「政治的な発言は仕事を減らす」と言われたのに、新聞挿絵の仕事が来た理由
広告、CM、雑誌、書籍、企業キャラクター、NHKラジオ英会話の表紙などなど、イラストレーターをやっているのならば、これは担当してみたいという仕事がいくつかあります。そのひとつが、新聞の挿絵です。
実は、ウラケン・ボルボックス。僭越ながらこの度、音楽プロデューサー松尾潔さんの連載コラム『メロウな徒然草』(西日本新聞 毎月第3金曜掲載)の挿絵を担当することになりました。
先日亡くなられたイラストレーターの遠藤舞さんの後を引き継ぐ形となります。ご指名いただいた意味を受け止めつつ、遠藤さんのレガシーと、私なりの方向性の折衷を見つけられたらと思っております。
以前、佐賀新聞のタブロイド版でエッセイ漫画『金曜日のウラケン』を連載していた時期がありましたが、自分ではなく他の人が書いた新聞コラム・エッセイに絵を描くというのは初めてです。
そして、こちらが担当第1回目の絵です。パッと見で、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、松尾さんの記事の文末にある一言が創作の起点になっています。

「あの朝も、広島の空はこれほど青かったのだろうか」
あの日の朝とは、1945年(昭和20年)8月6日。絵は原爆ドームになる前の、広島県産業奨励館と、エノラ・ゲイです。
#西日本新聞 の毎月第3金曜の「#メロウな徒然草」第24回。先週21日の紙面を全文公開。音楽と有事/平時について考えました。
— 松尾潔 (@kiyoshimatsuo) August 29, 2026
今回から挿絵がウラケン・ボルボックスさん @ulaken に。前任の遠藤舞さん@moneypenny214へのリスペクトを感じさせながらも、独自の世界観を提示してくださいました! pic.twitter.com/cQ5edf2CGx
こちらが、実際の新聞の紙面ですが、自分でめくってみて驚きました。

絵が、
絵が大きい。

スマホや、PCのブラウザで見るのとはだいぶ印象が異なります。実際の新聞で見ると、思ってたより絵が大きい。縦だけで言えば、ほぼ紙面の1/3。新聞のイラストがこんなに青一色なのはあんまり見たことがありません。朝刊の読者がページをめくった際のインパクトは大きかったのではないでしょうか。この面積のバトンを受け取った責任に慄きました。
これから毎月、絵でしか表現できない色で、松尾さんの記事の読後感から広がる奥行きや余韻へのお手伝いができたらと思っております。身の引き締まる思いです。
そして、このようなお仕事をした場合、身内や友人によく聞かれる質問があります。そう、それは
「どうやってこの仕事来たの?」
です。新天町の屋外ツインボードの時も聞かれました。
気持ちは非常に理解できます。どういった経緯でイラストレーターに新聞の挿絵の仕事がくるのか。逆の立場なら自分も聞きたいです。
実は私は、今回のご依頼をいただくまで、西日本新聞さんとも、松尾潔さんとも接点はありません。ゼロです。松尾さんと言えば平井堅のブレイクの仕掛け人や、CHEMISTRYの生みの親であり、音楽トーク番組などで観ていたテレビの向こう側の方でした。
なので、7月の半ばに西日本新聞の担当記者さんから、松尾さんから後任のイラストレーターとして指名されているという連絡が来るまで、新聞連載の挿絵を担当するなどとは、全く考えていなかったのです。
では、なぜ今回私に白羽の矢が立ったのか。
西日本新聞とも、松尾潔さんとも接点はゼロ。それでも、数か月前のある発信を起点に、いくつもの偶然と過去の仕事がつながり、今回の依頼に結びつきました。
その最初のきっかけは、
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