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深夜のビル警備

これは、私が学生時代に経験した、ビルの夜間警備のアルバイトでの出来事である。
そのビルは都心のオフィス街に建つ、地下二階、地上九階建ての比較的古びた雑居ビルだった。テナントの多くはすでに撤退しており、夜間に出入りする人間はほとんどいない。私の仕事は、一時間に一度、館内を巡回し、各フロアの施錠確認と、防災センターでのモニター監視を行うことだけだった。

事件が起きたのは、日付が変わった深夜二時半の巡回時である。
私は懐中電灯を片手に、普段はめったに人が立ち入らない「地下三階(機械室および旧倉庫フロア)」の階段を下りていた。
この地下三階には、重厚な鉄製の防火扉が設置されている。普段は常に施錠されており、ビルの管理会社から鍵を渡された人間しか開けることができないはずだった。
階段を下りきった瞬間、背筋が凍るような違和感を覚えた。

――「音がする」。

無機質なコンクリートの通路の奥から、乾いた金属音が響いていたのだ。

コン、コン、コン……

規則正しい、何かを叩くような音。それは、地下三階の最も奥にある、使われていないはずの古い電気設備の点検口あたりから聞こえてくるようだった。

私は息を潜め、懐中電灯の光を頼りに通路を進んだ。
しかし、音の主を探すべく角を曲がったが、そこには誰もいなかった。ただ冷え切った空間と、無数の配管が這う天井があるだけだ。

気味の悪さを覚えつつも私は巡回を終え、一階の防災センターへと戻った。
椅子に座り、冷えた緑茶を一口飲んで一息つく。
ふと、目の前にある多数の監視カメラモニターに目をやった。
ビルの各所を映し出すモノクロの画面。その中に、先ほど自分が巡回したばかりの「地下三階の通路」を映し出すカメラがあった。
画面を覗き込んだ私は、思わず持っていた紙コップを取り落としそうになった。

誰もいないはずの地下三階の通路――その中央に、奇妙な人影が立っていたのだ。
カメラの映像は白黒だが、その人物が異様な姿をしていることは一目でわかった。
背中を極端に丸め、頭を不自然な角度で右に傾けたまま、微動だにせず通路の中央に立っている。そして、その足元には、なぜか一本の「古い木製の椅子」が転がっていた。

「……誰だ? テナントの残骸でも漁っている不法侵入者か?」

私はマイクを使って呼びかけようとしたが、ふと別の恐怖に気づいた。
地下三階の防火扉は、私が数分前に確認した際、確実に外側からチェーンで施錠されていた。鍵を持たない外部の人間が、どうやってあんな奥深くに入り込めたというのか。

私は画面から目を離せなかった。
深夜の静まり返った防災センターで、モニター越しの影を凝視する。
すると、画面の中の人影が、ゆっくりと動き出した。
それは歩き出すのではない。カメラのレンズに向かって、不気味なほど滑らかなすり足で、じりじりと近づいてきたのだ。
カメラの視野の限界ギリギリまで接近したその人物は、突如としてカメラのレンズを「直視」した。
カメラの向こう側から、こちらが見えているはずがない。
しかし、その影の「顔」のあたりには、ぽっかりと開いた口のような歪みがあり、それが明らかに不敵な笑みを浮かべているように見えた。

次の瞬間、

ガタガタガタガタッ!

防災センターの壁面から、激しい音が響いた。
それは、館内の非常用インターホンや、各階のドアが乱暴に叩かれる音だった。

「ひっ……!」

私はパニックになりかけながら、すべてのモニターに視線を走らせた。
地下二階のカメラ、地下三階のカメラ、一階のエントランス、そして二階の廊下……。
驚くべきことに、ビルのあらゆる階の監視カメラの映像に、同じ「異様な人影」が同時に映し出されていたのだ。
どの画面の中の影も、まったく同じポーズで、同じようにカメラのレンズを凝視し、それぞれが異なるリズムで壁や扉を激しく叩き続けている。
館内全体が、その得体の知れない存在に「包囲」されているのが分かった。

私の心臓は破裂しそうなほど早鐘を打っていた。
逃げ出したい。今すぐこのビルを出て、明るい表通りへ走り出したい。しかし、身体が震え上手く動けない。

絶望感に打ちひしがれながら視線をモニターに目を戻したその時、一階のエントランスを映し出すカメラに、信じられないものが映った。

ビルの正面玄関の自動ドアのガラスの向こう側に、数え切れないほどの「白い手形」が、一斉にペタペタと貼り付けられ始めたのだ。
外から誰かが押しているのではない。ガラスの内側、つまり誰もいないはずのエントランスのロビー側から、無数の手がガラスを内側から押し付けている。

ドンドン、ミシミシッ……

ガラスが割れる音が響く。
私は恐怖のあまり頭を抱え、床にうずくまり、耳を塞いだ。

どれほど時間が経っただろうか。
ふと気がつくと、館内の激しい物音はピタリと止んでいた。恐る恐る顔を上げ、震える手でモニターを確認する。

すべてのカメラの映像には、ただの静まり返った廊下やロビーが映し出されているだけだった。あの異様な人影の姿は、どこにも影も形もなくなっていた。

朝六時になり、早番の相方の警備員が青い顔をして出勤してきた私を発見し、救急車を呼んでくれた。

後日、ビルの管理会社から「あの夜、地下三階で何かありましたか?」と聞かれたが、私は怖くて本当のことを言うことができなかった。
ただ一つ、退職する際、あのビルの地下三階の壁には、無数の「引っ掻いたような生々しい爪痕」が、天井近くまでびっしりと刻まれていたという事実だけが、今でも私の脳裏に焼き付いている。

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