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【特別編】 桜は、なぜ「散るとき」に歌われるのか。───宇多田ヒカル・ヨルシカ・コブクロ・クリープハイプ・あいみょん、6曲が描く「桜と感情」の正体


「桜と感情」


今朝、窓の外を見たら桜が大雨に打たれていた。
満開のまま、雨に叩かれて散っていく花びら。
それを見たとき、なぜかこの6曲のことが頭に浮かんだ。
桜が好きだから、というより、あの光景が何かの感情に似ていたからだと思う。
美しいものが、理不尽な力で壊されていく、あの感じ。
でも、それをどこかで「そういうものだ」と受け入れてもいる、あの感じ。
その感覚の正体を探りたくて、この6曲を並べてみることにした。

桜をテーマにした曲は、日本にとにかく多い。
春になれば毎年のように新しい「桜ソング」が生まれ、プレイリストに並び、卒業式や入学式のBGMとして消費されていく。
でも、ふと気づいてしまったことがある。
桜が「咲いている美しさ」を純粋に讃えた曲は、思いのほか少ない。
むしろ、桜を題材にした曲の多くは、散る瞬間を、儚さを、別れを、喪失を歌っている。
なぜ日本人は、満開の桜ではなく、散りゆく桜に感情を重ねるのだろうか。
この問いを持ったまま、6曲を聴き直してみた。


宇多田ヒカル「SAKURAドロップス」と「桜流し」

まず、宇多田ヒカルの二曲は、同じ「桜」という言葉を使いながら、まるで別の場所を歌っている。
2002年の「SAKURAドロップス」は、恋の終わりを桜が散る様に重ねた曲だ。
失恋という痛みを、桜の儚さという美しい言語で包んでいる。
「ドロップス」とは「落ちる」という意味で、桜の花びらが散り落ちる様子を表している。
タイトルそのものが、終わりへの視点から設計されているのだ。

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