なぜ「専門医から総合医へ」は進まないのか:欧米のシニア医師の働き方から考える



日本では医師偏在や地域医療の担い手不足への対策として、興味深いキャリアモデルが提案されている。

若い時から総合診療専門医を目指すルートだけでなく、

臓器別・領域別専門医

専門医として十分に活躍

地域医療ニーズに対応

リスキリング・ブラッシュアップ研修

病院総合診療医・地域総合診療医

という「セカンドキャリア」を作ろう、という発想である。

一見すると、これはかなり理にかなっているように思える。

しかし、図を眺めていると大きな疑問が浮かぶ。

「ところで、この矢印を下に進む医師には、どんなインセンティブがあるのだろう?」

ここが抜けているのではないか。

GPはGP、専門医は専門医

英国などを見ると、日本とは医師のキャリアの考え方が少し違う。

GPを選んだ医師はGPとしてキャリアを積む。

一方、外科医や循環器専門医などになった医師は、基本的には専門医としてキャリアを積んでいく。

そして興味深いのが、医師が50代、60代になった時である。

「もう外科医として若い頃と同じ働き方は大変でしょう。では総合診療を勉強し直して、高血圧も糖尿病も肺炎も認知症も診てください」

とはならない

むしろ、専門性を維持したまま、仕事の強度を徐々に下げる。

こちらの方が重要になる。

NHS Englandはlate stage careerの医師をどう医療現場に残すかについて、かなり具体的なガイダンスを出している。

背景には、熟練した医師を単純に引退させてしまうのは大きな人的資本の損失だ、という発想がある。NHS England自身、経験豊富な医師は診療だけでなく、教育、監督、メンタリングなどでも重要な役割を果たすとしている。

年を取った外科医はどうするのか

たとえば若い外科医なら、

  • 大きな手術

  • 緊急手術

  • 夜間当直

  • 病棟管理

  • 外来

  • 若手教育

まで全部やるかもしれない。

しかし60歳になっても、30歳の外科医とまったく同じ働き方を続ける必要があるだろうか。

英国の考え方はもっと柔軟だ。

NHS Englandがシニア医師の離職理由として挙げているものには、夜間勤務やon-call、柔軟性のない勤務体系、過大な業務量、バーンアウトなどが含まれている。
さらに、加齢によってon-callや高度な手技が難しくなる可能性についても明示的に触れている。

だから、

大手術を減らす。
夜間のon-callをやめる。
勤務日数を減らす。
専門外来を続ける。
予定手術を担当する。
若手を教育する。
研究やマネジメントに時間を使う。

という方向へ仕事を組み替える。

実際、NHS Englandがシニア医師の継続勤務を促す方法として挙げているのは、短時間勤務、時間外勤務の削減、on-callの削減・免除、portfolio careerなどである。

つまり、

専門医 → 総合医

ではなく、

専門医100% → 専門医70% → 専門医40%+教育・助言 → 引退

という「減速車線」を作るのである。

実際に「当直をやめて手術と外来へ」という医師がいる

NHS Englandの資料には非常に面白い実例も載っている。

ある中高年のspecialty doctorは、若手と同じようなon-call勤務が身体的に厳しくなってきたため、40代半ばでon-callから外れた。

では、その医師は役に立たなくなったのか。

まったく逆だった。

その時間を、予定手術と専門外来 に振り向けたのである。

さらに内分泌科との甲状腺合同外来を作り、教育やリーダーシップにも活動範囲を広げたという。

これは実に合理的である。

長年外科医として働いてきた人にとって価値が高いのは、何十年も蓄積した専門知識と臨床経験だ。

それを捨てて一から別領域を勉強させるより、

身体的負担の大きい仕事だけ減らし、経験の価値が高い仕事を残す

方が人的資本の利用方法として自然なのである。

当たり前だが40や50歳になって、これまでやってこなかった領域を再び勉強してトレーニングするのは大変である。

やりたい人を止めるつもりはないが、それを万人に進める制度はうまくいくとは到底思えない。


「週5日か引退か」の二択にしない

英国ではさらにflexible retirementという考え方も明確になっている。

つまり、

100%勤務

80%勤務

60%勤務

週2~3日勤務

完全引退

というように、仕事から徐々に離れることができる。

NHS Englandはless than full-time、on-call削減、job sharing、annualised hours、remote workingなどを具体的な選択肢として挙げている。

さらに部分的に年金を受け取りながら働く制度も整備されている。

面白い実績もある。

Cambridge University Hospitalsでは、過去5年間に退職したconsultantの約60%が「retire and return」で戻っているとNHS Englandは紹介している。

復帰後の仕事内容は一律ではなく、本人の希望と医療サービス側の需要を踏まえて個別にjob planを組む。

つまり、「もうフルタイムは無理なら辞めてください」 ではない。

「何ならできますか。そこを使わせてください」 なのである。

これは労働力不足の社会では極めて合理的だと思う。

そこで日本の「専門医→総合医」をもう一度考える

さて、日本の話に戻ろう。

50代の整形外科医がいたとする。

20年以上整形外科をやってきた。

この医師には少なくとも2つのセカンドキャリアが考えられる。

A:専門医として減速する

手術を減らす。

当直をやめる。

週3~4日勤務にする。

整形外科外来、手術適応判断、術後フォロー、若手教育などを担当する。

これなら今まで蓄積した専門性をそのまま使える。

B:地域総合医へ転換する

一方こちらでは、内科を勉強し直す。

高齢者医療を勉強する。

肺炎を診る。

心不全を診る。

糖尿病を診る。

認知症を診る。

救急にも対応する。

場合によっては在宅医療や当直・オンコールまで担当する。

こちらの方が圧倒的に勉強する範囲が広い。

しかも責任範囲まで広がる。

ところが、AとBの給料が同じだったら、どちらを選ぶだろうか。

答えはかなり明白ではないだろうか。

「地域医療マインド」では矢印は動かない

日本の医療政策では、この問題になると精神論が登場しやすい。

「地域医療への理解を深める」

「地域医療マインドを醸成する」

「地域に貢献する医師を育成する」

もちろん、それ自体を否定する必要はない。

しかし、政策として大量の医師を動かしたいなら、それだけでは足りない。

これは個々の医師の人格の問題ではない。

インセンティブ設計の問題である。

専門外来を週3日やれば年収1000万円なのに、地域病院へ行って救急、肺炎、心不全、認知症まで診ても年収1000万円なら、後者を選ぶ人が少なくても不思議ではない。

むしろ当然である。

どうしてもやりたければ「地域総合医転換コース」を商品として作ればいい

たとえば50~60代の専門医を対象に、

専門医

6~12か月の公費による総合診療リスキリング

地域総合診療医として5年間勤務

都市部より年収300~500万円のプレミアム
+管理職ポスト
+公的な資格認定
+当直回数の上限

という制度を作ったらどうだろう。

ここまでやって初めて、

「ちょっとやってみようかな」

と思う専門医が一定数出てくるのではないか。

重要なのは、地域総合診療への転換を道徳的義務ではなく、魅力的なキャリア商品にすることである。

そしてもう1本「専門医の減速車線」も必要だ

同時に、日本は総合医への転換を全員に求める必要もない。

60歳の優秀な外科医なら、

週3日勤務で、

専門外来を担当し、

若手の手術を指導し、

難しい症例の相談を受け、

カンファレンスに参加する。

それでも十分価値がある。

むしろ無理に夜中の緊急手術まで担当させて、

「もうこんな働き方は無理だ」

と完全引退される方が社会的損失は大きい。

英国がシニア医師について、教育、研究、メンタリング、マネジメントなど臨床以外の役割まで積極的に活用しようとしているのは、この発想である。

必要なのは2本のセカンドキャリア

だから日本で必要なのは、

「専門医から総合医へ転換しましょう」

という一本足の政策ではないと思う。

必要なのは2本である。

第1の道:専門医減速コース

専門性はそのまま。
当直を減らす。
手術を減らす。
勤務日数を減らす。
専門外来・教育・相談業務へ比重を移す。

そして、

第2の道:地域総合医転換コース

再教育を受ける。
診療範囲を広げる。
地域病院へ移る。
その代わり給与、地位、勤務条件で明確に報いる。

この2つを用意して、本人に選んでもらえばいい。

人は「矢印」では動かない

医療政策の資料には、よく美しいキャリアパスの図が出てくる。

四角い箱を矢印でつないで、

専門医

リスキリング

地域総合診療医

と書けば、制度が完成したように見える。

しかし、その矢印を実際に動くのは人間である。

人間には家族がいる。

生活がある。

専門家としてのアイデンティティがある。

収入への期待がある。

そして何より、

「なぜ自分がそのキャリアを選ぶのか」

という合理的な判断がある。

だからキャリアパスを描くなら、矢印だけではいけない。

矢印の横に「インセンティブ」を書かなければならない。

英国のシニア医師政策を見ていると、それがよく分かる。

地域医療マインドを唱えるだけでは医師は動かない(研究マインド、という言葉でも同じだ苦笑)。

医師が自発的に選びたくなる制度を作る。

それこそが、本当の意味での「医師のセカンドキャリア政策」なのではないだろうか。


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