2) (※1) 同

(※3)

(※4) 東京新聞 2025年7月15日 P5

(※5)


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