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『スーパーガール』映画感想文

善人でありなさい。その力で、弱き人々を守れ


監督・主演・製作それぞれのキャラクターが出た作品ながら、上辺をすくうようなチグハグさ・作中の要素がつながらないバランスの悪さが、本作を楽しむノイズになった


ジェームズ・ガン製作×クレイグ・ギレスピー監督=『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』みたいな世界観に、『マッドマックス怒りのデス・ロード』みたいな花嫁軍団奪還!!
ロックな選曲で作品を盛り上げる音楽職人な2人の個性・特徴が合わさった、けどチグハグといまひとつ爆発しきらないヒーロー誕生。『スーパーマン』が地球を舞台に青空の下、清廉潔白な希望を高らかに謳い上げたのに対して、本作はもっと普段のジェームズ・ガンらしかったし、要素的にはクレイグ・ギレスピーが『アイ、トーニャ』や『クルエラ』で描いてきたようなガールズパワーもあったけど、本作は2人のベストな作品ではない。
ロックガール然としたスーパーガール像にあつらえられたスーツのようにピッタリとフィットしたミリー・オールコック!故郷が滅びる前に地球に送られたカル・エルは無垢な存在であり、対するカーラは希望を失って自暴自棄に飲んだくれる傷を負った(心が壊れた)存在として描かれる。そんな彼女が、敵にやたらと口上を言いたがる年下のルーシーに復讐の不毛さや残酷さを説くことで、自身もまた心の故郷を見つける旅であり、喪失からの再生。心の檻から出ること。
「ただのイケてないスーツ」と形容していたスーパーガールのスーツを着ること、それはつまり「善人である証」を自ら(守る対象の弱き人々にも、倒すべき敵にも)世界に発信すること。あなたは優しくなくても親切、正しくなくてもいい人。

作品全体的にぎこちなさがつきまとって、最後の最後まできもちよくつながる感じが希薄だった。例えば、パンキッシュに女性(アンチ)ヒーローを描かせたら右に出る者のいないクレイグ・ギレスピーは本作の物語を語るうえで最適な人選だと期待していたけど、蓋を開けてみたら「拉致された花嫁軍団」といった女性解放への設定も上辺だけで、作中掘り下げられることもなく浅かった。
マティアス・スーナールツがクレム役を頑張って演じているのは伝わるけど、ヴィラン(敵キャラ)として地味!小悪党感がスゴい。原作コミック未読だから、もしかすると原作ではもっとインパクトのあるキャラクターという可能性もあるけどスーパーガール1作目だし、ジェームズ・ガンによるDCも始まってまだ間もないので、恐らく本当に最強のスーパーヴィランはまだ出さないだろう。
あと、期待していた我らが(アクアマンに続いて!!)ジェイソン・モモア演じるロボが、これからの活躍に向けての紹介くらいで、うまく作品と絡んでいる気がしなかった。モモアの個性の強さだから、そりゃそうだ?モモアを2番手、3番手で飼い慣らせるわけがないのだ!ロボのキャラクター的にも納得だが。
最後に、「復讐」の落とし前のつけ方にもいささか苦言を呈したい。(厳密には少し違うかもしれないけど)自分は復讐するのかい、と。ただ、MCUで言えば例えばパニッシャーなど、ほかの「弱き人々」の怒りや悲しみの媒介となるような存在として、他者のために暴力を行使する立場とでも言うか。

で、ラストシーンは思ったよりサラッ(ヌルッ?)と終わった感じもしたけど、それは彼女が紆余曲折を経てようやく故郷(ホーム)にたどり着いたことを映像的にもよく表していたので、(そこにカタルシスはあまり感じられないかもしれないけど)納得感があった。やっと(お酒の力を借りなくても?)一息つけると。
MCUのせいで(?)ヒーロー映画に半ば義務付けられたような、きっと誰もが期待するミッドクレジット&ポストクレジットシーン(次回作以降の布石となるオマケ映像)が無いのも潔い。彼女がホームを見つけ、そこにたどり着いたところで、本作の物語はきれいに終わっているから、これ以上語るべきことはないのだと。

Just be good.

P.S. ギレスピー×ガンと来たら期待せずにいられないサントラも、スレイ・ベルズ、ウェット・レッグ、ライロ・カイリーなど、カッコいい女性ボーカルバンドの楽曲が作品を彩る。
公開前の予告も1弾はCall Meからの、公開前ファイナル予告What Becomes of the Brokenheartedで、外側から内側(核心)のテーマへと納得した。命名しました、テンションとエモーションの法則。

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