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青い炎と草原を駆ける馬。陣痛の夜に見ていた景色

夜通し、草原を馬に乗って駆け抜ける男の子の映像をまぶたの裏で見ていた。

出産が始まる合図となる、破水をしたのが23時頃のまさに就寝しようとしていた時刻。

里帰り先の両親と一緒に病院に駆けつけて、離れた場所にいた夫に電話して、けれど2023年夏の出産はコロナ禍の名残で立ち会い出産の付き添いがまだ「1人だけ」だった。

夫が着くまで、たとえば母が一度でも付き添い部屋に入室したら、夫は翌日以降の面会開始までひとめも会えない。

夫の立ち会いを希望するなら、夜中じゅう続くであろう人生初めての陣痛を基本的には1人で耐えねばならない。初産ゆえ、出産はお昼以降になるのではないか、と入院時に伝えられた。

今だって、痛みの波がきたらうずくまって泣きじゃくって、世界中に慰められて然るべき、と思うくらい。なのに、ここから少なくとも12時間以上。もっと強い痛みと未知数の出産への道の始まりにやっと立ったくらいで。

途方もない、夜のはじまり。

月のめぐりなのか産気づいた妊婦が連なり、助産師さんもたまにしか病室を訪れず、ナースコールが床に落ちても拾いに行ける痛みでも体勢でもなく。

ただ、さっき背中とお尻をさすってくれた助産師さんが、「遠くのろうそくの炎を消すように息をゆっくり細く吐いて、できるだけ細く長く——」といった言葉の余韻が脳裏に残る。

細く長く、遠くの炎を。

青い炎、そこからずっとまぶたの裏に現れるようになった。定期的に訪れる気を失いそうなお腹の痛み。やがてお尻に移っていって、お産がこんなお尻と関係あるなんて初めて知ってちょっと面白い気持ちにすらなる。

痛みに顔を歪め、ライン通話の向こう側にいる始発でやってくることを決めた夫に向かって「こんな痛みの時に1人にしたこと一生恨むと思う」と私は言った、らしい。記憶にはない。

本当にそう思うほど痛くて孤独で、世界でこれと戦って出口を見つけられるのはただ私だけ、ひとりだと強く実感した記憶だけなら今も鮮明に。

その病室に、ずっとお腹の中の息子の心拍の音が響き続ける。

トクッ トクッ トクッ トクッ トクッ トクッ

等間隔に、力強く、乱れることなく、大きな音で。

BGMも、人の声も、夜中ゆえ街の音も、防音なのか隣の部屋の声や様子すら聞こえない。

ただ、青い炎と、部屋中に充満する祝詞みたいな小さな3,000グラムほどの命の心臓の音。

いつしかその音が、強くなり続け、10分間隔まで短くなった陣痛の痛みの中、草原を駆け抜ける、馬に乗った男の子の映像として私に帰結する。

広い、草原。遠く、遠くに山が見える。濃い茶色の毛並みの若い馬、紺色の袴のようなものを着た幼少期の男の子。いくつくらいだろう、何歳から馬ってこんなに乗りこなせるの。

青い炎と、後ろ姿の馬と男の子。こちらを振り返ることはなく。ただ前を見て長い道のりを駆けてゆく——。

目をふと開けたら、朝が来ていた。何時なのか、いま陣痛はどこまで進んだのか、痛みは一体なんなのか、どうして私は1人なのか。全部朦朧とする中で。

5時間は経っていた。徹夜の出産、途中からもう眠さも相まって、陣痛に30秒〜2分程度耐えながら、次の陣痛が来るまでの4〜5分を眠る、みたいなことを繰り返していた。

子宮口は5〜6センチで止まっている。全開は10センチだから、今は半分ちょっと。8〜9センチになったら出産準備のための分娩台に上れると言われている。

つまりまだ私はリングにすら上がっていない。なのになんなの、この痛みは。

具体的にもし描写するとするならば、天遠くから雷が真っ直ぐ私の腹まで落ちてきて、その衝撃を受け止める否や、マリカーの上から下に真っ直ぐ落ちるドッスンが私の尻目掛けて大重量で落ちてくるような。

そんな痛みが5分ごとにやってくるような。

やっぱり涙が出てくる。いつ終わるの。子どもは元気?

そう尋ねたくなるけれど、元気なことだけはずっと耳に届いている。駆ける、馬。

***

初産にしては本当に早い、と言われるらしい、9時間半のお産の、朝9時過ぎに第一子の息子は生まれた。

夜通し徹夜で車で新潟県に向かうことはやめよう、と話し合いで決めたゆえ、始発に乗った夫が病院近くに到着するのを待っていたかのように、ギリギリで子宮口は10センチの全開に。無事に夫立ち合いのもと、髪がふさふさの男の子がこの世界にやってきた。

炎と馬の映像は、分娩台に上がる準備をする頃、私以外の人物、助産師さんや夫が増えるにつれ、いなくなっていったような気がしているが、その境目は未だ定かに思い出せない。

「子どもを産むのはこの子で最後だ」と思いながら第一子の妊娠と陣痛、出産を経験した。つわりも陣痛も出産も、人生で痛くてつらかったランキングを上位3つきれいにかっさらって、塗り替えて私の人生に鎮座した。

なのに。産まれた翌日、私の手元にやってきた息子を見た瞬間から。

「もう1人、子どもが産みたい」と私は強く、強く思っている。

あまりに美しく可愛く、ほかに代え難い存在で、これまで生きてきたことも、これから生きてゆくことも、失敗も成功も全部。肯定したくなるような。

あなたに会えて嬉しい、と心の底から思わせる。会えるまでの道のりを歩いてきた私でよかった、とまるっと過去も肯定したい。

そんな存在が、刻一刻と成長して、いつか私の手元からいなくなってしまうであろう未来が、第一子の誕生の翌日からもう切ない事実として私の中に息づいている。

産後ハイなのかとしばらく思う。けれど、新生児期も、生後2ヶ月も、生後半年も一歳になっても2歳になっても。ずっと同じ想いが胸に息づく。

そして私は、いまも第二子の妊娠の夢に向かって生きている。


あの日母になった私へ。幻覚かと思うほどの夢とうつつの間をさまよう痛みの中。それでも会いたかったあなたの息子は2歳3ヶ月になり、滑り台の棒にぶら下がって全力で笑ってる。

好きな色は青色だよ。あの夜ずっと見ていたあの。

猫も犬も牛もゴリラもキリンも、生きとし生けるものすべてを愛す。

でも、まだ一緒に馬に乗ってはいないんだ。もう少し大きくなったら、あの夜見ていた映像みたいな草原広がる、モンゴルへ一緒に行って、彼に身軽な青い袴みたいな洋服着てもらってさ。馬に乗ろうよ。

夢、広がる。大丈夫、「私がやりたいこと全部済ませてからじゃないと、怖くて子どもなんて産めない」と思って37歳の初産になったけど。

子どもがいたら、日々はもっと楽しくなる。制限も限界も考えることも疲弊する日もたくさんあるけど。全部ぜんぶ、信じられないくらいの幸せがあなたのベースになって。そしてやっぱり、もう1人子どもが欲しいと心底願うほど、子育てはちゃんと光り輝く、楽しいことだよ。

お疲れ様。子どもの誕生日は、毎年あの日の私のことも、心の中でひっそり労ってるからね。


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伊佐知美|Tomomi Isa いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。