【第11話に込めた思い:第7章】1000年後のメリーゴーランド——実現した「二人の祈り」
1. 孤独に回転する「鮮やかな光」——敗北の現場で鳴り響く旋律
1000年という容赦のない歳月が流れた惑星キチュー。
転送ゲートを抜けた公務員・小出の前に広がっていたのは、草木も途絶え、ビル群が砂となって風に舞う「完全な死の世界」であった。
ニィとツゥへ渡すはずだった地球のお土産と、永久機関の活用案を抱えたまま、絶望的な虚無の中に立ち尽くす小出。
行政官としての判断は間違っていなかったはずだ。今日流れる血を止め、数百年の平和と繁栄をもたらした。だが、結果として星は滅びた。GAA(銀河行政本庁)の生命維持施策として見れば、これは弁解の余地もない「完全な失敗」であり、宇宙公務員・小出の「初敗北」であった。
重い沈黙が星を包み込む中、小出の耳に、かすかな音が届く。
風の音でも、崩れる瓦礫の音でもない。暗く冷たい死の街の真ん中で、場違いなほどに明るく、鮮やかなオルゴールの旋律。
小出が音のする方へ駆け出すと、廃墟の広場で、ひとつの巨大な構造物が眩い光を放ちながら回転していた。
それは、小出が彼らに与えた「永久機関」の膨大なエネルギーを使って、孤独に駆動し続けている「巨大なメリーゴーランド」だった。
2. 行政の計算を超えた「住民たちの選択」
GAAの行政マニュアルにおける模範解答は、明確だったはずだ。小出がもたらした永久機関のエネルギーは、星の寿命を少しでも延ばすための巨大工場や、環境維持プラントの動力として使われるべきだった。
効率的な生存の長さを一秒でも伸ばすこと。それが、行政システムが弾き出す「最適解」だからだ。
しかし、惑星キチューの人々は、行政から与えられた圧倒的なエネルギーを、寿命を延ばす生産施設などには使わなかった。彼らが永遠のエネルギーを注ぎ込んだのは、何一つ利益を生み出さない、ただの遊具——「メリーゴーランド」だったのだ。
なぜ、彼らはそんな愚かにも思える選択をしたのか。
くるくると回り続けるメリーゴーランドに近づいた小出は、そこに設置された木馬や座席に乗っている「人形たち」の姿を目にして、息を呑むことになる。
そこに乗っていたのは、木彫りの子どもたちの人形だった。
全天球を見渡す「四つ目(4)」の少年。光を持たない「無目(0)」の少女。真空の音を聞く「四つ耳(4)」の少女。音を知らない「無耳(0)」の少年。
かつて互いの存在を「バグ」と呼び、見つけ次第殺し合っていた四つの種族の子どもたちが、そこでは笑顔で並んでいた。
それだけではない。「4」と「0」のハーフである、目ふたつ・耳ふたつの「2」の少女(ニィとツゥの同類)の姿もあった。そして、その中央に置かれた人形を見たとき、小出の胸は激しく打ち震える。
そこには、「三つ目、三つ耳」の少年の人形が飾られていたのだ。
3. 「3」が存在するという、ある事実の証明
「3(三つ目、三つ耳)」という数字の存在。それは、何を意味しているのか。
「4」と「0」のハーフが「2(ニィとツゥ)」であるなら、その「2」と「4」、あるいは他の種族同士がさらに世代を重ね、愛を育んだ果てに生まれた存在こそが「3(クォーター)」だ。
「3」が存在しているということ。それは、小出が作ったカネのシステムによって戦争が止まった後、彼らが単に「利益のために隣で働くビジネスパートナー」にとどまらなかったという何よりの証明であった。
彼らは、小出が買い取ってやった平和の時間の中で、利害関係という境界線をあっさりと踏み越えたのだ。
互いの知覚の違いを受け入れ、惹かれ合い、愛し合い、家族になり、新しい生命をこの世に生み出し続けた。かつて「バグ」と恐れられていた身体構造のグラデーションは溶け合い、「3」のような多様で美しい新しい世代が、当たり前に笑い合える世界を、彼ら自身の手で作り上げたのだ。
「3」の少年の人形は、単なる置物ではない。彼らが激しい憎しみを完全に克服し、種族の壁を越えて愛を全うしたという「動かぬ歴史の証」だったのである。
4. 1000年越しに実現した、冒頭の「二人の祈り」
ここで、物語は第1章の冒頭へと回帰する。
できれば第11話を最初から読み返してほしい。
第1話の冒頭、夕闇の中で恋人同士のニィとツゥは、世界から隠れるように身を寄せ合い、二人だけで密かにあることを実践していた。
それは、「片方のイヤホンを分け合って、同じ音楽を聴く(分かり合う)」こと。そして、「指先を深く絡ませて、手を繋ぐ」ことだった。
あの時、凄惨な戦争の真ん中にいた四つの種族には、それが絶対にできなかった。「どうして他の人たちには、僕たちみたいな『普通』のことができないんだろう」と、二人は悲しそうに瞳を伏せいていた。
だが、1000年後の死の星で駆動し続けるメリーゴーランドの光景を見よ。
そこでは、四つ目(4)も、無目(0)も、四つ耳(4)も、無耳(0)も、二つ目(2)も、そして三つ目(3)も——あらゆる知覚を持つ子どもたちの人形が、「全員でしっかりと手を繋ぎ」、「同じ歌」を歌っていたのだ。
「キチューは狭い」
「キチューは同じ」
「キチューは丸い」
メリーゴーランドから流れ続けるその歌は、まさしく「イッツ・ア・スモールワールド」そのものであった。
知覚の違いによって断絶し、世界を傷つけ合っていた彼らは、小出が繋いだ時間の中で、最後は行政から与えられた「利益(カネ)の環」ではなく、自らの意思で「手をつなぎ、同じ歌を歌うこと(愛の環)」を選び取ったのである。
冒頭で、ニィとツゥが夕闇の中で二人だけで祈ったあのささやかな願い。「世界中のみんなが、手を取り合い、同じ音楽を分かり合えますように」という祈りは、1000年の時を超えて、星全体を満たす奇跡の輪となって完璧に結実していたのだ。
5. 死の星で、公務員・小出が想ったこと
滅び去った瓦礫の街で、光り輝くメリーゴーランドと子どもたちの人形を見つめながら、小出は何を想ったのだろうか。
小出は、愛で戦争を救うことができなかった。目の前の血を止めるために、愛をあきらめ、冷徹にカネと利害のシステムを敷いた。
だが、キチューの人々は違った。小出が利益の力で強引に買い取った「一日」「数百年」という時間の猶予を踏み台にして、彼らは小出にはできなかった「愛で世界を救うこと」を、最後に見事にやり遂げてみせたのだ。
行政の生命維持施策としては、完全な失敗かもしれない。GAAのデータ上では、「滅亡した不可解な惑星」として処理されるかもしれない。
けれど、風化する死の星でメリーゴーランドの音楽を聴きながら、小出は痛感したはずだ。
「行政官の俺たちが計算する『効率的な生存の長さ』なんて、彼らが命を燃やして選び取った『愛の総量』の前には、何の価値もない」
長生きすることよりも、どれだけ深く愛し合い、手をつなげたかを選んで滅んでいったキチューの人々。
「俺の手法(カネ)は間違っていなかった。だがお前たちは、俺の与えたカネの環なんて遠くへ吹き飛ばして、最後は俺なんかより遥かに高く、美しい『愛の環』へ辿り着いたんだな」
公務員としての敗北感と、一人の人間として彼らへの溢れるばかりの誇らしさ、そして愛おしさ。小出はきっと、抱えてきた地球のお土産を静かに抱き直し、言葉にならない静かな涙を拭ったに違いない。
6. おわりに:地球に生きる私たちへの「あがき」と「祈り」
これが、私が『宇宙公務員オヂェフ』第11話『平和と繁栄』を描いた理由のすべてである。
物語の結末において、惑星キチューの人々は絶滅した。だが、彼らは「手をつなぎあうこと」を諦めなかった。
目の構造も、耳の構造も、世界のとらえ方すら根底から異なっていた彼らが、最後は自らの意思で手をつなぎ、同じ歌を歌うことができたのだ。
だったら
——今この「地球」に生きる私たちはどうなのだ?
目の数も、耳の数も、生まれ持った身体の構造も、最初からみんな全く同じ私たち人間に、手をつなげない理由なんて、本当はあるはずがないじゃないか。
ほんの少しの国や文化の違い、肌の色や思想の違い、政治的なポジションの違いを理由に、他者を「敵」と定めて傷つけ合う現代の私たち。
「あいつらとは分かり合えない」と諦めるのは簡単だ。「愛なんて無力だ」と吐き捨てるのは容易い。
けれど、分断と憎悪が渦巻く狂ったような世界の中でも、どうか誰かが「手をつなぐこと」を諦めないでほしい。
神様のような奇跡は起こせなくても、今日流れる血を止めるために足掻き、一日でも長く命を繋ぎ、その先の未来で誰かと愛し合うことを捨てないでほしい。
ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」のボートの上で涙を流した私が、ウォルト・ディズニーからの問いかけに対して差し出せる、これが精一杯の「あがき」であり、世界への切実な「祈り」なのだ。
世界は狭い。
世界は同じ。
世界は丸い。
ただひとつなのだから。
あなたの手の中に、どうか小さな「愛の環」が届くことを願って。
(第11話に込めた思い:完)
