継承したいおじいちゃん―大林太良と中央公論社『日本の古代』は何がすごいのか?―
なんか変な人がいるな
数年前、図書館で中央公論社の『日本の古代』シリーズ(初出1985~88年)をみかけました。
ああ、こんなシリーズあったな、古いやつだからちゃんと読んでなかった。
パラパラめくってみると、どうも引っかかるところがありました。
……なんか、変な人がいるな。
ミャンマー、ラオス、インドネシア、マルク(モルッカ)諸島、シュメール、マヤ、ヨーロッパ、ギリシア、イラン……
私が学んできた日本古代史には、まず現れない言葉が次々に現れます。
そういう章の執筆者を確認すると、決まって大林太良なのでした。
名前なんて読むん?
調べてみると、大林太良(おおばやし・たりょう)と読むそうです。
民族学(文化人類学)や神話学の巨人で、このシリーズでは、考古学の森浩一と日本古代史(文献史学)の岸俊男と並んで、編集を務めています。
検索すると、福岡アジア文化賞のページが、出てきました。
私は、大林太良の顔写真を見たとき、なぜかこう思いました。
あ、おじいちゃんだ。
私の祖父とはまったく顔は似ていないのに、なぜかそう思いました。
私は、1986年生まれ。大林太良は、1929年生まれなので、57歳差。確かに、私のおじいちゃん世代です。
そのときは、ふーん、面白い人がいるもんだなあ、知らなかったなあ、で終わりました。
おじいちゃんとの再会
私は、儀礼から日本古代史を再構築したいと思うようになり、講義の準備を進めていました。
そんなときに出会ったのが、大林太良『正月の来た道』(小学館、1992年)でした。
おじいちゃん、久しぶり!
私の心は夏休みに祖父の家を訪れた孫のように、再会の喜びでいっぱいになりました。
日本と中国の新春行事を中心に分析したもので、ややスケールダウンしているように感じる部分はあるものの、意外と朝鮮半島と日本は似ていないという点や、中国の北部と南部の大きな相違に注意すべきであることなど、示唆に富んでいます。
今では実現できない『日本の古代』
ここで、改めて私は『日本の古代』を読み始め、このシリーズはすごいぞ、ということに気が付きました。
このシリーズには、近年の類書とは違う大きな特徴があります。
例えば、岩波新書のシリーズ日本古代史。
こちらは、考古学と日本古代史(文献史学)の研究者によって、分担して書かれています。
注目すべきは、ここに大林太良のような研究者が入る余地がなくなっていることです。
近年も、学際的な研究の重要性がよく語られていますが、民族学(文化人類学)、神話学、民俗学などとの協働は、中央公論社『日本の古代』の段階の方が、進んでいたようにも思われるのです。
継承されてるおじいちゃんと、継承されてないおじいちゃんがいるぞ!
ここで、私は、30代後半になってようやく、当たり前の事実に気が付きました。
継承されてるおじいちゃんは、西嶋定生だったり、吉田孝だったり、岸俊男だったり、たくさんいます。
ところが継承されてないおじいちゃんは、もう亡くなってしまっていて新しい論文や本を書いてくれないので、情報が入ってきません。おじちゃんやおばちゃんたちも、紹介してくれません。意識的にこちらから探しにいかないと見つからないのです。
目の前の史料や、次々に新しい研究を発表する面白いおじちゃん・おばちゃんたちに気をとられていて、こんな重要なことに気がつかなかった。
これは、大変なことだ。急いで、継承したいおじいちゃんを探さなくては。
こうして、私の継承したいおじいちゃん探しの旅は、始まったのです。
継承したいおじいちゃん②に続く……かも。
いいなと思ったら応援しよう!
ご支援お願い申し上げます。いただいたチップは研究に使わせていただきます。