こんなにぼんやりしているのに何故しっかりしてそうと言われるのか
やあ、こんにちは。今年の梅雨入りは早いねえ。例年は6月の中旬から7月の中旬あたりが梅雨だったと記憶しているけれど、どんどん気候が変わっていってしまっている気がする。とは言え、私がぼんやりし過ぎているせいなのか、気が付けば実はもう6月中旬であった。
そう、私は結構ぼんやりしている。昨日もセルフレジでチェックのお姉さんに「こっちのカゴにコレ残ってましたよ!」と未会計の七味唐辛子詰め替えパックを見つけていただいた。カゴの色と詰め替えパックの色味がそっくりだったせいで見落としていたようだ。「ああっ!すみません。ありがとうございます。」と、追加でお会計したおかげで助かった。
そして、今朝は昨日干し忘れていた靴下一組を洗濯機の底に発見した。そのまま今日も一緒に洗う。あとちょっとで干し終わる前に何かしら用事をはさむと、そのまま残りの洗濯物のことを忘れ去ってしまうのだ。これは2週間に1回くらいやらかす。
こんなに自分がぽんこつなのに気が付いたのは高校生の科学の実験の時だ。その時は液体をアルコールランプで熱するのに試験管に沸騰石を入れ忘れたのだ。見事に試験管の中身は突沸し、ヒューンと理科室の流しの中に無事着陸した。ひええ、恐ろしい。自分のちょいミスで実験室を爆発させかねない。化学系には進むまい。あと医療系の選択も絶対にやめよう。悪気なく人を死にいたらせかねない。
そうは言っても「しっかりしてる人」の擬態はなかなかやめられなかった。就職では「ちゃんとしている人」に見えることが有利である。本当はぼんやりなのに出来るだけしっかりしている風を装って生きてきた。だから、今でも知り合いには「しっかりしてそう。」とか「A型でしょう。几帳面そう。」と言われがちだ。
そのたびに「いやいや、雰囲気だけなんで。」とか「残念!大雑把なO型なんです。」ときっちり否定しているのに、「またまた~。」とか流されるのが納得いかない。大体にして、しっかりしてそうな人がミスをするとがっかりされてしまうのだ。それに比べて、ちゃらんぽらんな人がちょっとちゃんとした仕事をすると感心されがちだ。しっかりしてそうに見えるのは実は損してないかと思うことさえある。
今だって、冒頭でアジサイの話をしようとしていたのを忘れていたことに気付いて慌てている。しかし、文脈的にどこに差し込めばいいのか分からない。そんな訳で冒頭ではなく最後にこんな風に書き添えることになっている。
このアジサイはヤマアジサイらしい。ずっと普通のアジサイだとばかり思って、いつ内側のガクが開くのか通るたびにチェックしていた。写真をよく見れば内側も既に咲いてきているのが分かる。う~ん、さすがぼんやり。自分のぼんやりっぷりを噛みしめつつ、それじゃあ、そろそろ失礼するよ。
