芋出し画像

たくさんの写真の䞭で、なぜか足が止たった。岡䞊淑子のコラヌゞュ

矎術通や展芧䌚に行くず、䞍思議なこずがある。
䜜品に぀いお詳しく知らなくおも、
なぜか、その䞀枚の前だけ足が止たる。
理由を説明できるより先に、
「これ、奜きだ」
ず思う。
枋谷で開催されおいた「たなざしの奇跡―日本女性写真家の冒険」を芋に行った日。
たくさんの写真家の䜜品が䞊ぶ䞭で、私が足を止めたのは、岡䞊淑子の䜜品だった。

最初に感じたのは、「䞍思議」だった。
でも、ただ䞍思議なだけではない。
䞍思議で、䞍穏。
珟実の䞖界のようでいお、どこにも存圚しない䞖界。
芋おいるず、だんだん䜜品の䞭ぞ匕き蟌たれおいく。
『LIFE』ず『VOGUE』から生たれた、存圚しない䞖界

岡䞊淑子は1928幎、高知県生たれ。
文化孊院デザむン科で出された「ちぎり絵」の課題をきっかけに、コラヌゞュを始めたずいう。
玠材に䜿ったのは、『LIFE』や『VOGUE』などの海倖雑誌。
そこに掲茉されおいた人物、建物、颚景などの写真を切り抜き、それらを組み合わせお䜜品を䜜った。
䞀぀䞀぀の玠材は、もずもず珟実に存圚しおいたものだ。
人物も、建物も、颚景も、それぞれは珟実を写した写真。
なのに、それらを切り取り、別の堎所に眮くず、珟実には存圚しない䞖界が生たれる。

それが、ずおも面癜かった。
私はどこかで、写真ずは「そこにあったもの」を写すものだず思っおいた。
けれど写真を切り取り、別の写真ず組み合わせれば、「そこにはなかったもの」たで䜜るこずができる。
蚘録するための写真が、想像するための玠材になる。
珟実を写したものから、非珟実の䞖界を䜜る。
その発想に惹かれた。
「コラヌゞュは、そんな私の青春でした」
展瀺の壁には、岡䞊淑子自身の蚀葉もあった。
「戊争が終わり、女性が解攟され、自由を探る時代になったず若い私は盎に思っおいたした。コラヌゞュは、そんな私の青春でした。」
この蚀葉を読んだずき、䜜品の芋え方が少し倉わった。
岡䞊淑子がコラヌゞュ制䜜をしおいたのは、戊埌間もない時代だった。
戊争が終わり、瀟䌚が倧きく倉わっおいく。
女性の生き方にも、それたでずは違う可胜性が開かれようずしおいた時代。
そんな䞭で、若い圌女は海倖雑誌を切り抜き、自分だけの䞖界を䜜っおいた。
そう考えるず、この幻想的な䜜品は、単なる技法の実隓ではないように思えおくる。
ただ芋たこずのない䞖界。
ただ決められおいない生き方。
ただ存圚しおいない自由。
そういうものを探しおいた䞀人の若い女性の感芚が、コラヌゞュの䞭に残っおいるようにも芋える。
「コラヌゞュは、そんな私の青春でした。」
短い蚀葉だけれど、ずおも印象に残った。
44幎ずいう時間を越えお
岡䞊淑子の才胜を芋出したのは、日本のシュルレアリスムを牜匕した詩人・矎術評論家の瀧口修造だった。
その幻想的な䜜品は評䟡され、1950幎代に制䜜・発衚されおいく。
けれど結婚埌、岡䞊淑子は長く制䜜の珟堎から離れた。
そしお2000幎。
第䞀生呜南ギャラリヌで、44幎ぶりの個展が開催された。
そこから埐々に再評䟡が進み、珟圚では写真集や展芧䌚を通しお、再び倚くの人が䜜品に出䌚っおいる。
この経歎を知ったずき、私は䜜品ずは別のずころでも足を止めた。
「創䜜には、こういう時間の流れ方もあるのか」
ず思った。
䜜る時期も、䜜らない時期もある
䜕かを䜜るこずは、ずっず䞀定の速床で続けなければならないような気がしおしたう。

毎日䜜る。

発信する。

成長する。

止たらない。

今は特に、そんな空気が匷い。

SNSを開けば、誰かが毎日䜕かを発信しおいる。

新しい䜜品。

新しい挑戊。

新しい成果。

それを芋おいるず、自分も止たっおはいけないような気持ちになるこずがある。

でも、人の人生はそんなに䞀盎線ではない。

䜜る時期もある。

䜜らない時期もある。

別のこずをしお生きる時間もある。

そしお䜕十幎経っおから、昔䜜ったものぞ、新しい光が圓たるこずもある。

岡䞊淑子の䜜品は、制䜜された1950幎代だけに存圚しおいたわけではない。

本人が制䜜の堎を離れおいた間も、䜜品は残っおいた。

そしお䜕十幎も経ったあず、別の時代を生きる人たちによっお、もう䞀床芋぀けられた。

そのこずが、なんだかずおも面癜かった。

䜜品ずいうものは、䜜った瞬間だけのものではないのかもしれない。

䜜った本人の手を離れたあずも存圚し続けお、
別の時代の誰かが芋぀け、
その人の䞭で、たた新しい意味を持぀。
今、私が岡䞊淑子の䜜品の前で足を止めたこずも、その長い時間の続きなのだず思うず、䞍思議な気持ちになる。
「奜き」から始めおもいい
この日、私は岡䞊淑子ずいう䜜家を初めお知った。
詳しい知識があったわけではない。
コラヌゞュの技法やシュルレアリスムに぀いお、深く理解しおいたわけでもない。
ただ、「この人の䜜品がいい」ず思った。
それで十分なのかもしれない。
矎術を芋るずき、私は぀い、
「これは䜕を意味しおいるのだろう」
「どう評䟡されおいるのだろう」
「矎術史の䞭では、どういう䜜品なのだろう」
ず考えおしたうこずがある。
もちろん、背景を知るこずも面癜い。
実際、岡䞊淑子に぀いお知れば知るほど、私は䜜品をさらに面癜いず思うようになった。
でも、その前にもっず単玔なものがある。
奜き。
気になる。
もう少し芋たい。
なぜかわからないけれど、離れがたい。
その感芚から始めおもいい。
むしろ、そういう出䌚いのほうが、あずになっお長く心に残るこずもある。
「写真ずは出䌚い」
今回の展芧䌚では、さたざたな写真家の䜜品ずずもに、その人たちの蚀葉も展瀺されおいた。
その䞭で、西村倚矎子の蚀葉も印象に残っおいる。
「写真ずは『出䌚い』だず思っおいる。それもすべお新しい出䌚い。」
写真を撮るこずに぀いお語られた蚀葉だけれど、䜜品を芋る偎にも同じこずが蚀える気がした。
知らなかった䜜家。
知らなかった衚珟。
知らなかった䞖界。
本来なら、その前を通り過ぎおいたかもしれない。
けれど、なぜかその日、その䜜品の前で足が止たる。
そこから䜕かが始たる。
展芧䌚ずは、そういう偶然の出䌚いが起こる堎所なのかもしれない。
珟実の断片から、ただない䞖界を䜜る
展芧䌚を出たあずも、岡䞊淑子の䜜品のこずを考えおいた。
珟実にあるものを切り取り、
組み合わせお、
ただ存圚しない䞖界を䜜る。
考えおみれば、創䜜ずいうものは、みんな少し䌌おいるのかもしれない。
日々芋たもの。
読んだもの。
経隓したこず。
奜きだったもの。
誰かず亀わした蚀葉。
忘れられなかった景色。
心に残った感情。
そういう珟実の断片を、自分の䞭で組み合わせお、
ただ䞖界のどこにもないものを䜜る。
小説も。
絵も。
写真も。
AIを䜿った創䜜も。
䜕もないずころから突然生たれるのではなく、
自分がこれたで芋お、感じお、生きおきたものの断片から䜜られおいるのかもしれない。
そう考えるず、岡䞊淑子のコラヌゞュは70幎以䞊前に生たれた䜜品なのに、䞍思議なくらい今の創䜜にも぀ながっお芋えた。
そしお、この日私が写真展で芋぀けたのは、䞀人の䜜家だけではなかったのかもしれない。
「こういうふうに䞖界を䜜っおもいいんだ」
ずいう、新しい創䜜の入口だった。
たた䞀人、気になる䜜家が増えた。
そしお、自分の䞭にもたた䞀぀、創䜜の材料が増えた。
こういう偶然があるから、展芧䌚ぞ行くのはやめられない。

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