「性表現が性暴力・性犯罪を助長するのか抑止するのか」という二項対立の陥穽
ポルノ、AV等の性表現が性暴力・性犯罪を助長するのか抑止するのかは、それぞれの側が二分法を前提に、都合のよいエビデンスと都合のよいロジックで結論を主張することが多く、学術的、科学的議論というより政治的議論となっている。
だから、私自身は一刀両断的な議論には与しないし、ポルノ等が成り立つとはどういうことか、その過程を通じて、性的欲望、性的主体、性的視線がどのように構築されるかということに関心があり、ポルノ等に反対する根拠をそこに見出している。ただし、それ故に、対応としては、法的規制、自主規制・取組、文化・意識変革と多層的なものになると考えている。多々論じているので、詳しくはnote各記事。
その上で、「ポルノ等が性暴力・性犯罪を抑止する」という主張の難点を指摘しておく。これはつまり、ポルノ等がなければ、多くの男性、少なくともポルノ等の存在を正当化する程度の割合の男性が性暴力を行うということである。また、「一定期間」ポルノ等への接触を絶たれたりポルノへの曝露が「過小」であったりすれば性暴力を行う確率が高まるということになる。もっとも、ポルノへの曝露がどの程度であれば抑止効果が生じるかという研究、主張は私は聞いたことがないのだが。
これだけで、「ポルノ等が性暴力・性犯罪を抑止する」という主張、そのエビデンスとされるものが単純化されたものであると疑うに足りるし、調査設計等にバイアスが忍び込んでいる可能性も指摘できる。
もっと深刻なことは、「ポルノ等がなければ」という仮想条件にある。つまり、ポルノ等が性的欲望の構築や性行動に影響することがないということになるのだが、恐らくそのような主張や研究は暗黙の裡に「ポルノ等がある社会」を前提として、そこにおける男性の性的欲望や性行動を考えている。そうでなければ、男性(オス)の性は攻撃的なものであるという本質主義が忍び込んでいることになる。
ならば考えるべきは、ポルノ等が成立している社会において、ポルノ等の存在が「再帰的に」どのような効果を及ぼすのか、そのような再帰的な過程と構造の下で、性的欲望、性的主体、性的視線がどのように構築されるのか、性行動にどのような影響が及ぼされるのか。ということになるだろう。
さまざまな属性や特徴であったり、行動や場面がポルノ化される。エロコンテンツ化される状況を見るにつけ、助長か抑止かのような単純化した二分法で議論すべきではないと思う。
そういう意味では、ポルノ等が性暴力・性犯罪を助長しているという研究、主張の取り扱いにも注意が必要で、単純な因果関係を示すものとしてではなく、ポルノ等が認知、欲望、行動等に効果を及ぼし得る経路、メカニズムを解明するものとして、あるいはポルノ等を受容し利用することと性暴力・性犯罪を行うことの双方に共通する要因を探るものとして読み解く必要がある。もちろんそのようなものとして利用するに耐える研究であるかがまず問われるのだが。
