妊娠9ヶ月、切迫早産、入院が始まった
廊下の向こうから、産まれたての新生児たちの声が聞こえる。目の前は「分娩室」。
1ヶ月半後に来るはずだった、産科の病室。個室ではなく4人部屋の窓際のベッドが、昨夜遅くからの私のしばらくの住まいとなった。
2本目の点滴がぽたり、ぽたりと1時間15mlの速さで落ちる。針が刺さった腕が少し痛んで、けれど異常はないそうなので薄いアイスノンを左手に乗せながらこれを打つ。
「切迫早産」。正直、そこまでリアルな言葉として私の毎日にいなかった。
妊娠9ヶ月、2歳の息子との日々、身体に鞭打つような仕事の仕方、うまく眠れない妊娠後期の寝不足、むくみや息切れ、こむら返りが日常化するようなマイナートラブルと呼ばれるものたちとの共存。
そんな中で、終日の立ち仕事を終えた日に、これがトドメとばかりに3-15分間隔の規則的な陣痛のような痛みがきてしまった(不規則であれば、陣痛の練習「前駆陣痛」で片付けられるが、規則的だと本陣痛が疑われる)。
それが昨夜20時頃のこと。
本当に珍しく、その日は私が朝から仕事で外出なこともあって、夫が都内の義実家に息子を連れて一泊してくる予定の夜だった。
ひとり。「陣痛きたかも」という、お腹の張りや痛みを計測して、産院に電話連絡を入れるかどうかの判断基準にするアプリを第一子の破水ぶりに開いた頃には、「あぁこれは自宅で1人耐えてはいけないかもしれない」と夜間救急に助けを求める覚悟を決め始め、猫たちに「いってくるね、すぐ帰ってくるから」と言って、タクシーを呼んだ。
持ち物は最低限、スマホと母子手帳、財布。コンタクトは外して、眼鏡。一度エレベーターに乗ったけれど、嫌な予感がして「念のため」とスマホの充電器も手に取った。
帰ってくる、と言ったのに、深夜2時頃そのまま入院が決まった。さすがに、入院は「ないやろうけど」くらいに思ってしまっていて、看護師さんからその可能性を示唆された時、2秒くらい理解するのに時間がかかった。「え、帰れないってことですか?」と「陣痛室」と書かれたすこし広い処置室で、小さな声で私は聞いた。
里帰りの予定日が3日後に迫っていた。
「(里帰りは)難しいかな」と医師は言った。
明日はイベントを主催する日だった。息子の転園先の名ばかりの慣らし保育は2日後の予定だった。金曜日には転院先の産科の予約が入っていて、その翌週からは里帰り先での息子の保育園の預かり慣らしが始まる、とGoogleカレンダーは通知する。
すべて白紙。なるほど、と私は深夜、歯磨きもメイク落としもできずに横たわる。先日転院のために卒業したはずの都内の総合病院の病室で理解しようと努めていた。
自業自得。妊娠9ヶ月とわかっていて、夫にも友だちにもやんわりと「もう動くのやめな」と言い続けられて、日々限界を更新しながら暮らしてしまったツケがこれだ、と思った。
でも、ツケが回るのは今回私ではないことを痛感して目の前がすこし暗くなる。このまま無理を重ねたら、早産となり、今後の人生を左右する出来事を起こされるのは、私ではなく腹の子だった。
ごめんね、苦しいね、とお腹を撫でて謝る。
張り止めの点滴が、不幸中の幸いで最小の量でてきめんに効き始めていた。3-5分間隔で痛みを伴いながら張り続けたお腹が、気づけばゆるゆると柔らかく、だるんと重力に従う時間が増えていった。
「よかったです、もし点滴量を増やすとなったら、減らす時も段階を踏むことになるので、退院が長引きます」
「里帰り、ほぼ難しいと思いますが、可能性はゼロではないので、経過を見ながら相談しましょう」とひとりの医師は言ってくれた。
もうひとりの別の医師は、「だとしても帰るのは難しいと思います。移動中にお腹が痛くなったらどうしようもないので。誰も責任を負えないので」と言った。
正論だった。今も考えている。どの選択肢が私の未来に。
でも今は選べる立場じゃない。安静に。
予定日は7/14。後ちょうど1ヶ月半もある事実に、くらくらする。
もう明日から6月といえども、カレンダーはまだ5月。まだもう少し先の未来の話であるべきだった、出産は。この子は、まだ肺をはじめ身体の機能が完成していない。今産まれたらNICU行きは確定だ。
張り止めの点滴が効いてホッとしていた私に、医師は伝える。
張り止めの点滴を取って、一晩と翌日いっぱい張りなしで過ごせたら、退院と里帰りの許可の可能性が見えてくる。
でも、張り止めの点滴を外すと、大小あれ「張り返し」がくる。なかったり、弱いままで自然と消えてくれたら良いが、もし張り返しが強い場合、勢いづいてそのまま陣痛になり出産に至るひとも少なくない。パン!と破水したりも。
そうなると早産なので(私はまだ33週、早産でなくなるのは37週からであと1ヶ月ほどある)、NICUや小児科との連携が必須。点滴を外すタイミングは、経過とあとはNICUの空きの問い合わせも必要になる。
または、再び張りが続いたら点滴に戻り、出産まで入院のパターンもある。
……などを教えてくれた。
張り止めの点滴に、そんな影響があるなんて、知らなかった(あとそもそも、副作用が強くて、手の震えと動悸が24時間セットで続く)。切迫早産とは、入院して大人しくしているか、自宅で大人しくしているか、なのだと勝手に想像していた。
しかし、切迫早産で処置をしてもらうことになってしまったら。そのまま即早産につながる道がある。当たり前だけれど、知らないことがまだまだ妊娠出産には山ほどあった。
「妊娠出産は、何が起こるかわからない。だから32週には里帰りして」とあらかじめ伝えてくれていた、いまの総合病院の医師は正しかった。聞かずに東京で切迫早産で入院している間抜けは私。
(転院先はちなみに34週の終わりまでに移動して、という指示だったのだ…)
夕刻、第一子の息子が、面会に来てくれた。面会中は気丈に遊んでくれたけど、帰りにエレベーターに一緒に乗ってくれない私を見て、「ママは!?」と泣いて、何度も何度も閉まりそうなエレベーターを突破して私の手を引っ張った。
「いっしょにかえろう!しゅわしゅわ(ハマっているお風呂のバスボールのおもちゃ)しようよ」と涙でぐちゃぐちゃになった顔で私を見上げる。
うん、一緒に帰りたいよ。ごめん、ママのせいで君もお腹の子も苦しいね。ごめん。大好きだよ、と伝えても。今じゃないし知ってることだし、なんで、だよね……。説明はしたけど、気持ちは別だ。
「退院できたとしても、もう買い物も家事もぜんぶなしだ」と夫は言った。それは叶えられるとしても、でもじゃあ自宅保育が主な息子は、ここからどうするか、は未定で白紙だ。
早く退院できるといい。自宅で絶対安静だとしても。でもお腹の子のことを考えたら、1日でも長く入院していた方が現実いいだろうなという気持ちもある。
切迫早産。この先に続く道が、ひだまりのものでありますように。まだお願い、お腹にいて。早産だけは。早産だけは、避けられるのであれば、避けてあげたい。
後悔先に立たず。とにかくいまは、横になって、これ以上お産を進めさせない手立てを。舐めてしまった、妊娠後期。
妊娠後期の人がいたら、私に言われたくはないだろうが、本当にぜひ、休んでほしい。法定の産休は34週から始まる。遅すぎないか。私、33週だよ。
入院初日の夜が、更けてゆく。自宅で息子が、どうか健やかに眠ってくれますように。そして私も、腹の子も。それ以外のことは、頭にあるけど、まずやるべきことは。祈り。
廊下からやっぱり泣く赤子の声が聞こえる。あなたの声は、夏に聞きたい。
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