英語から日本語にするとき気づく、距離感をにおわせる動詞
こんにちは!
日々うさぎです。
ふだん小中学生に英語を教える仕事をしていますが、その中で一周回ってふと気づくことがあります。
あれ?この日本語ってけっこう意味深だな・・・と(笑)
今日はみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
■ giveの文はどんなふうに訳す?
次の英文を日本語にしてみましょう。
The teacher gave Mr. Sato a present.
先生は佐藤さんにプレゼントをあげた。
2.The teachet gave me a present.
先生が私にプレゼントをくれた。
同じ文型ですが、自分が受益者のときは「くれる」、佐藤さん(自分ではない人)のときは「あげる」というふうに、あまり意識せずに訳した方が多いのではないでしょうか。
ここで、「は」と「が」の違いも出てきたのですが、入れ替えることもできます。ですがこの助詞の使い方でまたニュアンスが変わってきます。これについてはのちほど書こうと思います。
まずは「あげる」と「くれる」に注目してみてください。
では次の文ではどうでしょうか?
3.Ken gave Mika a present.
A: ケンはミカにプレゼントをあげた。B: ケンがミカにプレゼントをくれた。
Aだとニュートラルな感じがしますが、Bだとなんだか、「ケンさんありがとございます!」みたいな気持ちになりませんか?
自分がプレゼントをもらったわけではないのに、自分が受益者になったような気持ちが伴います。
なぜでしょうか?
それは、自分のミカに対する心理的距離が関係しているのではないでしょうか。
ミカが自分の身内(例えば娘)だった場合、こんな気持ちになるかもしれませんね。娘のためにありがとう、と。
あるいは身内ではなかった場合、「くれた」と表現するときには、自分の目線がミカのところにずいぶん寄っている感じがします。
仮にもし自分とケンとミカがクラスメートだった場合、「ケンがミカにくれた」という発言をしたら、
あなたとミカはどんな関係なの?(もしかして恋人?)
と思われるかもしれませんね(笑)
■ 「は」と「が」
さきほどの
A: ケンはミカにプレゼントをあげた。
B: ケンがミカにプレゼントをくれた。
「あげた」の文では「は」が、「くれた」の文では「が」がなじむのは、
限定の「が」
ということが関係しているのではないかと思います。
C: わたしは田中ケンです。
D: わたしが田中ケンです。
Cは普通の自己紹介ですが、Dは「あなたが!あの有名な田中ケンさんですか!」と言われそうなニュアンスがありますよね。
有名人でなくとも、すでに話題にあがっていて、他のだれでもなく自分がその人物です、というように限定する言い方が「が」にはあります。
さきほどの「くれた」と「が」がなじむのは、くれるという行為が自分もしくは身内に対するありがたい行為、というニュアンスがあるため、だれがくれたか、という部分が大事になってくるからのような気がします。
もちろん、
A’: ケンがミカにプレゼントをあげた。
B’: ケンはミカにプレゼントをくれた。
と言いかえることも可能です。
その場合、助詞の使い方によって、また文のニュアンスが少し変わりますよね。
■ 「あげる」「くれる」そして「もらう」
「あげる」と「くれる」について書いてきましたが、もう一つ「もらう」という動詞がありますね。
この3つをまとめて「授受動詞」という名前があるようです。
「あげる」と「くれる」は、プレゼントする人が主語になっていて、
「もらう」は、プレゼントを受ける人が主語になっている場合に使います。
ミカはケンにプレゼントをもらった
というようにです。
そして上に述べたように、「あげる」と「くれる」は、受益者と話者の心理的距離によって使い分ける、ということになりそうです。
授受動詞は、日本語ネイティブの私たちはほんとうに自然に使い分けていますが、日本人でも間違うことがあります。
それは子どもです。
お父さんが僕におもちゃをあげた!
こんなふうに言っているのを聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
きっと子どもは日本語を身に着けるとき、ぼぼ必ずこの間違いを通っているのではないかという気がします。
子どもが最初に聞く授受動詞はきっと
○○ちゃんに△△あげるね
こういう親から子への二者間の言葉なのではないでしょうか。
なので自分に与えられる動作を、「あげる」と認識するのでしょう。
「くれる」という言葉が学ばれるのは、例えば、
パパが○○ちゃんにくれたね?
というママの言葉、つまり三者間の言葉によって、だんだん認識されていくことになるのでしょう。
■ 英語を学ぶと日本語に気づく
さて今回は、中学英語に出てくる第4文型(SVOO)の学習から、日本語の特徴に気づいたのでした。
外国語を学ぶことで、母語に対する理解が深まり、また言語によって、世界をどんなふうに切り取って見ているか、何を大切にしているかがわかります。
英語に限らず外国語を学ぶことで、外側にも内側にも意識が向きます。
言語学習が面白くて仕方ないのは、そういうところなのかもしれませんね。
