【歴史・日本】日露戦争の知られざるお金の裏側−−巨額の戦費と驚きの完済時期
私たちは歴史の授業で、日本が日露戦争(1904年)に勝利したという大きな出来事を学びます。しかし、その華々しい勝利の裏で、当時の日本がどれほどの莫大な戦費を抱え、どのようにその資金をやりくりし、いつまでその借金の返済に追われていたのかについては、意外と知られていないのではないでしょうか。
今回は、日露戦争の戦費の実態、その驚きの調達方法、そして借金の利子返済がいつ終わったのかについて、分かりやすく紐解いていきたいと思います。
日露戦争の戦費とGDP比
日露戦争における臨時軍事費の総額は、約17億から20億円にのぼるとされています。その約10年前に起きた日清戦争(1894年)のときの戦費が約2億円でしたので、その規模は実に約7倍から10倍という桁外れなものでした。
当時の日本の国家予算と比較すると約6倍から6.5倍に相当し、GDP(当時の推定国民所得)比で見ても約0.6倍という非常に大きな負担でした。当時の日本経済にとって、この戦争は国の存亡をかけた文字通り限界ギリギリの挑戦だったのです。
巨額な戦費の調達方法
これほどの莫大な戦費を、当時の日本はどのようにして集めたのでしょうか。
実は、国民からの増税(非常特別税など)だけでまかなえたのは、戦費全体のわずか1割程度にすぎませんでした。残りの大部分、実に8割以上を占めたのが、国内外で発行された公債や借入金でした。
国内での国債募集はもちろんですが、国内の資金力だけでは到底足りなかったため、日本銀行の副総裁であった高橋是清らが欧米に赴き、イギリスやアメリカの銀行家から外債(ポンド建てやドル建ての国債)を発行して資金を調達しました。海外の投資家からの協力がなければ、この戦争を戦い抜くことはできなかったと言われています。
利子返済が終了した時期
ロシアからの賠償金を得られないまま戦争が終わったため、日本はこの巨額の外債と国内債務の返済に長年苦しむことになりました。
大正時代から昭和にかけても借金の利払いに追われ、第二次世界大戦の混乱などを経て中断や一時停止を挟みながらも、日本政府は誠実にその返済を続けました。そして、日露戦争に端を発するこれらの外債や借金の返済が完全に終了した(完済された)のは、なんと1986年(昭和61年)のことでした。
戦争が終わってから実に80年近くもの長い年月をかけて、ようやく支払いが終わったのです。先人たちが築き上げた国の信用と、背負った重荷の大きさに改めて驚かされます。
最後に
今回は日露戦争の戦費と調達方法、そして返済の歴史についてご紹介しました。私たちが今何気なく学んでいる歴史の裏側には、こうした経済的なドラマや莫大な苦労があったことを知ることで、歴史を見る目が少し変わってくるのではないでしょうか。今回の内容が外国史や経済の学習に意欲がある方の参考になればと考えます。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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