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匂いや温度や湿度が感じられる描写が好きだ

やあ、こんにちは。こちらの花はビヨウヤナギだ。去年も絶対に目にしていたはずなのに、そこに花が咲いていたことさえ思い出せない。家を出てすぐの毎日通る場所に咲いているのに、意識して見なければ、こんなにも鮮やかな色彩さえ記憶できない。嘘みたいだ。そして、今年はじっくり眺めて雄蕊が長いなあと感心したりもする。

世界への解像度は人それぞれ違う。何に興味をもって眺め、どこでどんな体験をしたかで変わってくる。エッセイの中で豚汁が出てきても、イメージするものはそれぞれの経験によって違う。まず、読み方からして違う「とんじる」と読む人もいれば、「ぶたじる」と読む人もいる。

そして、具材や味噌の種類によってイメージする香りや味も変わってくるだろう。おばあちゃんの豚汁を思い出す人、学食の豚汁を思い出す人、冬の屋外で飲んだプラスチックの器に入った豚汁を思い出す人、松屋の豚汁を思い出す人、豚汁苦手なんだよなあと思う人。ひとつの文章から色んなイメージの豚汁が生まれる。

でも、温度でいえば熱々で湯気が立ち上っている豚汁を思い浮かべる人が多いんじゃないかなとも思う。秋冬の寒い季節に飲む汁物だと思っているせいか、豚の脂が表面で温度を保つ役割を果たすせいか、私は熱々で油断するとやけどしそうな豚汁を思い浮かべる。

真冬の自動販売機のあっつい缶コーヒーとか、コンビニのレジ脇のほかほかの肉まんとか、凍えた体を温めてくれる象徴としての役割を、豚汁も担ってはいるけれど、もう少し家庭的というか、人を介して受け渡しがあるイメージがある。人のぬくもりみたいな部分が多めに含まれているというか、どこか懐かしさを感じさせるテイストがある気がする。

たったひとつの「豚汁」という単語ですら、人は自分の中にある記憶から五感を通した様々なイメージを引っ張り出してくることができる。でも、その体験がない人に伝えるには言葉を尽くす必要がある。例えばトムヤムクンを飲んだことがない人に伝える場合は色、味、香り、具材やハーブなど様々なことに言及する必要がある。

そういうことを考え出すと言葉での伝達は限界があるよなあと思う。今、ここでお出しして、飲んでもらえば一発で伝わるのにともどかしい。そういう意味では経験に勝るものはないのだろう。でも、言葉はこの世界で許されないものも描写することができる。

ミステリーの冒頭でよくある土を掘り返して仏さんを埋めるシーンとか、何故か経験がないのにありありと思い浮かべることができる。シャベルで掘り返す土の湿った重い感触、夜の木々の匂い、気温に関わらず汗ばむ額、虫が飛ぶ低いうなりが聞こえる。焦りと恐怖、早く終わってくれという気持ち。

本で読んだり、ドラマで見たり、ゲームでプレイしたことがあるものなら、実際に経験したことがないことでさえ、ある程度は手触りのある文章が書ける。だからこそ、私は匂いや温度や湿度が感じられる表現や描写に魅力を感じる。そして、そんな文章が書きたいなといつでも思っているんだ。それじゃあ、そろそろ失礼するよ。

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