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サイレントマジョリティ~表に出ない声

ネットの過激な意見に「いいね」が集まり、会議では強く言い切られた意見が空気を支配する。その陰で、違和感を覚えつつ黙っている多くの人たちがいる。今回は、そんな表に出ない声、サイレントマジョリティについて考えてみたい。

「いいね」の数への違和感
ニュースサイトの書き込みを見ていて随分と過激な主張だなと思うことが少なくない。確かにこの観点では同意、でも、こんなダメダメもあるじゃん、は完全無視だったりする。反証の乏しさは勢いでカバーする他ない。そんな味付けの濃い焼肉みたいなのに限って「いいね」を多く集めていたりする。おそらくほとんどの人は受け流す、もしくはスルーだけど、特定の人が強めに反応しているだけのような気がする。

「でも」が言えなくなる空気
会社での会議でも同じようなことが少なくない頻度で発生する。会議の最初の方で、ドカンと大きな声で偏った意見が、発言権を持った口だけ上司から発せられる。機先を制す、作戦。もうそれで大方の勝負はついている。後はそれに迎合する子分たちのヨイショが続き、会議はクライマックスを迎える。もうそんな空気ができあがっているものだから、少なくない人が感じる、なんとなくな居づらさと共に「でも・・・」な意見は口元で封じられる。まるで数的多数から日々繰り返されることで思考を奪われてしまう洗脳みたいに。

AIが拾えない沈黙
AIにも、沈黙を拾えないという似たような傾向がある。AIの学習対象はネットや書籍といった文書情報がメインである。だから学習対象にも偏りが生じる。ネットへ情報発信しない、情報に対して受け身である多くの人々の意見はAIには届きにくい。下町に点在する町工場で昼休みに交わされる工員同士の荒々しい会話はAIの知るところではない。選挙が終わると政治家の頭から逃げていく民衆の想いみたいに。その一方、幅広い情報発信が可能な影響力を持った権力者の意向がAIの判断を大きく左右する懸念がある。

さらにネットコンテンツの半分くらいは英語で書かれている。だから自然とAIは英語圏の価値観が反映されやすくなる。しかも僕たちの使用するAIの殆どがアメリカ製である。だから知らず知らずのうちにアメリカ的な価値観や優先順位を違和感なく植え付けられる「認知戦」に巻き込まれることだって考えられる。また石油やレアアースのようにAIの供給を止められるような政治的駆け引きに利用されると非常にヤバい。

普段使っているAIに何ら影響力を持てない日本人は、いわばAI時代のサイレントマジョリティのような立場に立たされている。そんな状況から脱却すべく日本が制御可能な自国の伝統、文化、価値観を十分に理解した国産AIの重要さが叫ばれている。日本人が変なところに連れて行かれないために。しかしながら未だに成果に乏しいのが非常に残念だ。まるで前例踏襲のための社内調整に明け暮れた結果、気がついた時にはポータブルスキルから見放され、斜陽気味な会社にロックされる哀れなミドルみたいに。

置き去りにされた怒りが、権威を生む
そんなアメリカでも取り残された怒れる人たちがトランプ大統領に救いを求めた。アメリカ国内で衰退していく製造業に従事していた白人アメリカ人だ。グローバル化、自由貿易、それにトリクルダウン(上が儲かれば下も儲かる、といった意味)?チェッ!クソ喰らえだ、そんな御託を並べるエリートは俺たちに何ももたらさないばかりか、知らないところでよろしく儲けてばかりいる。以上のような不満が権威的なトランプ大統領を生む大きな要因の一つになったのは皮肉だ。

「あの人なら変えてくれる」という危うさ
日本もアメリカも声にならない声を無視した結果、権威的な流れが拡がっている気がする。きっとあの人なら変えてくれるはず、と。そんな圧倒的な強さを求めた結果だ。僕はそういうのが苦手だ。こんなこと言ったら偉い人から怒られる、そんなふうに自分を抑え込みながら同調圧力に従っていると息苦しさを感じてしまう。そう言えば、少し前によく聞かれた「心理的安全性」という言葉を最近、あまり聞かない。気のせいだと思いたい。気候変動への強い懸念をウォーク(意識高い系の面倒くささ)なんて揶揄するのと同じだったとしたら、とてもがっかりだ。今年も夏を前に幾分の憂鬱を感じている。

反対がない、ではなく、反対できない、実のところは、そんなじゃないの?

アンダーグラウンドで鳴り響くリズム

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