【愛知】もらった動物園 | 鶴舞動物園① 歴史編 | マイナーヒストリー
日本でも有数の規模を持つ東山動植物園。
名古屋の動物園といえば、まずここを思い浮かべる人が多いと思う。
ただ、その歴史をたどっていくと、最初から東山にあったわけではない。
その前には鶴舞公園に市営の動物園があり、さらにさかのぼると、一人の民間人が始めた小さな動物園へと行き着く。
今回は、そんな名古屋の動物園の始まりから、鶴舞公園時代、そして東山へ移っていくまでを、当時の資料や写真を見ながら追ってみたい。
個人経営から始まった名古屋の動物園
名古屋の動物園の歴史は、明治23年(1890年)、今泉七五郎が前津に「浪越教育動植物苑」を開いたことから始まる。
今泉七五郎

当初は狸や兎、犬などわずかだったが、明治29年(1896年)に愛知博物館から熊や鶴などの飼育を委託されたことをきっかけに、次第に飼育する動物も増えていった。
明治43年(1910年)には、一部の動物を門前町へ移し、「今泉動物園」を開園した。しかし、規模が大きくなれば餌代や飼育費もかさみ、周辺からは臭いの苦情も多く出ていた。
市内唯一の動物園であったことから名古屋市も七五郎への補助を行っており、明治39年には200円だった補助金は、大正6年(1917年)には1,600円にまで増えている。
それでも経営は厳しく、すでに一個人の力で維持するには規模が大きくなりすぎていた。また、七五郎には3人の息子がいたが、いずれも跡を継ぐ意思はなかったという。
限界を感じた七五郎は、長年育ててきた動物園を名古屋市へ寄付することを申し出た。
当時の名古屋市はすでに六大都市の一つに数えられていたが、市営の動物園を持っていなかった。この申し出は市議会に諮られ、満場一致で可決される。
大正7年(1918年)3月20日、七五郎から市に対し、獣類79頭、鰐類2頭、鳥類273羽、亀類27頭、蛇類48頭、魚類52尾が正式に寄付された。
その際、七五郎にはそれまでの苦心に対し、市から3,000円が贈られている。
鶴舞公園に市営動物園が開園
七五郎から動物の寄付を受けた名古屋市は、大正7年(1918年)4月1日、鶴舞公園内に市立動物園を開園した。

市営化した後は、単に今泉の動物園をそのまま引き継いだわけではない。水禽舎や猿舎、猛獣舎などの動物舎をはじめ、正門や西門なども次々と整備され、毎年のように園内の新築や改築が行われている。

動物の種類も増えていった。
ライオン、虎、大蛇、鶴などが加わり、大正10年(1921年)には安藤銀行から寄付された8,000円を使って、インドゾウの「花子」も購入されている。

その後も国内外から動物が集められ、昭和4年(1929年)にはドイツのハーゲンベックから白熊もやって来ている。
現在なら海外から動物がやってくることも珍しくないが、昭和初期にドイツから名古屋まで白熊を運んできたとなると、かなり大掛かりなことだったのだろう。
観覧料は大人5銭、小人3銭。別途、2割ほどお得になる25回の回数券も用意されており、現在の年間パスポートではないが、当時から繰り返し訪れる客を意識した制度が設けられていた。
開園時間は季節によって異なり、冬は午前9時から午後4時頃まで、夏は午前8時から午後6時頃まで。特に夏季については、現在の東山動植物園よりも長い時間開園していた。
さらに開園翌年からは夏季の夜間開園も始まり、暑い時期には夕涼みを兼ねた娯楽として、多くの市民が訪れたという。
一方、市立学校や幼稚園などが授業のために利用する場合には、無料で入園できる制度も設けられていた。動物園は単なる娯楽施設ではなく、教育施設としての役割も担っていた。
当時の動物園では、動物を見せるだけでなく、さまざまな催しも行われていた。花卉展や菊花展が開かれたほか、昭和2年(1927年)には、動物への興味を深め、動物愛護の考えを広めることを目的とした展覧会も開催されている。
そこでは動物だけでなく、書籍や絵葉書、標本、古器物なども展示された。
園内では、動物に与えることのできる芋などの餌も有料で販売されており、これがなかなかの収入になったことも記録に残っている。
大正12年(1923年)には市電が鶴舞公園まで延伸され、西門のすぐ西側には「動物園前」という電停まで設けられた。
この年の入園者は、前年の約49万2千人から約57万人へと増えている。ゾウやライオン、虎といった、日常ではまず見ることのできない動物を実際に目の前で見られる場所となれば、多くの市民が足を運んだことだろう。
そして昭和4年(1929年)、それまで鶴舞公園の付属施設だった動物園は独立し、「市立名古屋動物園」と改称された。

23歳で園長代理になった北王英一
職員名簿の一番上には「園長 北王英一」とある。
北王英一は、鶴舞の動物園だけでなく、その後の東山動物園の歴史を語るうえでも欠かすことのできない人物である。

北王は明治33年(1900年)、京都府に生まれ、大阪府立農学校の獣医畜産科を卒業した後、天王寺動物園に勤務した。
大正12年(1923年)5月に鶴舞の動物園へ移り、その年の12月、23歳という若さで園長代理となる。
昭和2年(1927年)には正式に園長へ就任した。

その頃になると飼育する動物も増え、鶴舞の敷地では次第に手狭になってきた。そこで名古屋市は東山公園への移転を決め、昭和12年(1937年)、動物園は鶴舞から東山へと移る。
北王もそのまま新しい動物園へ移り、東山動物園の初代園長となった。その後も園長として東山動物園の発展に携わり、戦時中には職員らとともにゾウを残すため尽力した人物としても知られている。
こうして、鶴舞で育ってきた名古屋の動物園は、北王をはじめとする職員や動物、そしてそこで積み重ねられてきた飼育や運営の経験とともに、東山へと受け継がれていった。
現在の東山動植物園へと続く歴史も、ここから新たな段階に入っていく。
その原点となった鶴舞の動物園は、現在の公園のどこにあったのか。
次回は、当時の園内図や写真を手がかりに、現在の鶴舞公園を歩いてみる。
<つづく>
参考資料
『名古屋市立鶴舞公園附属動物園一覧』昭和3年
『名古屋市立鶴舞公園附属動物園要覧』昭和3年
『市立名古屋動物園要覧』昭和7年
名古屋市「緑の年報」鶴舞公園掲載資料
名古屋市東山動植物園「動物園の歴史」
https://www.higashiyama.city.nagoya.jp/history/
名古屋市図書館「今泉七五郎」
https://www.library.city.nagoya.jp/reference/ijinden/ijinden_017.html
↓ こちら最初のプロ野球の試合が行われた球場。
自動車学校になった現在でもその痕跡を残している。
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