太宰治「斜陽」:没落貴族の終焉、その美しさと虚しさ
どうも、川上だ。
最近、ふと昔のことを思い出すことが増えたんだ。学生時代、 bibliophile だった頃に夢中になった本なんかも、ふとした拍子に表紙が目に浮かんだりする。そんな中、ふと手に取ったのが、太宰治の「斜陽」だった。
「斜陽」って聞くと、なんとなく「没落」とか「退廃」とか、そういうイメージが先行するかもしれない。まあ、間違いではないんだけど、この小説はただの感傷的な物語じゃないんだ。むしろ、人間の脆さとか、美しさとか、そしてどうしようもない虚しさっていうのが、ギュッと凝縮されている。特に、かつての栄華を失った人間たちが、それでもなんとか「生きよう」とする、その姿がなんとも言えなくてね。今回は、そんな「斜陽」の世界にどっぷり浸かってみようじゃないか。
作品のあらすじ
物語は、語り手であるかず子の視点から始まる。彼女は、かつて華族として栄華を極めた家柄の娘だった。しかし、戦争が終わり、時代は急速に変わっていく。父親は亡くなり、莫大な財産も失われてしまった。残されたのは、病弱な母親と、自由奔放でどこか頼りない兄・直治、そしてかず子自身。彼らは、かつて住んでいた広大な屋敷から、小さなアパートへと移り住むことになる。
「おかあさま、もう、お屋敷には戻れないのですか?」
かず子が不安げに問うと、母親は力なく微笑むだけだった。かつて、華やかな社交界で喝采を浴びた彼女の面影は、もはやどこにもない。ただ、その顔には、過去への郷愁と、現在の困窮に対する諦めが入り混じっている。彼女は、かつての「上流階級」としてのプライドを、必死に保とうとしていた。
一方、直治は、芸術家を目指しているものの、才能と呼べるほどのものは見いだせず、日々を刹那的に生きている。彼は、かず子にさえ、時折、素っ気ない態度をとる。しかし、その裏には、失われた家柄への複雑な思いや、将来への漠然とした不安が隠されているようだった。
「かず子、俺は、こうやって書いている時だけが、本当の自分になれるんだ。それ以外は、全部、嘘なんだよ。」
ある夜、直治は酔ってかず子にそう打ち明ける。その言葉には、彼の孤独と、社会との乖離が滲み出ていた。彼は、かつての貴族という「身分」にしがみつく母親や、現実を直視しようとしない自分自身に、どこかで嫌悪感を抱いているのかもしれない。
そんな中、かず子は、かつて直治の家庭教師だった上原という男と再会する。上原は、理想主義者でありながらも、どこか現実から目を背けているような、危うい雰囲気を纏った男だった。彼は、かず子に文学を語り、彼女の心を捉えていく。しかし、その言葉の裏には、彼自身の苦悩や、社会への不満が隠されているようにも見えた。
「君のような、純粋な魂を持った人にこそ、本当の文学を届けたいんだ。」
上原は、かず子に熱く語る。しかし、かず子は、彼の言葉を鵜呑みにするほど純粋ではなかった。彼女は、上原の言葉の端々に、彼の虚栄心や、自己満足が見え隠れするのを感じ取っていた。それでも、彼女は、そんな上原に惹かれていく。それは、失われた「美」や「高潔さ」への憧れなのか、それとも、ただ単に、孤独を埋めるための、一時的な慰めだったのか。
やがて、直治は、ますます自暴自棄になっていく。彼は、借金を重ね、夜の世界に溺れていく。そして、ついに、彼は、ある決断を下す。それは、自らの手で、その人生に幕を下ろすということだった。
「かず子、俺は、もう、生きていけない。このまま、暗闇に消えていくよ。」
直治は、かず子にそう言い残し、姿を消す。残されたかず子は、深い悲しみと、喪失感に打ちひしがれる。しかし、彼女は、ただ泣いているわけではなかった。直治の死を乗り越え、彼女は、自らの足で立ち、生きていくことを決意する。それは、もはやかつての「斜陽」ではない、新たな人生の始まりだった。
母親もまた、直治の死をきっかけに、諦めにも似た静けさを纏うようになる。彼女は、もはや過去の栄華を顧みることもなく、ただ静かに、その最期を待つかのようだった。そして、かず子は、上原との関係を断ち切り、新たな一歩を踏み出そうとする。彼女の心には、かつての「斜陽」の影は薄れ、微かな希望の光が灯っていた。
川上の独り言
「斜陽」を読み終えて、俺が思ったのはね、結局、人間って、どんな状況に置かれても、「生きよう」とするんだなってことなんだ。たとえ、それがどんなに惨めで、どんなに虚しい生き方だったとしても。直治みたいに、自ら幕を下ろす人間もいる。でも、かず子みたいに、どん底から這い上がろうとする人間もいる。
この小説で描かれているのは、まさに、そういう人間の業(ごう)なんだと思う。かつての栄光にしがみつき、現実から目を背ける母親。才能もなく、刹那的な快楽に溺れていく直治。そして、理想と現実の間で揺れ動き、結局は孤独に陥っていく上原。彼らの姿は、どこか滑稽で、そして、哀しい。でも、だからこそ、俺たちは、彼らに共感してしまうのかもしれない。だって、俺たちだって、多かれ少なかれ、そういう脆さや、虚しさを抱えているからだ。
「斜陽」ってタイトルは、太陽が沈んでいく、つまり、滅びゆく様を表している。でも、俺は、この小説の最後のほうに、かすかな光を見た気がするんだ。それは、滅びゆく太陽の、最後の輝きなのかもしれない。あるいは、その後に訪れる、新たな夜明けの予兆なのかもしれない。どちらにせよ、この小説は、俺たちに、「生きる」ことの意味を、静かに問いかけているように思えるんだ。お前はどう思う?
