声が全く出せなくなった1か月
7月中旬、役所の窓口へ行きました。
私より先に来ていた方が、自国の言葉で大きな声を上げていました。
別の職員さんが私に対応してくださり、席へ案内してくださいました。
座ろうとした、その時でした。
それまで騒いでいた人が突然スーツケースを持ち上げ、私の方へ向かってきました。そのスーツケースには「ヘルプマーク」ぶら下がっていました。
私は複雑性PTSDと診断された後も、病気をクローズにして、会社で怒号が飛び交う環境や、街中の大きな音などに耐えながら働いてきました。
子どもたちを守り、生活していかなければならなかったからです。
自分の状態を周囲に悟られないようにして、長い間、隠してきました。
それまで耐えてきたものの多くは、ある程度予測のできるものでした。
でも、その日の出来事は違いました。
全く知らない年配の女性が、スーツケースを持ち上げて私を追いかけてくる。
身構える、想定できない経験でした。
何が起きるのか分からない。
その恐怖の中で身体が震え、フラッシュバックが起きました。
そして私は、長い間ほとんど口にしてこなかった言葉を、職員の方に言いました。
「助けて」
大量の汗が身体中から噴き出しました。
何人もの職員さんがその人をどこかへ連れて行ったところまでは覚えています。
その次にある記憶は、自宅で倒れていた自分です。
それから数日間、熱が下がらず、手足が硬直するなどの症状が出て、仕事にも行けなくなりました。
そして、声まで出なくなりました。
私は、もう一度歌いたいと思っていました。
長い間できなかったことを、これから取り戻そうとしていました。
曲を書き、音楽を作り、もう一度自分の声で歌おうとしていました。
だから、声が出なくなったことが何より苦しかった。
そんな時期に、noteへ個別に海外の方から大量のメッセージが届くようになりました。
性別や年齢を執拗に尋ねる人。
日本人の男性、あるいは女性と結婚したいとはっきり書き、何度もメッセージを送ってくる人。
その為、私はメッセージを見ること
さえできなくなりました。
コメントをくださった方、記事を購入してくださった方にも、お礼をお伝えすることができないままになっていました。
大好きなクリエイターさんたちの記事を読むことさえ、できなくなりました。
それでも、なんとか小説だけは更新していました。
今回の出来事は、私の中に、それまで仕事や生活の中で感じてきた別の不安まで呼び起こしました。
私は管理部門の仕事をしてきました。
外国籍の方の雇用や手続きに関わる中で、在留資格に関する書類を確認した結果、経験からその国の人の名前は長くとも、正しい名前でない、申告されていた氏名が本人の真正な氏名ではないことが判明したケースを、実際に経験しました。
本人だけでなく、配偶者や子など家族を伴って日本で生活するケースも見てきました。
もちろん、外国籍の方が家族と日本で暮らすこと自体を批判したいわけではありません。
日本の文化を知ろうとし、法律や社会のルールを守り、真面目に暮らしている方が大勢いることも知っています。
だからこそ私は、国籍にかかわらず、日本で暮らす以上、この国の法律や公共のルール、他人の安全や尊厳を守ってほしいと思っています。
他人の顔を本人の承諾なく配信すること。
窃盗をすること。
虚偽の申請をすること。
他人を威嚇すること。
暴力を振るうこと。
性暴力を行うこと。
どこの国の人であっても、許されることではありません。
性暴力や犯罪についても、私は国籍だけで一括りにしたいわけではありません。
私自身、被害にあった経験があります。
だからこそ、加害する人間が何人であるかではなく、被害を受ける人が安心して助けを求められる社会であってほしいと思っています。
一方で、日本の外国人受け入れ政策や在留制度、社会保障のあり方について、私自身が疑問や不安を抱くようになったことも事実です。
私は同じ世代の、父子家庭、母子家庭で子どもを育ててきた人たちを知っています。
私自身も、社会制度が今ほど整っていない時代に子どもを育て、働いてきました。
結婚や妊娠を機に仕事を続けることが難しかった時代。
育児休業制度も今ほど整っていなかった時代。
男女の待遇差が今よりも当たり前のように存在した時代。
その中で働き、子どもを育て、社会保障費を払い、これから老後を迎える世代があります。
だから私は、日本で長年生活し、働き、負担を引き受けてきた人たちが安心して暮らせる社会であってほしい。
同時に、新しく日本で暮らす人にも、日本という国の文化や慣習を知り、法律と秩序を尊重して暮らしてほしい。
それは排除したいからではありません。
同じ社会で暮らす以上、お互いの安全と尊厳を守るためです。

あの日、私は役所で「助けて」と言いました。
長い間、言わなかった言葉でした。
そしてその後、私は外へ出ることも、仕事をすることも難しくなり、歌うたうための気力も削がれました。
それでも私は、もう一度歌いたい。
自分の人生を、自分のために使いたい。
今回のことを黙ったまま音楽を出すことも考えました。
けれど、何もなかったことにして作品だけを出すことは、私にはできませんでした。
これは誰かを一括りにして憎むために書いたものではありません。
私の身に起きたこと。
長い間働いてきた中で見てきたこと。
そして今、日本で暮らすことについて私が感じている不安。
それを、今の自分の記録として残しておきたいと思い、書きました。
もう一度、自分の声で歌うために。
声を失ったままで終わりたくありません。
今も、以前のように何も気にせず過ごせるようになったわけではありません。
それでも、もう一度自分の声で歌うために、毎日少しずつ訓練を続けています。
思うように声が出ない日があっても、できることを一つずつ重ねながら、少しずつ前を向けるようになってきました。
計画していた音楽も、諦めるつもりはありません。
もう一度、自分の声で歌い、自分の音楽を届けられるように。
今は、そのための時間を重ねています。
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