公営施設における水着撮影会に関する論点整理

公営施設における水着撮影会の件、改めてこれまでも言及してきたが、改めて論点を整理する。

①     公営施設の使用可否、主催者への貸し出しの可否の問題であり、直接的に表現規制の問題となる訳ではない。

②     使用許可の取り消し/自粛要請の場合と使用許可条件を定めて適用することとは分けて考えるべきである。

③     出演者に住民が含まれることはあるが、主催者・出演者の大半は当該自治体の住民ではなく、公営施設を利用する住民の権利として構成することは難しい場合が多い。

④     当該公営施設が使用できない又は着用水着やポーズに条件が付されることの副次的効果として出演者や撮影者の表現の機会が失われる又は制限されるということはあり得るとしても、水着撮影会そのものが一般的に禁止される訳ではなく、表現の自由の侵害として構成することは不適当。

⑤     子どもの権利に係る法令をはじめ、現に効力を有する刑法175条等の法令に抵触する行為を禁止し、主催者にその防止を求めることは当然である。

⑥     出演者へのセクハラや強制、欺罔を防止、排除することは主催者の義務である。これには出演者の意に反する姿態を取ること等を事実上強制すること、拒めない場の雰囲気を作ること、知識や経験などの不足に乗じることなども含まれる。特に子どもについては以下で補足的に述べる。

⑦     公営施設で撮影された性差別的な写真や動画が一般に流布される等により当該自治体が性差別を容認していると受け止められることは不適切である。

⑧     ⓹~⑦について当該公営施設の管理者等が網羅的に監視をし防止措置を講じることは不可能であり、使用許可条件において着用水着やポーズについて一定の禁止事項を定めることは過度に及ばない限りは合理的であると考えられる。

⑨     使用許可条件を順守させるよう主催者が参加者をコントロールすることが困難であると認められる特段の事情がある場合には、主催者が順守を制約する場合でも許可をしないことは可能であると考えられる。

⑩     もちろん、水着撮影会が実質的にどこでも開催できなくなることを意図して、その方便として⓹~⑨の理由を用いることは許されない。

⑪     他方で、水着撮影会そのものやそのための公営施設の使用を批判することは言論の自由に属するものであり、批判したり疑問表明をしたりすることを表現規制又はその提唱等と同視することは誤りである。


発達段階に応じた子どもの意思の尊重、子どもの表現の自由と性的搾取などの有害なものからの保護とを両立させることが重要だが、保護者らには将来的、長期的に及びうる心身への影響を考えて判断する責任がある。子どもを性的に消費する機会が先にあって出るか否かという設定がそもそもおかしい。

言われるままにポーズを取ると喜ばれ、褒められる。金銭的な報酬はもちろん心理的な報酬があることで、積極性、能動性を身に着ける。プロ意識、仕事への責任という形で説かれたりプライドが刺激されたりして、拒否感、嫌悪感を否認するようになる。表層的には子どもの意思、自由だが実質は誘導、馴化。

参加を重ね同じジュニアアイドル、モデルなどの仲間ができスタッフ・関係者などとの人間的つながりもできる。共同意識や業界感覚が身体に馴染む。アイドルなどの言葉のテンプレ、動機の語彙を取り込み使うようにもなる。成人にも当てはまるが子どもの可塑性により作用するし不可逆的な影響を与え得る。

一般論的にパターナリズムはダメとか子どもの表現の自由とかと言ってしまうと、こういうことが抜け落ち、目が逸らされてしまう。性的動機に駆動されているにも関わらず子ども目線の言説にすり替えて正当化、合理化する罠。

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