【香川】丸亀城(最終回/全3回) | 現存天守 | 香川県丸亀市 | 2005年アーカイブ
三ノ丸石垣の継ぎ足された石垣
中央付近には算木積み状の痕跡が残っており、もとは石垣の隅角部であった部分を後に継ぎ足したことが分かる。
丸亀市の説明によれば、算木積みの先端部を割り、その間に石を詰めることで、拡張部分を目立ちにくくしているとのこと。

赤い部分が継ぎ足された部分。

三ノ丸の戌亥櫓跡。
丸亀市の資料によれば、戌亥櫓は明治2年(1869)の藩主御殿焼失に伴う火災で焼失したとされる。
もらったパンフレットには、火災で焼けた跡が石垣に残っているとあったので、目を皿のようにして探してみた。こういった「見えるような、見えないような」痕跡を探すのも、城跡歩きの面白さの一つではある。

と思ったら、簡単に見つかった。
確かに色が変色しているのだが、高所恐怖症なので、あまり近づいて見られなかった。

三ノ丸の高石垣
丸亀城の石垣は見事なRを描く「扇の勾配」と呼ばれる反りを持ち、下部は緩やかに、上部へ行くほど急角度に立ち上がる。上から見下ろすと、石垣が下方へ向かって大きく落ち込んでいく様子が分かり、この城の石垣の迫力を実感できる。
伊賀上野城の石垣も単独の石垣としては非常に高く美しいが、全体感ではこの城の方が上だと思っている。
ちなみに自分の「好きな城 五城衆」の一つである。

見返り坂が三ノ丸に入る部分。
写真奥の三ノ丸北東部分、見事な修復痕が痛々しい。

三ノ丸から二ノ丸への門跡。
直角に折れ曲がり小さな枡形を形成している。

これも見事な扇の勾配。
大きな算木積がかっちりしていていい感じ。

三ノ丸石垣。
建物の無い城は見ても面白くないと思ってる人も多いかもしれないが、この城の石垣を見ていると、その考えも変わるかもしれない。
城内の大半の石垣は、打ち込みハギで積まれている。

現在整備中の帯曲輪。
我ながら、「帯曲輪」の何たるかが、一目で分かるナイスショットだ。

※帯曲輪・腰曲輪
帯曲輪は細長く帯状に城を囲む曲輪。腰曲輪は帯曲輪よりも短い曲輪。山城等の山腹部に見られる事が多い。幅が狭いため、攻城側も一度に多くの兵を移動させる事が難しく、また兵も滞りやすくなるので、城兵側からすると攻撃を行いやすくなる。

帯曲輪
復元工事中だったが、特に柵もなく、おじさんに何も言われなかったので入ってみた。

修復中の石垣。
地下部分の石垣の様子が良く分かった。
石がやたらと丸っこく、積み方も粗い。

別の修復現場。
こちらは地下部分もしっかり組まれていた。

搦手口を外側から内側に向かって撮影。
元大手門ならではのしっかりした切込ハギと、屈曲した通路が印象的だった。

搦手口、栃の木御門跡。搦手側とは思えないしっかりした門の跡が残る。

三ノ丸、本丸と続く二段の石垣。
螺旋状に登っていくその通路は守りやすく、攻めにくい。複雑な縄張を持った城に比べると、一見単純そうに見える城ではあるが、地の利を生かし、攻める者の気をそぎ、実際はねのける能力を持った石垣等、想像以上に堅固な城なのだろう。

丸亀城は、現存十二天守の一つとして知られているため、どうしても天守に目が行きがちだが、この城の本当の見どころは、山全体を包み込むように築かれた石垣にある。
何度訪れても、麓から石垣を見上げ、本丸まで上がれば石垣を見下ろし、気がつけば石垣の写真ばかり撮ってしまう。
そうして石垣に目を奪われながら登っていくと、要所で進路を折り、曲輪を重ねていく縄張りの妙にも自然と気づかされる。
さらに登りきった先に現れる、現存最小とされる天守は、近くで見てもやはり小さい。
しかしながら、この圧倒的な石垣の上に、ぽつんと小さな天守が載っている姿こそが、丸亀城らしさでもある。
石垣の力強さと天守の慎ましさ、その対比は何度訪れても飽きることがない。
だからこそ丸亀城は、自分にとってこれからも変わらず「好きな城 五城衆」に名を連ね続ける存在なのだ。
〜おまけ〜
丸亀城近くにあった戦争遺跡。
丸亀城一帯は陸軍の兵営があった場所であり、写真のコンクリート基礎も市役所工事の際に発見されて、移設されたもの。
倉庫か武器庫の基礎部と思われる。

<おわり>
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