セックスワークと性欲と幻想と
吉原の殺人事件の動機・背景については裁判を待つ必要があるが、それとは離れても、当該店における客との親密性の演出や、広く性風俗業従事者やAV出演者に見られる親密性、距離の近さの演出というポイントは重要。それは「勘違い」させるというだけでなく、客・視聴者の疚しさを覆い隠す効果も持つ。
性風俗従事者やAV出演者による親密性などの演出は店や事務所によるディレクションも当然あるが、彼女たち自身の積極性、主体性もある。ただ、業界のテンプレの模倣、動機の語彙という面も強い。少なくとも、その言動を都合よく文字通りに受け止めて「買う男」「買わせる業者」を免責するのは短絡。
吉原の殺人事件もそうだが、もっと買う側、売らせる・買わせる側(業者等)に焦点を当て、立法・法執行の議論はもちろん、その心理や認知・思考・行動のパターン、正当化・合理化のパターンに分け入っていく必要がある。そこは擁護であれ批判であれ途端にステレオタイプ化しがちだから。
男性客のファンタジーにどう応え、さらには刺激し惹き付けるかということは多かれ少なかれ性風俗でもAVでもなされているし、「付加価値」と「競争優位性」の源泉となる。元々、性には幻想が不可欠であって、生物学的な欲求よりも欲望の水準。
だから、端的に性欲と言われても、それは既に生物学的欲求の水準ではなく欲望の水準であるし、想像的・幻想的に立ち上げられた自分の主体あるいは性的主体において生じる欲望、そのようなものとして主体を構築するところの欲望の水準のものである。
それ故に、「性」欲は性に象徴化されたあるいは矮小化された、すり替えられた欲望、動機であって、性以外の要素を含む想像、幻想とないまぜになったもの。だからこそ、性行為や性的興奮の相手、対象は誰でもいい訳ではないしどのような状況でいい訳でもない。
対価が高かろうが安かろうが、男性客・視聴者はそれに見合った(またはそれ以上の)ものを求める訳だし、予め期待水準を調整することで満足を得ようとしたり、不満足の理由を用意する。
ネット・SNSの普及、性的なコンテンツの発信の容易さ、チャットなど新たな形態の登場などもあって、性風俗もAVも「競争相手」が爆発的に増えかつ多様化した。だから、「付加価値」や「コスパ」の追求は不可欠だし、「リアル」という以上の「付加価値」、幻想を刺激する要素が必要になっている。
その文脈において、「色恋営業」であったりSNSやイベントなどを活用した「親しみやすさ」「近さ」の演出であったりがある。セックスワーカー/AV主演者もそこに自分の「付加価値」や「競争力」があると思わされ駆り立てられる面があるし、「単なる」性的サービスではないという合理化にもなる。
それで「誤解」し「暴走」した男性客・ファンの事件や迷惑行為は枚挙にいとまがないし、行動化したり本人に気づかれたりしていないだけで、SNSを四六時中チェックし「いいね」を付けまくるといったようなことをしている者も少なからずいるだろう。
性風俗事業者やプロダクションなどが安全対策を強化するとかワーカー/出演者に寄り添うといったことは小手先の策に過ぎない訳で、性の商品化そのものが内包する問題だ。また、繰り返し述べているが、「寄り添う」ことが仲間意識、家族意識を醸成し絡めとる問題もある。
