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前に進んでは、また後ろに下がる

前に進んでは、また後ろに下がる。

心の平穏というのは、なかなか難しいものだ。

この1年数ヶ月、自分自身の心の揺れと向き合ってきた。

グリーフケアを学んでいる今も、まだまだ揺れている自分がいる。

昨年8月31日、父が倒れた。

その日が、もうすぐやってくる。

ふと、そのことを思い出す。

昨年の8月31日は、日曜日だった。

私は朝からヨガに行っていた。

ヨガが終わり、着替えをしているときだった。

母から何度も着信があることに気づいた。

母が電話をしてくることは、めったにない。

「何かあったのかな」

そう思った瞬間、胸がざわざわした。

留守番電話を、おそるおそる聞く。

そこに母の声はなかった。

聞こえてきたのは、

「いつからですか?」
「わかりますか?」

救急隊の人の声だった。

「お父さん……」

すぐにそう感じ取った。

血の気が引くような感覚を、今でも覚えている。

あの日から始まった、父の病気との戦い。

病院へ行き、治療やリハビリ、これからの生活のことを考え、何度も父のもとへ通った。

そして今年4月、父は亡くなった。

8月31日が近づいてくると、

「去年だったな」

と、あの日のことを思い出して、心が少しざわつく。

私は今、グリーフケアを学んでいる。

そこで「記念日反応」という言葉を知った。

悲嘆の原因となる出来事が起きた日を起点に、節目となる日に心身が不安定になることをいう。

私の場合、心身が大きく不安定になるわけではない。

でも、ふとしたことで心が揺さぶられたり、じんとしたりする。

「あの日が近づいているんだな」

そう感じる。

以前なら、

「まだ悲しみが癒えていないのかな」

と思っていたかもしれない。

でも、グリーフケアを学ぶ中で、

悲しみが癒えていないから揺れるのではなく、

故人への愛情が、今も心の中に息づいていることの表れでもあるのだと知った。

日本人に現れる悲嘆の反応には、

「思慕」
「疎外感」
「抑うつ的反応」
「現実対処努力」

の4つがあるという。

今の私は、その中でも「思慕」の気持ちが強いのだと思う。

最近、なぜだかスマホを開くと
思い出の写真に、父の写真が出てくる
なぜなんだろうと思いながら
父のことを思い出し
話かけたりする

もういないと分かっていても、ふと「父がいるような感覚」になることもある。

8月31日が近づくことで起こる、私なりの記念日反応。

そして、9月6日には、ようやく納骨をする。

父が倒れた日。

父が亡くなった日。

そして、納骨という一つの区切り。

いくつもの節目を迎えながら、私はまた心を揺らすのだと思う。

前に進んでは、また後ろに下がる。

でも、それは本当に後ろに下がっているのだろうか。

揺れながら思い出すことも、

悲しむことも、

父を想うことも、

きっと私の中では、父との時間を大切にしているということなのだと思う。

無理に前を向かなくてもいい。

心が揺れる日があってもいい。

そうやって揺れながら、

少しずつ自分の中で父との時間を受け入れていく。

9月6日の納骨を終えたとき、

私の心はどんなふうに感じるのだろう。

今はまだ、分からない。

ただ、その日もまた、

父を想う一日になるのだと思う。

いつも読んでいただきありがとうございます♪
グリーフケアの学びを少しずつお伝えして行けたらと思っています。
グリーフは、死に対してだけではありません。
自分の経験をもとにお伝えできればと思います

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