常識って非常識にも程がある

明日0時15分、羽田発の便で、私たち家族3人揃っての初海外旅行へ出発する。
前回、前々回の記事を読んでくださった方なら分かると思います。
今回も、私たち夫婦は息子に少し心配させられた。
妻が息子に連絡した。
「何時ごろ空港に来るの?」
しばらくして返信が来た。
「今、大学時代の韓国人の友人夫婦と静岡のさわやかに向かってる。」
その言葉を見た瞬間、少しだけ固まった。
「……静岡?」
思わず顔を見合わせた。
もちろん、友人と会うことは嬉しい。
大学時代からの友人。
しかも最近結婚した夫婦。
カナダへ戻る前に会える時間は、きっと大切な時間なのだと思う。
でも、親というものは不思議なものだ。
嬉しい気持ちと同時に、心配も出てきてしまう。
明日の深夜には、家族で海外へ向かう。
「渋滞は大丈夫かな。」
「事故に遭わないかな。」
「空港には間に合うかな。」
そんなことばかり考えてしまう。
一方で、息子はきっと、
まだ時間あるし。
そんな感覚なのだろう。
どちらが正しいという話ではない。
息子には息子の大切な時間がある。
私たちには私たちの心配する気持ちがある。
ただ、そこには少しだけ違いがある。
これが、親の常識と子どもの常識なのかもしれない。
考えてみると、常識というものは不思議だ。
自分にとって当たり前のことを、人は常識と呼ぶ。
でも、それは本当に誰にとっても同じなのだろうか。
家庭には家庭の常識がある。
会社には会社の常識がある。
地域には地域の常識がある。
国が変われば、その常識だって変わる。
昔は当たり前だったことが、今では違うものになっていることもある。
それなのに私たちは、つい言ってしまう。
それって常識でしょ。
まるで、それが誰にとっても同じ答えであるかのように。
でも実際は、自分が生きてきた時間の中で作られた感覚なのかもしれない。
息子にとっては、友人夫婦と過ごす時間が大切だった。
私たちにとっては、家族旅行を無事に始めることが大切だった。
どちらも、その人にとって大切なものなのだと思う。
だから私は思います。
常識って、非常識にも程がある。

