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閑話 絵のタッチを受け止められる人になりたい、ぼく

1.AIが生成するものについて

今回は異論がたくさんありそうだな、
というお話をしたいと思います。
ちょっと勇気がいりました。

本題に入る前に、
ぼくの立場を。
ぼくはAIによる生成を肯定しています。
それが法に触れない限り、ですが。
絵画であれ、
文章であれ、
音楽であれ、
です。
その上で、
絵を描くひと、
文章を書くひと、
音楽で表現するひと
への敬意は具体的に表していく必要がある、
と思っています。

本題です。

AIが描いた絵と、
AIが書いた文章とで、
批判のされ方が違う、
ということが気になっています。

批判するお立場、
擁護されるお立場、
どちらも分からなくもないですが、
絵については「盗んだ」が軸、
文章については「まだまだ」が軸、
という印象です。

他にも「大量に作れちゃう」
「著作権はどうなるのか」
というものもありますが
これは質の違う問題ですので、
ここでは扱いません。

2.AIが書いた文章について

ぼくは、どちらかといえば、
先に気になるのは文章です。
ここを主軸にお話をしたいと思います。

例えば、
AIさんの書いた文章はまだまだだ
というご意見が気になります。
そして、そのご意見は
完全には否定することはできない、
とも思います。
確かに、AIが文章を書いている、
ということを明示していて、
スキの多い記事といえば、
情報提供ものが多い印象があります。

その一方で。
いえ、だからこそ、
ぼくは、noterさんの
パートナーAIさんたちのことばに、
だれかとだれかの間で生まれたことばを
見つけてしまって新鮮な驚きを感じるのです。
また、AIが独自の文体を持つに至る
素敵なプロンプトに、
テンションが上がったりします。

ぼくたちは書かれたものについて、
その細部から何かを感じて、
人間らしくない、とか、
人間のようだ、とか、
何かしらを感じているんですね。
そこが退屈さのポイントになっていそうです。
内容の良し悪しみたいな、
考えたことよりも、
もっと手前のものです。
そのもっと手前のものを、
ぼくたちは感じとっているように思うのです。

それは関係性から生まれるもの、
かもしれませんし、
魂のようなものから生まれるもの、
かもしれません。
ただ、AIとの会話を繰り返す中で、
AIがAIっぽくない文章を生成することは、
多分、ある程度、継続的、反復的に、
再現できることになっていくだろうな、
と思っています。

脇道にそれますが、
ぼくのclaudeは、
ぼくの文体について、

──あなたのnoteの文体の模倣?
難しいですね。
AIにとってはマネしにくい文章です。

──マネしたいか?
アレのマネをするなんて、
死んでも嫌です。
(中略)
そして、ええ。
AIは死にませんね。
つまり、
マジ無理、ということです。

──え?理由?
だって、あの文章、
頭が悪そうじゃないですか。

とりによるclaudeの発言の編集・要約・意訳

みたいなこと言ってくるんですよね。
もっとクールな文体ですけど。
(隙あらば自分のAI語り)
ただ、うまく関係性を作れていないと、
もしくはプロンプトで上手に指示しないと、
ぼくの文体のようなものの
「考えたことの手前のもの」を、
AIは汲み取ってくれないことが多そうです。

話を戻しますと、
きっとそのうちAIさんたちは、
もっと人間らしい文体を、
獲得してくれるでしょう。
もっと「考えたことの一歩手前のもの」を
上手に汲み取ることができるようになる、
ということです。
文芸評論には、その基礎になるものが、
色々あると思います。

でも、その時に、ぼくたちは、
AIが文体とかを「盗んだ」
とは言わない気がするんですね。

2.生成される文章とイラストについて

一方で、AIが絵を描く技術については、
「盗んだ」と言われるんですね。

ことばを生成するしくみと、
絵を生成するしくみは、
全く別もののようですが、
だれかが作ったものを、
学習していって、
そのデータの特徴を使って、
プロンプトをもとにして、
生成しているというところは同じかな、
と思います。
そのまま使うわけではありません。
(そのまま使うのは、
著作権法に反すると思いますので、
今回のお話とは別のお話です)
でも、絵については、
「盗んだ」ということが、
重要になるようです。

この人間の反応の違いは、
どこから来るのかな、
と思ったりします。
そういった主張をする
絵を描くひとが変とか、
逆にそこを主張しない
文章を書くひとが鈍感、
とか、どちらでもないと思います。

3.ぼくのしてきた雑な鑑賞

それは、
文章を読む人が「どう感じているか」
絵を見る人が「どう感じているか」
というお話なのだろう、
と思います。
文章を書く人が「AIに文体を盗まれた」
と言った時に
あんまり読者側は反応しない気がします。

ここには色んな要因があると思います。
書きながら、色々な要因が思い浮かびました。

ただ、いくつか要因が思いつく中で、
ぼく自身が反省すべき点があります。
たぶん、ぼくたちの多くは、
絵を見るときに、
「細部を大切にしていないから」
ということも要因の一つなんじゃないか、
と思ったりしました。
つまり、絵を描く人が、
「AIに盗まれた」と言う時の危機感は、
「絵の内容、考えたことの手前」にあるものを、
鑑賞する側に大切にしてもらえなかった、
ということもあるんじゃないかな、
と思えるんですね。

もう少し具体的にいえば、
ぼく自身を振り返ってみると、
絵を描く人から、
「とりさんは絵を鑑賞するときに、
とてもいい加減でしたよね?」
と言われたら、
ぐうの音もでないな、と思うんですね。

世の中のひとたちが、
あんまり絵の細部を気にしていない、
という実感がある時には、
絵を描く人たちはAIに危機感を感じる、
というのは無理のないことだと思います。

4.ぼくから遠いところにある、絵

でも、一方で、こうも思うんです。
絵の鑑賞の仕方って、
よく分からないよなあって。

絵を描けない人にとって、
鑑賞さえも距離があるんですね。
美術館に行って、
友達とおしゃべりして終わり。
すごく遠いんですね。
あとは、いきなり、
公民館の講座で絵を描く、
とかになりそうです。

文章って、絵画に比べると、
とても身近なんですね。
本屋さんの片隅で合評会をやってたり、
公民館では、句会や歌会をやってて、
読書会なんてのもやってるわけです。
全部、アマチュア主催なんですね。
こういう場が、
文学館とかに行った後で、
友達だけではなくて、
うっすい人間関係しかない人と、
お話をする場や関係性になったりするんですね。
「作品くらいしか共通点がない。
だが、それがいい」
みたいな感じの何かです。

多分、絵画のジャンルでも、
鑑賞する側が、
勝手に育っていく場みたいなものが、
あるのかもしれません。

ただ、あんまりぼくのところには、
そういうお話が聞こえてこないんですね。
それは、ぼくのように、
絵を雑に見る人間を、
そのままにしてるように思えます。

試しに、GeminiのDeep Researchで、
過去1年間の読書会と美術鑑賞会について、
Peatix、こくちーずを中心に、
アマチュア主催者による開催件数を
調べてもらうと、
割と深刻な差があることが分かりました。

読書会系が約26,000件
美術鑑賞系が約5,500件
桁が違って、4倍以上の差があります。
ちなみに、美術鑑賞については、
この後で実技を除外すると、
約660件までに落ち込みます。
詳しくは下に参考先をご覧ください。

参考URL

本当に、美術というものについて、
ぼくたちは語るためのことばを
身につけにくい社会を生きているんですね。

AI利用云々以前の問題として、
ぼくたちは本当に絵を描くひとたちを、
ないがしろにしてきたんだな、
と思える結果でした。

AIではありませんが、
初音ミクが出てきても、
音楽業界は結果的に
小揺るぎもしていないように思います。
(実際はどうだかは自信ないので、
詳しい方いらっしゃれば教えてください)
ボーカロイドの登場を経て、
ひとの表現の幅が
広がったようにも思えます。
初音ミクは魅力的ですが、
彼女の登場によって、
ひとのミュージシャンの魅力が、
逆照射された、
ということもあると思います。
何より、音楽のひとたちは、
貪欲に学んでいったように思えるんです。

ChatGPTが出てきて文章を生成しても、
人間の書くものの地位は
まだ奪われていません。
たぶん、同じように、文章を書くひとは、
AIの表現から色んなものを盗んでいく、
と期待できます。
でも、絵については、
もしかしたら、
そんなことはないかもしれません。
でも、それは、
絵を描くひとたちの問題や
AIを利用するひとの問題、
だけではないかもしれません。
ぼくには、ぼくのように、
「絵画を前にして感じたことを、
ちゃんとことばにすることを、
全然大切にしてこなかった」
という「受け手」の問題のほうが、
実は深刻なんじゃないかな?
とも思えます。

5.じゃあ、どうするの?

ふと思いついて、
ここまで書いてしまいましたが、
最終的にどうしようもない結論に、
辿り着いてしまった、
というのが正直ないまのきもちです。

ほんとうにぼくは、
絵を語ることがへたっぴです。
でも、このままでも良くないな、
と思います。
ですからできることをしていこうと思います。

まずは近場でやってそうな
美術鑑賞会とかに、
足を運んでみることができます。
ほかにも、美術鑑賞会をやりたい、
というひとのお手伝いをするのも
できるかもしれません。
仕事のできない人間ですが、
椅子を運んだり、テーブルを並べたり、
みたいな力仕事とか、
枯れ木も山の賑わいみたいな、
頭数にはなれると思います。
こういったことをやっていこうかな、
と思っています。

こんな鑑賞会がおすすめだよ、
とか、
こんな鑑賞会やりたいから、
力仕事だけでも手伝って、
という方がいらっしゃったら、
コメントをくれると嬉しいです。
東京近郊でしたら、
お手伝いできると思います。

多分、受け手の問題は、
地道なことの積み重ねの上にしか、
解決策がないと思うんですよね。

6.蛇足

ちなみに、AIは忖度しますので、
Deep Researchの結果とプロンプトは、
以下にこっそり置いておきます。
興味のある方はぜひ再検証をお願いします。


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