「ちょっとそこの芋を食っている子」
と、呼び止められます。
または、やや違ったバージョンで、
「そこの芋のへたをかじっている童」
と、声をかけられたりもします。
大概は何か企んでいる”ねずみ男”にです。
みんなご存じねずみ男です。

このねずみ男は、なかなかの”性格俳優”で、易者や医者、賢者になったりもするのですが、本領を発揮するのは、ワルですね。
彼にはやっぱり小ずるい香具師風情が一番似合います。
冷酷非道なワルではなくて、どこか間抜けでユーモラス、あの仙人になりきれなかった「久米の仙人」みたいな”なりきれない存在感”が、ぼくたちの身近に感じます。
その身なりは、今でいえば頭巾付きのパーカとパラシュートパンツ風のボトムスが一体になったオールインワンの”つなぎ”に身を包み、妙に尖った靴を履いています。
唐天竺様式みたいなスタイルは、「当時はエキセントリックだからあだ花的に流行ったものの、時代が経るに従って急速に廃れ、今となってはかえって奇異でダサく感じられるようになった」風のそれである。

=彼はたいてい神社に住んでいて、そーいや、ちいさな純朴そうな子供たちをカモにしていたなぁ
そして、よくその「カモ」になるのが、どーいうわけか、芋をかじっている村童だったりするのです。

カモられます。
おそらく白砂糖を使った甘いお菓子などはまだ「ぜいたく品」で、ふかし芋などをかじってるのが普通の農村の景色だったんでしょう。
それが昭和の中頃までの日本の「平均」だったのかもしれません。
水木さんの漫画はいつもそうした貧しいものの目線で描かれているのですが、そこにはプロレタリアート的な思想色はなく、代わりにいつもペーソスが漂っていました。
では、その少年たちは、ねずみ男にとっての何の「カモ」だったのか?
それは、幸福が簡単に捕まえられるよ、その方法を教えるよ、といった詐欺の「カモ」だったんです。(昔も今も変わりませんね😮💨)
今にして思えば、水木さんのテーマはズバリ「幸福」だったように思います。
様々な漫画をお描きになったとはいえ、共通するテーマはそれに尽きます。
ご自身が、「貸本漫画」時代の労多くして甲斐がない赤貧時代を経験し、しかもようやく名前が売れるようになってからは、今度は寝ずに作画に取り組まなくてはならないようなご経験をされていたことも、「幸福っていったい何だ?」という永遠のテーマに取り組む原動力にもなっていたのかもしれませんね。
私は常々思うのですが、結局人生、何を以てその人の真骨頂とみるのかは、単純に「幸福か否か」に尽きる気がします。
いかがでしょうか?
ある人にとって、仮に「アタマがいい、悪い」がその最大の尺度であったとすれば、
「俺はこんなにアタマがいいのに、何でこんなに不幸なの?」とか、
逆に「アイツ、アタマは決していい方じゃなかったのにあんなに成功して、幸せそうじゃないか、いったいどういった塩梅だ」
などというよくある(勝手に描いた)「世の中の矛盾」にぶち当たったりしがちです。
しかも、そこではじめて彼の人生の狙いは「成功不成功」「金持ち貧乏」といったところにあったことが露呈するわけです。
つまり、「アタマがいい悪い」は、単にそのための前提になるものだろうと踏んでいた条件に過ぎなかったわけですから。
では、いわゆるアタマの良しあしが幸福に直結する条件ではなかった、もしくは、アタマの良しあしだけでは幸福たりえない、ということはここに判明したわけです。
で、よく挙げられる条件に、
「金持ちか否か」
があるんですが、金持ちで幸福な人というものは、どーやら相当に「徳」があって、人として”できた”資質があるものに限られそうです。
それに該当するような者は、在家にして菩薩の境涯に至った豪商・維摩詰(維摩居士)くらいのものでしょう。
昔何かの本で読んだところでは、世界的な大富豪、あのロックフェラー(2世だったか)にして、「自分が自由になるカネはなく、ランチですらままならない」と語っていたそうです。
ほかにも「名声」や「地位」などがイコール幸福と直結していると考える人も多いと思いますが、これがまたなかなかなんですね。
私自身はそうしたものとは無縁でしたが、どーしたわけか若いころからそうした功成り名を遂げたような人士と接する機会を多くいただき、時には親しくお付き合いさせていただいたこともあるものです。ただ、私から見れば当然ながらどなたもあるいは会社に、あるいはご家庭に問題の一つや二つ抱えており、なかには気の休まる間もないような方もおられました。
ちょっと考えれば、あの有名芸能人はどーなのか? もっとわかりやすく言えばジョン・レノンやキング・オブ・ポップ、マイケルはどーか?
言うまでもなく、いずれも巨万の富と名声を我がものとした方・・。
意地悪な質問かもしれませんが、あなたは彼らとまったく同じ人生を歩めるとしたらそーするでしょうか?
最終的には、小心翼々に「健康で長生きできればそれだけでいい」とおっしゃる方も大勢おられますが、実はその方々はまだ「健康で長生き」していないだけのことである場合が多いのです。
どー言うことなのか?
昨今では100歳のご長寿を達成されたなどと言う方も珍しくなくなってきましたが、その分ご当人は「多くの知己の最期を見送らなければならないのだ」という覚悟が出来ておられる方は少ないに違いないからです。
幸不幸は、当事者でなければわかりません。
ただ、一つだけはっきりと言えることがあります。
それは、他人と比べるという時点で、すでに幸福とは反対側を向いている、という事です。

まえがきのあとがき
思うこと
この「猫又」なる短編集は、主として『ガロ』に書いたものだ。
もっとも「テレビくん」というのは初めて『少年マガジン』に書いたもので────、これが漫画賞をもらって水木しげる”開運”(そこまでは幸運にみはなされていた)の記念すべき作品になった。だから、その前後のようすはよく憶えている。
────6月末の暑いさかりに、だるそうに歩く編集者がやってきた(我が家ではこの人を開運のカミ”神”とあがめている)。その男は突然「自由に三十二ページやって下さい・・・」とものうげに語った。そして”加賀まりこはどうですか!”とか、美人観について長い話をして帰っていった。
それから、どういう風の吹き回しか”幸運?”がおとずれてきたのである。
編集者は幸運をもたらすものなのだが、あまり幸運の度が強すぎて仕事を強要されるとこれまた地獄になる。さすがのぼんやりした家内も「貧乏な昔の方ががよかった」という今日この頃である。 1966年11月
私の中でのやはり”お宝本”の一冊である水木しげる漫画集『猫又』(朝日ソノラマ)の「まえがき」である。
おそらくは、この辺りから、水木さんは仕事の上で本格的な上昇機運に入ったのだと思われます。
週刊『少年マガジン』は当時小学生の私も愛読しており、その中で突如『墓場の鬼太郎』(”ゲゲゲ”の前ですよ)の作品が登場すると、あきらかにそこだけ空気が変わっていたのを記憶しています。点描画のようなタッチで、精緻で手間のかかる画風は独特で、魅入られるようにのめり込んだものです。
本文中でも触れたように、仕事がない状態、仕事に忙殺されている状態、どちらが幸せなのやら。
それにしても、上の水木さんの回想中、(おそらくは講談社の『少年マガジン』の)編集者が訪れて、ひとしきり加賀まりこやら当時の芸能人(美女?)談義をして帰って行ったあたり、彼はいかにも「福の神」くさい。思わず笑ってしまいました。
余韻があって、好きなエピソードです。
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東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。