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近代天皇制に関する考察(後編)

 前回は近代天皇制について、当時の人たちが国家、天皇を相対化して客観的に考察をするという考えに至らない構造であったこと、それは、明治において議会設置を求めるべく行動をした自由人権運動を担った人たちにも当てはまることなどについて、菅孝行、丸山眞男の主張から考察をしてまいりました。
 今回の記事では、その結果として戦前における日本の政治家の責任意識が欠如するに至ったこと、また、現在においても近代天皇制の問題点がまだ残っていることについて、具体的事例を交えて考察して参りたいと思います。


天皇制国家主義の特徴

無責任の体系

 近代天皇制における政治家の政治に対する責任意識はどのようなものになるのであろうか。丸山眞男は東條英機が国会で、自分は天皇の信任によって首相にあることではじめてその地位が正当化され、それがなければ石ころにも等しいと答弁したことに注目し、以下のように評している。

 自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である。(促音は原文では大文字)

丸山 前掲 P25

丸山は、近代天皇制が、政治家が天皇の信任という正当性によって政治を行うという大義名分であるため、たとえ政治家が抑圧的な政治を行ったとしても、自身の理念によって行うという責任意識が成り立ちにくいという構造であるということを指摘している。また、丸山は「軍国主義者の精神形態」において、東京裁判で裁かれた政府高官の応答が、自身の権限の行使について否定的なスタンスを表明したり、自身の権限は形式的なものでしかないとして、自身の責任を回避する内容になっているのは、以上の理由からであるとしている。(※1)

 このエピソードは、今から80年以上も前の話であり、現在とは一切関係のないことだと思われる方がほとんどであろう。ただ、私たちは近代天皇制を完全に断ち切ったと言い切れるだろうか。

私たちは近代天皇制国家を乗り越えられているか

 天皇制という言葉が、共産主義者であるコミンテルンが編み出した言葉であるとして、ともすると保守・右翼が反発をし、「皇室制度」とか、「皇室のあり方」といった歪曲的な表現がなされるのはなぜだろうか。日本の君主制を、相対的に評価しようとした試みの言葉という要素を持つ「天皇制」という言葉の持つ「言霊」を意識した可能性がある。以上の状況もあって、そもそも、「天皇制」という言葉自体をここで初めて知った方もおられるのではないだろうか。

 日の丸を日本国の象徴として日本人として誇りに思う志向、君が代を日本国の象徴である天皇がいる日本を賛美する歌として称える行為は、天皇制を相対化する発想、天皇制を否定する発想をあらかじめ遮断させようとする要素を持っている。オリンピックの表彰台で日の丸が掲げられ、君が代が流される際に選手が胸に手を当てる行為には、単なる国際的儀礼だけではなく、天皇制国家としての日本への絶対的な忠誠、という意味もあることについて私たちは天皇制の観点から考察する視点を持つべきだ。

 元号は明治以降は、天皇の在位期間を表現する時間単位となっているが、これは、日本の時代区分は天皇によって定められるということを意味している。元号それ自体が不便であるにもかかわらず、使われるのは、やはり近代天皇制との兼ね合いがるからだろう。

 近年増加しつつある、外国人に対する憎悪、在日朝鮮人に対する憎悪の背景には自分たちとは異なる存在への反発という側面を持つ。彼・彼女らは天皇制の枠の外にある存在であり、彼・彼女らの日本社会とは異なる日本への視点は、日本人が自覚、認識することで日本社会の根本たる天皇制が揺らぐという要素を持っている。天皇制を外から見る視点が日本に入ることで、意識的であれ無意識的であれ、外国人、在日朝鮮人を排したいという状況を加速化させている要素を持っている。

 また、2月は「建国記念の日」、「天皇誕生日」と天皇制強化を目的とした「祝日」が2日ある。2月という月は、主権在民という理念、国際社会の中の日本社会と相反する概念である天皇制をどう考えるかを、改めて深く考えさせられる月でもある。

 以上のように考えてみると、私たちはいまだに天皇という存在、天皇が存在する日本社会を相対的、客観的に考えるという発想から遠ざかっている状況にある。だが、本当にこの「内にこもる」のに都合のいい天皇制を前提とした日本社会がいつまでも続くだろうか。既に日本の地位が世界的にも、アジアにおいても相対化されつつあるという現状において、大日本帝国の残滓としての近代天皇制の価値観を前提とした社会が通用するだろうか。私たちは「外の世界」が天皇制による日本社会をどう見ているのか、それを知るべきである。

 だが、実際のところ、近代天皇制の復活に向けた動きが出始めている。自民党改憲案は大日本帝国憲法のイデオロギーを踏襲した内容となっており、近代天皇制、即ち天皇を中心とした国家有機体説による国体復活を試みた内容になっている。次回は、自民党改憲案の問題点について近代天皇制との関連で、読者の皆さんと一緒に考察したい。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) 丸山眞男 「軍国支配者の精神形態」 「増補版 現代政治の思想と行動」 未来社


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