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映画や漫画 アニメや小説にしかできない事を考える。

今更なんだけど、僕は映画も音楽もアニメも漫画も小説も好きだ。
全部好きだからこそ、たまに思う。

なんでこれ、わざわざこの形なんだろう?

別に小説でもよかったんじゃないかとか、
漫画のままでよかったんじゃないかとか、
逆に、なんで実写にしたんだろうとか。

そういう疑問って、「商売的な理由」で片付けていた気がする。
ワンピースの実写だって! 聖闘士星矢が爆死・・ とかね

売れるからとか、広がるからとか。
もちろんそれもあるんだろうけど、最近は少し違う気がしている。

もっと単純に、
その表現は、その媒体じゃないと成立しなかったんじゃないか、と思うようになった。


例えば漫画。

漫画って、ページをめくるという行為がある。
当たり前すぎて普段は意識しないけど、これがかなり大きい。

次のページに何があるかは見えない。
だからこそ、めくる直前に“溜め”が生まれる。

その次のページで、見開きでドンと出したり
静かなコマを置いて、時間を止めたりとか。

あれはただの構図じゃなくて、
読者がページをめくるという行動まで含めて設計されていると思うんです。

つまり漫画は、
「読む」という行為そのものを使って時間や感情をコントロールしてるんじゃないか?

これは映画にはできないと思う。


映画は逆で視聴する僕たちの意思に関わらず
時間は勝手に流れていく。
こちらの都合では止まらないし、戻らない。

でも、その代わりに映画は「切る」ことができる。

フィルムを切って、つなぐ。
場所も時間も一瞬で飛べる。

さっきまで昼だったのに、次のカットで夜になる。
別の国にいる。
あるいは、過去に戻る。

現実では絶対に連続しないものを、
当たり前のように連続させることができる。

そして、そのつなぎ方ひとつで、
緊張にもなるし、違和感にもなるし、感動にもなる。

漫画が「めくり」で時間を作るなら、
映画は「編集」で時間を操作しているんじゃないか?


アニメはまた少し違う。

映画と同じように時間は流れるし、音もあるけど。でも、現実の制約がない。

人間がありえない動きをする。
感情がそのまま画面に溢れ出る。

顔が崩れるほど泣くとか、
空を飛ぶとか、
世界そのものが変形するとか。
(最近はCGとかでかなりアニメの表現のような実写が増えてる。)

実写だと違和感になるものが、
アニメだと成立する。

むしろ、その“嘘”がないと成立しない。

現実から切り離されているからこそ、
逆に感情だけが純粋な形で出てくる。


小説になると、さらに極端だ。

映像も音もない。

でも、その代わりに、
どこにでも行けるし、誰の頭の中にも入れる。

一瞬で何十年も飛べるし、
たった一文で人の人生を変えることもできる。

読者の想像に全部を委ねるからこそ、
制約がほとんどない。

ただ、その分だけ、
読む側の状態に強く依存する。

同じ文章でも、読む人によって全く違う景色になる。


こうやって並べてみると、
それぞれ“できること”が違うように見える。

でも、多分それは逆で、
それぞれ“できないこと”が違うだけなんだと思う。

漫画は音が出せない。
映画は時間を止められない。
アニメは現実の重さを持てない。
小説は視覚を固定できない。

その不自由の中で、
どうやって表現するかを考えた結果が、
今の形なんだと思う。


だから、比較するものじゃない。

どれが上とか下とかじゃなくて、
そもそもやっていることが違う。

同じ物語でも、
映画になれば映画の表現になるし、
漫画になれば漫画の表現になる。

それは劣化でも改変でもなくて、
ただ別の制約の中に置かれただけなんじゃないかと


少し話は変わるけど

最近、倍速で映画を見るとか、
ネタバレを極端に嫌うとか、
そういう話をよく聞く。

それって結局、
時間の主導権をどっちが握るか、という話なんだと思う。

漫画はもともと読者が握っている。
映画は作り手が握っている。

そのバランスを崩したときに、
違和感が生まれる。


作品って自由に作られているように見えるけど、
実際はかなり不自由な中で作られている。

でも、その不自由があるからこそ、
その作品はその形をしている。

もし制約がなかったら、
多分どれも同じものになってしまう。

だからこそ、
それぞれのメディアでしかできない表現がある。

それが、なんかいいなと思う。

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