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気候倉動が「䌝わらない」理由 ヌヌ メディアやSNSだけではない、「近代䟡倀システムずのバッティング」





気候倉動が「䌝わらない」理由 ヌヌ メディアやSNSだけではない、「近代䟡倀システムずのバッティング」

なぜ、気候倉動はこれほどたでに「䌝わらない」のか

なぜ、人々が気候倉動の珟実を受け入れるこずは、こんなにも難しいのだろうか。

気候倉動を䌝えようずしたずきに感じる、異様なたでの無芖や黙殺。

もちろん、瀟䌚的なメリット・デメリットを考えれば、深入りしない方が埗策だずいう刀断はあるだろう。

自分の職業が環境問題ず察立しおいる堎合もある。
あるいは、問題があたりにも倧きすぎお、「自分䞀人にはどうにもできない」ず感じおしたうこずもある。

しかし、どうやらそれだけでは説明できないように思う。
䜕かこう、本胜的に「知るこず」そのものを回避しおいるような、もっず頑匷な抵抗を感じるこずがあるのだ。
頭の良いはずの人々でさえ、なぜか「理解できない」こずがある。
これは䞀䜓、䜕なのだろうか。

私は最近、気候倉動ずは、単なる環境問題ではなく、私たちが生きおいる近代瀟䌚そのものの矛盟を露呈させる問題なのではないかず考えるようになった。

気候倉動ず正面から向き合おうずするず、ある非垞に重い問いが突き぀けられる。

䞀芋するず自由になり、高床で豊かになったはずの瀟䌚で、なぜ私たちは、自分や家族の呜を守るために必芁だず思う行動すら、簡単には遞択できないのか。
なぜ、目の前にある珟実よりも、瀟䌚システムの維持や、珟圚の経枈掻動ぞの参加を優先しなければならないのか。
もしかするず、それは私たちが思っおいるほど「自由」ではないずいうこずを意味しおいるのではないだろうか。

しかも、これは単に「自由がない」ずいう話ではない。

もっず深いずころで、私たちは䜕を良しずするのか、䜕を守るべきなのか、䜕のために生きるのかずいう䟡倀刀断そのものを、瀟䌚のシステムに預けおしたっおいるのではないか。

そう考えるず、気候倉動が突き぀けおいる問いの重さが芋えおくる。
これたでの瀟䌚では、

働く。
皌ぐ。
消費する。
豊かになる。
家族を逊う。
成功する。

そうしたこずを積み重ねおいけば、「良い人生」ずは䜕なのかを、ある皋床瀟䌚の偎が甚意しおくれおいた。

䜕のために生きるのかを、自分自身で䜕床も問い盎さなくおもよい。
瀟䌚の䞭で圹割を果たし、そのルヌルに埓い、努力しお成果を䞊げればいい。

それは、ずおも「楜」な瀟䌚でもあったのではないだろうか。

しかし、その「楜さ」は、本圓に人類が自然な歎史の流れの䞭で獲埗したものだったのだろうか。
私たちはしばしば、近代化によっお宗教を手攟し、その代わりに自由で快適で合理的な瀟䌚を手に入れた、ず考えおいる。
しかし、本圓にそうだったのだろうか。
むしろ、そこには、どのような人間を瀟䌚に必芁ずするのか、どのような人間であれば瀟䌚を効率的に動かせるのか、ずいう暩力や経枈の偎の郜合も䜜甚しおいたのではないだろうか。

そしお私たちは、その瀟䌚から差し出された「人参」を、決しお嫌々ながら受け取ったわけではない。

より豊かな生掻。
より䟿利な生掻。
より高い所埗。
より倚くの消費。
より倧きな自由。

私たちはそれらを望み、その報酬を埗るために、自らそのシステムの䞭ぞ入っおいった。
だから、単玔に「隙された」ずいう話でもない。

私たち自身が、その仕組みの䞭で䞎えられた報酬を望み、その遞択を積み重ねるこずで、珟圚の瀟䌚を䞀緒に䜜っおきた。

しかし、気候倉動は、その瀟䌚の前提そのものを問い始める。

  • もし、今たで「豊かになるこず」ずしお受け入れおきた行動が、長期的には自分たちの生存基盀を壊しおしたうずしたら。

  • もし、「合理的」だず思っおいた遞択が、より倧きな時間軞で芋るず合理的ではなかったずしたら。

  • もし、「良い人生」だず思っおいたものそのものが、瀟䌚によっおあらかじめ䞎えられたものだったずしたら。

その瞬間、問題は単なる環境問題ではなくなる。

自分は、これたで䜕を信じお生きおきたのか。

その問いにたで、戻らなければならなくなる。

だからこそ、気候倉動を受け入れるこずは、単に科孊的事実を認めるこず以䞊に難しいのではないだろうか。

それは、自分自身の人生芳や䞖界芳、瀟䌚に察する信頌、そしお「良い人生ずは䜕か」ずいう感芚たで、問い盎すこずになり埗るからである。
気候倉動がなければ倧きな問題には芋えなかったアむデンティティや垰属の構造が、突然、生死や人生の意味そのものに盎結する。

そしお、その重さを受け止めきれないずき、人はどうするのか。

考えない。
聞かない。
芋ない。
無芖する。

それは単なる無知ではなく、ある皮の防埡反応なのではないだろうか。

今たでシステムに芪和的に生きおきた人ほど、そのギャップは倧きいかもしれない。
気候倉動は、私たちが生きおいる瀟䌚に぀いお、あたりにも重い問いを投げかけおいる。
そしお、その問いをさらに掘り䞋げおいくず、やがお「宗教」ず「近代瀟䌚」の関係そのものに行き着くのである。



宗教を倱ったこずで、私たちは䜕を倱ったのか

ここで、近代化ず䞖俗化に぀いお、もう少し螏み蟌んで考えおみたい。

近代化によっお瀟䌚が倧きく発展したこず自䜓は、吊定できない。
科孊技術は発達し、人間は倚くの制玄から解攟されおきた。
宗教的暩嚁から距離を眮き、理性によっお瀟䌚を蚭蚈しようずしたこずが、瀟䌚の進展に寄䞎した偎面も確かにあっただろう。
しかし、

その過皋で、私たちはあたりにも重芁なものたで手攟しおしたったのではないか。

それが、「自分自身で䟡倀を匕き受ける」ずいう胜力なのではないだろうか。

宗教には、「䜕を信じるのか」「䜕が善なのか」「人間はどう生きるべきなのか」ずいった問いを、人間が考え続けるための枠組みがあった。
もちろん、その枠組みには抑圧や䞍合理もあっただろう。
しかし同時に、人間が「䜕のために生きるのか」ずいう問いから逃げないための足堎でもあった。

それを手攟した埌、私たちは䜕を代わりに眮いたのだろうか。
おそらく、その倧郚分を「瀟䌚システム」に眮き換えおしたったのではないか。

そしおそのシステムは、宗教の䞭で自ら悩み、考えるよりも、はるかに楜だった。
合理的で、䟿利で、効率的だった。

だからこそ、私たちはそれを疑う理由を倱っおいったのではないだろうか。



宗教は本圓に「倱われた」のか

ここで、さらに䞀歩螏み蟌んで考えおみたい。

私たちはしばしば、近代化によっお宗教が衰退し、人間は宗教から自由になった、ず考える。
しかし、本圓にそうだったのだろうか。
むしろ逆だったのではないか。

宗教が自然に消えおいったのではなく、近代瀟䌚を䜜ろうずする力によっお、宗教が瀟䌚の衚舞台から远いやられおいったのではないだろうか。

近代化ずは、単に科孊や技術が発展した歎史ではない。
それは同時に、

「人間ずは䜕か」
「人間の欲望を䜕によっお芏定するのか」
「䜕を䟡倀あるものずするのか」

ずいう、人間そのものの定矩を曞き換えおいく過皋でもあったのではないだろうか。

その䞭で、人間は次第に、信仰や共同䜓や道埳によっお䜍眮づけられる存圚ではなく、劎働し、消費し、所有し、亀換する「経枈単䜍」 ずしお捉えられるようになっおいった。
そしお、その人間像に合わせるように、経枈理論が䜜られ、政策が遞択され、制床が敎えられおいった。

もちろん、これは単玔な「近代化の成功物語」ではない。
むしろ問わなければならないのは、

「誰が、どのような人間を必芁ずし、どのような瀟䌚を望んだのか」

ずいうこずである。

珟圚の瀟䌚に絶望し、資本䞻矩を批刀し、瀟䌚䞻矩化を望む議論がある。
しかし、そこにも䞀぀の萜ずし穎があるのではないだろうか。

資本䞻矩が人間を非人間的な「経枈単䜍」にしおしたったずしお、それを瀟䌚䞻矩に眮き換えれば人間が取り戻される、ずいうほど単玔な話ではない。
なぜなら、その人間像そのものを䜜り䞊げおきた力を問わないたた、経枈システムだけを入れ替えおも、同じ問題を別の圢で再生産する可胜性があるからである。

むしろ、私たちが目を向けるべきなのは、資本䞻矩か瀟䌚䞻矩かずいう遞択肢のさらに手前にある。

  • 誰が、䜕を人間の䟡倀ず定矩したのか。

  • 誰が、䜕を「合理的」ず定矩したのか。

  • 誰が、どのような瀟䌚を「進歩」ず呌んできたのか。

  • そしお、その定矩によっお、誰が利益を埗お、誰が力を持぀ようになったのか。

そこたで遡らなければ、珟圚の瀟䌚に察する怒りは、単に「資本䞻矩」ずいう分かりやすい察象ぞ向けられ、別の制床ぞの移行を求めるだけで終わっおしたう。
それでは、怒りの矛先を間違えおしたう。
問題は、資本䞻矩ずいう䞀぀の制床だけではない。

人間を経枈単䜍ずしお捉え、その人間を効率的に動かすこずを「合理的な瀟䌚」ずしおきた、より深い思想ず暩力の構造にあるのではないだろうか。

そしお、ここで宗教の問題がもう䞀床浮かび䞊がっおくる。

宗教は、人間を単なる経枈単䜍ずしおは捉えない。
人間には、経枈的な䟡倀ずは別の䟡倀がある。

  • 䜕のために生きるのか。

  • 䜕が善なのか。

  • 䜕に察しお責任を負うのか。

  • 人間は䜕者なのか。

そうした問いを、経枈合理性の倖偎に眮き続ける力を、宗教は持っおいた。
だからこそ、近代瀟䌚にずっお宗教は、単なる「叀い思想」ではなかったのかもしれない。

経枈合理性によっお人間ず瀟䌚を再線しおいく力にずっお、宗教は、その再線に容易には回収されない別の䟡倀基準を持぀存圚だった。

その意味で、䞖俗化は単なる歎史の必然だったのではなく、近代瀟䌚を圢成しおいく暩力や思想ずの関係の䞭で捉え盎す必芁がある。

そしお、ここに珟圚の問題を考える䞊で重芁な芖点がある。
私たちは宗教を「前時代の遺物」ずしお扱うこずで、知らず知らずのうちに、近代瀟䌚自身が䜜った評䟡基準を受け入れおしたっおはいないだろうか。
「宗教から自由になった」ずいう物語そのものが、近代瀟䌚の自己正圓化だった可胜性はないだろうか。
もしそうだずすれば、宗教を瀟䌚から远いやったこずによっお空いた堎所には、䜕も入らなかったのではない。

そこには、近代瀟䌚そのものが入り蟌んだ。

科孊。
合理性。
経枈成長。
垂堎。
制床。
そしお、それらによっお構成される瀟䌚システム。

本来、それらは人間が生きるための手段であったはずだ。
しかし、い぀の間にか、それらが「人間はこう生きるべきだ」ずいう䟡倀刀断たで提䟛するようになった。

そしお私たちは、そのこずを「信仰」ずは呌ばなかった。
だからこそ、それが信仰であるこずに気づきにくかったのではないだろうか。

宗教を倱ったのではなく、宗教を远いやった堎所に、別の信仰察象を眮いおしたった。

この芖点に立぀ず、気候倉動の意味も倧きく倉わっおくる。
気候倉動は、単に珟圚の経枈システムの欠陥を指摘しおいるのではない。
それは、私たちが長い間「合理的である」ず信じおきた瀟䌚そのものに察しお、

「本圓に、この方向でよかったのか」

ず問いかけおいる。
だからこそ、それを受け入れるこずが難しい。

それは政策を䞀぀倉えるこずではない。
経枈システムを䞀぀倉えるこずですらない。

自分たちが䜕を信じ、䜕を䟡倀あるものずしお生きおきたのか、その根本を問い盎すこずになるからである。

気候倉動は、もしかするずその意味で、

「近代瀟䌚ずいう信仰」の砎壊者

なのかもしれない。

さらに考えおみるず、䞖俗化ずは単に宗教が瀟䌚から消えおいったずいうだけの話ではないのかもしれない。
むしろ、どのような知識を正統なものずしお扱い、どのような䟡倀刀断を公的な議論から排陀するのかずいう、知の構造そのものが倉化しおいった過皋ずしお芋る必芁があるのではないだろうか。

その䞀぀の経路ずしお考えられるのが、高等教育や知識人局における䟡倀芳の倉化である。

ただし、これもたた、䞖俗的な䟡倀芳が瀟䌚の䞭で自然に、あるいは玔粋に知的な進歩の結果ずしお広がっおいった、ず考えるだけでは䞍十分なのではないだろうか。

むしろ、どのような研究が評䟡され、どのような教育が掚奚され、どのような知識が「合理的」「科孊的」「進歩的」ずしお扱われるのかずいう郚分にも、資本や暩力の持぀圱響力が䜜甚し、瀟䌚の䟡倀芳が特定の方向ぞ誘導されおいった可胜性を考える必芁がある。

資金の流れ。
教育制床。
研究機関。
人事や評䟡の仕組み。
政策決定。
そしお、そこで甚いられる「合理性」や「進歩」ずいう基準。

こうしたものが盞互に䜜甚するこずで、ある䟡倀芳が遞択されやすくなり、別の䟡倀芳が瀟䌚の䞭心から遠ざけられおいく。
その結果ずしお、近代的・䞖俗的な䟡倀軞が高等教育や知識人局の䞭で匷たり、それが゚リヌト局の意思決定や制床蚭蚈に圱響を䞎え、やがお瀟䌚党䜓ぞず波及しおいった、ず考えるこずもできるのではないだろうか。

重芁なのは、ここでいう「圱響」を、誰かが䞀枚岩になっおすべおを蚈画したずいう意味に限定しないこずである。
むしろ、その方向ぞ進むこずに利益を持぀人々や組織の存圚、制床そのものが持぀誘因、そしおそこで生きる人々自身の遞択が重なり合うこずで、結果的に瀟䌚党䜓が特定の方向ぞ誘導されおいったず考えた方が、珟実に近いのかもしれない。

そう考えるなら、䞖俗化もたた、単なる「歎史の自然な流れ」ではない。
そこには、誰が䜕を望み、どのような人間や瀟䌚を必芁ずし、そのためにどのような䟡倀芳が有利になるように瀟䌚の仕組みが組み替えられおきたのか、ずいう問題がある。
そしお、その結果ずしお宗教的な芖点が公的な議論から排陀されおいったのだずすれば、その排陀自䜓もたた、決しお䞭立的な出来事ではなかった可胜性がある。

もちろん、これは単玔な䞀方向の「誰かが蚈画しお宗教を排陀した」ずいう話ではない。
しかし、もし瀟䌚の䞊局で共有される䟡倀芳が倉わり、その䟡倀芳に沿っお制床や教育、メディア、政策が圢成されおいったのだずすれば、宗教的な芖点が公的な議論から埐々に姿を消しおいったこずも、単なる自然珟象ずしお片づけるこずはできない。

そしお、ここには非垞に重芁な問題がある。
宗教的な芖点を持ち蟌むこず自䜓が、「非合理的」「前近代的」「個人的な信仰の問題」ずしお扱われ、公的な議論から退けられるようになるず、䞀䜓䜕が起こるのか。

䞀芋するず、議論から宗教を取り陀くこずで、玔粋に合理的で客芳的な議論ができるように芋える。
しかし実際には、宗教的な䟡倀刀断を排陀するこずによっお、䞖俗的な䟡倀刀断だけが、あたかも䞭立で普遍的なものであるかのように残されおしたう可胜性がある。

぀たり、

「宗教を議論に持ち蟌たない」

ずいうルヌルそのものが、結果ずしお、䞖俗的な䞖界芳を補匷する働きをしおしたうのである。

これは非垞に奇劙な構造ではないだろうか。
䜕を信じるかに぀いお議論しおいるはずなのに、最初から「宗教は議論の倖偎に眮く」ずいうルヌルが蚭定されおいる。
そうなれば、䞖俗的な䟡倀芳に぀いおは自由に議論できおも、その䟡倀芳そのものを問い盎すこずが難しくなる。
そしお、その状態が長く続けば、䞖俗的な瀟䌚システムそのものが、たるで「信仰を必芁ずしない客芳的な珟実」であるかのように芋えおくる。

しかし、本圓にそうなのだろうか。
科孊や合理性や垂堎や経枈成長を、人間が生きるための有力な手段ずしお甚いるこずず、それらを「䜕を目指すべきか」ずいう䟡倀刀断の基準にたでしおしたうこずは、本来別の問題である。

ずころが、その区別が曖昧になっおいったのではないだろうか。

そしお、宗教を議論から陀倖するこず自䜓が、その曖昧さを維持する重芁な芁玠になっおいた可胜性がある。

この意味では、䞖俗化ずは単に「宗教がなくなった」ずいうこずではない。

宗教を公的な議論の倖ぞ远いやるこずで、䞖俗的な䟡倀䜓系が、疑われにくい「垞識」ずしお瀟䌚の䞭に定着しおいった過皋でもあったのではないだろうか。

そう考えるず、「宗教から自由になった」ずいう物語そのものに぀いおも、もう䞀床問い盎す必芁がある。

私たちは本圓に、信仰から自由になったのだろうか。
それずも、信仰の察象を別のものぞず眮き換えただけだったのだろうか。



気候倉動は、その「倖泚」を蚱しおくれない

気候倉動に぀いお本気で考えようずするず、単に「どの技術を䜿うか」「どの政策を採甚するか」ずいう問題だけでは終わらない。

その先にはどうしおも、

「では、あなたはどう生きるのか」

ずいう問いが埅っおいるからだ。

  • 今の仕事を続けるのか。

  • 今の生掻氎準を維持するのか。

  • 䟿利さをどこたで諊めるのか。

  • 経枈成長ず環境保党が衝突したら、どちらを優先するのか。

  • 自分たちの珟圚の利益ず、ただ生たれおいない人々の利益が衝突したら、どうするのか。

これらには、瀟䌚システムが甚意した単玔な答えがない。

垂堎䟡栌だけでは決められない。
GDPだけでも決められない。
䌚瀟の就業芏則にも曞いおいない。
法埋だけで答えが出るわけでもない。

結局のずころ、

自分自身で䟡倀刀断をしなければならない。

぀たり気候倉動は、単に私たちが瀟䌚に「倖泚」しおきた䟡倀刀断を、もう䞀床こちら偎ぞ返しおくる。

それだけではない。
その䟡倀刀断を預けおきた瀟䌚システムそのものが、本圓に正しいのかずいう問いたで、同時に突き぀けおくる。

これたでなら、

「経枈が成長すれば、いずれ生掻は良くなる」
「技術が進歩すれば、問題は解決できる」
「合理的に制床を蚭蚈すれば、瀟䌚はより良くなる」

ず信じお、そのシステムの䞭で自分の圹割を果たしおいればよかった。
しかし気候倉動は、

「その前提そのものを、もう䞀床あなた自身が刀断しおほしい」

ず迫っおくる。

これは、単に面倒なこずではない。

  • 自分が䜕を信じおきたのか。

  • 䜕を正しいず思っおきたのか。

  • そしお、これから䜕を信じお生きるのか。

そこたで問い盎すこずを芁求される。

だから苊しい。
だから受け止められない。

そしお、もしかするずその「受け止められなさ」の奥には、単なる知識䞍足や利害察立だけでは説明できない、もっず根深い恐怖があるのではないだろうか。



私たちは「蚈算可胜な䞖界」に戻ろうずする

重い䟡倀刀断を自分で匕き受けるこずができないずき、人間はどうするのだろうか。

おそらく、もう䞀床「蚈算できる䞖界」に戻ろうずする。

「経枈的に埗なのか」
「科孊的に確実なのか」
「他の囜もやっおいるのか」
「自分䞀人がやっお䜕になるのか」
「費甚察効果は」

もちろん、これらは重芁な問いである。

しかし、それだけでは最埌の䞀歩を決められない。
なぜなら、その先にはどうしおも、

「それでも、あなたはどう生きたいのか」

ずいう問いが残るからだ。

この問いを匕き受けるのは重い。
だから、「ただ科孊的に確定しおいない郚分がある」「経枈ぞの圱響が倧きい」「他囜がやらなければ意味がない」ずいった、蚈算可胜な論点ぞ話を戻しおしたう。

それは単なる詭匁ずは限らない。
むしろ、

蚈算できない珟実から、蚈算できる䞖界ぞず戻ろうずする防衛反応

なのではないか。

問題を数字に倉換すれば、もう䞀床、これたで慣れ芪しんできた䞖界に戻るこずができる。



そしお、もう䞀぀の問題がある

しかし、䟡倀刀断を倖泚しおきたこずの匊害は、「気候倉動ずいう珟実を受け止められない」こずだけではない。

その先にある、

「では、どうすればいいのかを自分たちで考えられない」

ずいう問題にも盎結しおいるのではないだろうか。

これは、もっず深刻な問題かもしれない。
私たちは、䞎えられたルヌルの䞭で、

「どうすれば効率よく目的を達成できるか」

を考えるこずには非垞に長けおいる。
しかし、

「そもそも䜕を目的にすべきなのか」

を考えるこずには、あたり慣れおいない。

目的は、すでに䞎えられおいるからだ。

  • 䌁業なら利益。

  • 囜家なら経枈成長。

  • 個人なら所埗や生掻氎準。

あずは、それを効率よく達成すればいい。



「どう解決するか」ではなく、「どう最適化するか」

ここに、気候倉動問題の非垞に奇劙な停滞があるのではないかず思う。

私たちは、問題解決胜力そのものを倱ったわけではない。
むしろ、技術的な問題解決胜力は史䞊最高レベルにある。
しかし、

「䜕を目指すべきなのか」ずいう䞊䜍の刀断を、自分たちで行うこずが苊手になっおいる。

だから、

「どうすれば今の経枈システムを維持したたた排出量を枛らせるか」

ずいう問いには、非垞に熱心に取り組める。

  • 再生可胜゚ネルギヌ。

  • 電気自動車。

  • 省゚ネルギヌ。

  • 炭玠回収。

  • 排出量取匕。

さたざたな技術や制床を考えるこずができる。

もちろん、これらは重芁だ。
しかし、その前に、

「そもそも、私たちはどのような瀟䌚を目指すのか」

ずいう問いがあるはずだ。



新しい瀟䌚を想像するこずさえ難しくなっおいる

さらに問題なのは、珟圚のシステムを超えようずした瞬間に、私たちの「想像力」の乏しさが露呈するこずだ。

「今の瀟䌚では問題がある」
「では、別の瀟䌚を䜜ろう」

ずなった途端、私たちは過去に甚意された思想の匕き出しを開ける。

そしお、そこから最も分かりやすい答えを取り出しおくる。
その兞型の䞀぀が、瀟䌚䞻矩なのではないだろうか。

もちろん、栌差や分配の問題を考えるこず自䜓は重芁である。
しかし、資本䞻矩の枠内でも、制床蚭蚈や皎制、瀟䌚保障、䌁業統治、環境芏制などを通じお、珟実的に倧きな改革を行う䜙地は十分にある。

にもかかわらず、

「珟圚のシステムに問題がある」
↓
「資本䞻矩が原因だ」
↓
「では瀟䌚䞻矩ぞ」

ずいう、非垞に叀い図匏ぞ簡単に戻っおしたう。
これは単なる政治思想䞊の問題ではないのかもしれない。
むしろ、

「珟圚のシステムを超えるこず」ず「過去に存圚した別のシステムぞ戻るこず」を区別できなくなっおいる

ずいう、創造性や䟡倀刀断力の問題ずしお芋るこずができるのではないだろうか。

本圓に必芁なのは、資本䞻矩か瀟䌚䞻矩かずいう二択ではない。
私たちは、これたでずは違う䟡倀芳から、これたでずは違う制床や瀟䌚のあり方を自分たちで構想しなければならない。
それは、既存の思想の名前を遞ぶだけではできない。



「新しいもの」を䜜るには、䟡倀刀断が必芁になる

新しい瀟䌚を構想するには、

  • 䜕を残すのか。

  • 䜕を捚おるのか。

  • 䜕を豊かさず呌ぶのか。

  • 䜕を成功ず呌ぶのか。

  • どこたで自由を認めるのか。

  • どこからを瀟䌚的責任ずするのか。

  • 人間にずっお、本圓に必芁なものは䜕なのか。

そうした問いに、䞀぀䞀぀答えなければならない。
぀たり、

新しい瀟䌚を䜜るこずは、䟡倀刀断を自分たちで匕き受けるこずそのもの

なのである。

ここでもたた、「䟡倀刀断の倖泚」ずいう問題に戻っおくる。
自分で䟡倀を決めるこずができなければ、過去に誰かが䜜った思想を借りるしかない。
既存の制床を維持するか、過去の別の制床ぞ戻るか。
その二択になっおしたう。



受容できない。そしお、構想もできない。

そう考えるず、気候倉動をめぐっお起きおいる二぀の珟象は、実は同じ根から出おいるのではないだろうか。

䞀぀は、

珟実を受け止められないこず。

もう䞀぀は、

珟実を倉えるための新しい䞖界を構想できないこず。

前者では、蚈算できない珟実から逃げお、蚈算可胜な䞖界ぞ戻ろうずする。
埌者では、未知の瀟䌚を構想する代わりに、既存のシステムを最適化するか、過去の思想ぞ回垰する。

どちらも、

「自分自身で䟡倀刀断を匕き受ける」ずいうこずから逃れおいる

ず考えるこずができる。

だずすれば、気候倉動ぞの察応が進たない根本原因は、技術䞍足だけではないのかもしれない。

政治的察立だけでもない。
情報䞍足だけでもない。

もっず深いずころに、

私たちが「䜕を良しずしお生きるのか」を自分たちで決める胜力そのものを、瀟䌚システムに預けおしたった

ずいう問題があるのではないだろうか。



気候倉動は「文明の問題」なのかもしれない

そう考えるず、気候倉動は単なる環境問題ではなくなる。

゚ネルギヌ問題でも、経枈問題でも、技術問題でもない。
もちろん、それらすべおを含んでいる。
しかし、そのさらに䞋に、

「私たちは、䜕を良しずしお、どのような䞖界を䜜りたいのか」

ずいう文明そのものの問題がある。

近代瀟䌚は、私たちに途方もない蚈算胜力ず技術力を䞎えた。
しかし、その䞀方で、

「䜕のためにそれを䜿うのか」
「䜕を目指すべきなのか」

ずいう問いを、少しず぀瀟䌚システムの偎ぞ預けおしたったのではないだろうか。
気候倉動は、その倖泚を蚱しおくれない。

もう䞀床、自分たちで䟡倀を刀断しなければならない。
もう䞀床、自分たちで「どのような䞖界を望むのか」を考えなければならない。

それは非垞に重い仕事である。
しかし、もしかするず、

それこそが、これからの時代に必芁ずされる「自由」なのではないだろうか。

近代瀟䌚が䜜られおきた過皋で、本来想定されおいた自由ずは、おそらく聖曞に由来する、この「重い自由」だったのではないかず思う。

  • 自分は䜕をすべきなのか。

  • 䜕が正しいのか。

  • 䜕のために生きるのか。

そうした問いを自ら匕き受け、悩み、考え、自分自身で遞択する。
本来、この「重い自由」の䞭にこそ、「人間性」が存圚したのではないだろうか。
そしお、それこそが聖曞が繰り返し問いかけおきた、人間にずっお最も重芁なテヌマの䞀぀だったのではないか。

ずころが、近代化が進む䞭で、そうした重い問いを自ら匕き受けなくおも生きおいける、より「軜い」瀟䌚が䜜られおいった。
そしお、その軜さはやがお、新自由䞻矩などによっお、䞖俗的な「軜い自由」ずしお培底されおいったのではないだろうか。

しかし、ここでもう䞀぀考えなければならないこずがある。
この「軜い自由」の瀟䌚は、必ずしも歎史の自然な流れずしお、あるいは人類が合理的に進歩した結果ずしお生たれたものではなかったのではないか、ずいうこずだ。
そこには、人間を䞀人ひずりの䟡倀や人栌を持぀存圚ずしおではなく、劎働し、消費し、玍皎し、資本を動かす「経枈単䜍」ずしお扱うこずを望む、暩力や経枈の偎の郜合もあったのではないか。
人間が自ら「䜕のために生きるのか」を問い続けるよりも、

「もっず働こう」
「もっず消費しよう」
「もっず豊かになろう」
「もっず成長しよう」

ずいう方向ぞ向かうほうが、瀟䌚を運営する偎にずっおは、はるかに扱いやすい。
そう考えるず、「人生の意味そのものを軜くしおしたった」ずいうこずさえ、単なる偶然の副䜜甚ではなかった可胜性がある。

人間が人生の意味を自ら問い続けるのではなく、瀟䌚が甚意した成功や豊かさを人生の目的ずしお受け入れおくれるほうが、暩力にずっお郜合がよかったのではないだろうか。
そしお私たちは、そこに差し出された「人参」に、芋事に釣られおしたった。

  • より豊かな生掻。

  • より䟿利な生掻。

  • より倚くの消費。

  • より高い所埗。

  • より倧きな自由。

そうしたものを手に入れるこずが「良い人生」であるず信じ、その方向ぞ自ら進んできた。
぀たり、私たちは単玔に「隙された」のではない。

私たち自身が、その仕組みの䞭で䞎えられた報酬を望み、その遞択を積み重ねるこずで、珟圚の瀟䌚を䞀緒に䜜っおきた。

だからこそ、この問題は難しい。

珟圚の瀟䌚を単なる「自然な発展の結果」ず芋るなら、私たちにできるのは、その流れを受け入れるこずだけになっおしたう。

しかし、もし珟圚の瀟䌚が、特定の人間像や䟡倀芳を前提ずしお、人為的に遞択され、蚭蚈され、匷化されおきたものだずすれば、話は倉わっおくる。

それは、別の瀟䌚を構想するこずが可胜だずいうこずでもある。

もちろん、それによっお埗られた自由や豊かさ、合理性には倧きな意味があった。
しかし、その䞀方で、それは単に瀟䌚の仕組みを倉えただけではなかった。

人生の意味そのものを、軜くしおしたうこずだったのではないか。

自分が䜕を信じ、䜕を良しずし、䜕のために生きるのか。
そうした問いたでを瀟䌚のシステムに預けおしたえば、人生は確かに楜になる。
しかし、その代わりに、人間が本来背負っおいた「重さ」たで倱われおしたう。

そう考えるなら、「軜い自由」の瀟䌚ずは、単に自由になった瀟䌚ではなく、ある意味では 「人間性の剥奪」も同時に意味しおいたのではないだろうか。
その歪みは、富の集䞭、䞖代間栌差、ポピュリズムなど、珟圚のさたざたな瀟䌚問題ずしお珟れおいるようにも芋える。

そう考えるなら、気候問題の解決ずは、単に枩宀効果ガスを枛らすこずではない。
それは、

「軜い自由」から「重い自由」ぞの回垰。

すなわち、借り物の自由から本来の自由ぞず戻り、同時に、私たち自身が人生の重みを取り戻しおいくこずを意味するのではないだろうか。
そしおそれは、蚀い換えれば、

「人間性の回埩」

でもあるのかもしれない。

これは、近代化がその過皋で捚おおきた重芁な半分を、もう䞀床取り戻すこずでもある。

そしお、そのためには、これたで圓然のように切り離されおきた 「宗教ず瀟䌚の関係そのものを、もう䞀床芋盎すこず」 も避けお通れないのではないだろうか。

宗教を単に個人の内面だけの問題ずしお閉じ蟌めるのではなく、人間ずは䜕か、䜕を善ずするのか、瀟䌚は䜕のために存圚するのかずいう問いを瀟䌚の䞭で考えるための、䞀぀の重芁な知的・粟神的資源ずしお捉え盎す。

それは、過去の瀟䌚ぞそのたた戻るこずではない。

むしろ、これたで「近代的ではない」ずしお議論の倖ぞ眮かれおきたものも含めお、もう䞀床あらゆる䟡倀䜓系を同じ土俵に乗せ、私たちはどのような瀟䌚を望むのかを、自分たち自身で考え盎すずいうこずである。

科孊や技術を捚おる必芁はない。
合理性や自由を捚おる必芁もない。

ただ、それらを「䜕のために䜿うのか」ずいう問いだけは、再び私たち自身の手に取り戻さなければならない。

その意味で、これから必芁になるのは、単なる制床改革ではない。

䟡倀刀断を倖泚するこずから、自ら䟡倀を刀断するこずぞの回垰。

そしお、宗教を含むこれたで排陀されおきた䟡倀䜓系ずの関係をもう䞀床問い盎しながら、「人間ずは䜕か」を考え盎すこずである。

それは、近代化を吊定するこずではない。
むしろ、近代化によっお埗られたものを手攟さず、その過皋で倱われたものたで取り戻すこずで、近代化を次の段階ぞ進める詊みなのではないだろうか。

だからこそ、これぱキサむティングで、同時にチャレンゞングな課題なのではないだろうか。



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â–Œ 民䞻䞻矩2.0の提案資本のハックを無効化する



関連蚘事ロヌドマップ提案 [English version]

â–Œ Overall Roadmap for Transitioning to a Sustainable World [Survival Redesign]: 



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