いたってことが大事なんだよ
甲本ヒロトさんがとあるインタビューで、
こんなことを語っていた。
「ずーっと僕はね、僕に先輩なんかおるもんか!っていう態度であったし、 心持ちもそんな感じで生意気にやってきたけど、『あ、先輩おったわ!鮎川さんとか、その大きな一人だわ』って。『一生かかっても恩返しできたらするわ』って言ったんですよ」
するとインタビュアーが「そんな鮎川さんもいなくなってしまったんですけど」と言った。
シーナ&ロケッツ、伝説のギタリスト、鮎川誠さんは2023年に亡くなった。そして、甲本さんはこう言った。
「そうだね、いや、あの〜、いなくなったことはどうでもいい。そんな大したことじゃない。いたってことがすごいんだよ。いたってことに比べたら、いなくなったことは大したことないよ」
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先日、子どものお宮詣りとお食い初めを都内の神社で行った。
妻のご両親も東北から来てくれて、僕の父もまた大分から来てくれた。父にとっては、孫が産まれて初めての対面だった。写真は共有していたけど、やはり、直に会えるのは格別に嬉しかったみたいだ。
赤ちゃんを抱っこするのもかなり久々だろうから、なかなか慣れずに戸惑っていた。「俺が抱っこすると泣くんじゃがの〜」と笑いながら、すぐに妻のお父さんにバトンタッチしていた。そんな姿を見るのが初々しかった。
僕は、自分が赤ん坊だった頃「おじいちゃんが、よく、あんたを抱っこして、いろんな人に見せて回っていたんだよ」と親から聞かされていた。
もう幼い頃にじいちゃんは亡くなったので、僕にはまったくその記憶がない。
親父が我が子を抱っこする姿を見て、ふと、甲本ヒロトさんの話がリンクした。
「おじいちゃんが抱っこして、みんなに見せて回っていた」という事実がすごく嬉しいことであって、その記憶がないことは別に大したことじゃないんじゃないかと。
もっというと、おじいちゃんに愛されていたという事実がすごいんであって、その人がもうこの世を去ったとして、愛されていた事実は変わらないわけで。そのこと自体がすごいことなんだと思うと、改めて、心の中でその人の存在の重みが増すような実感があった。
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これは何も亡くなった人への想いだけではない。
夜、夢を見る時、その中には慣れ親しんだ人が前触れもなく訪れる。
小学生時代の友だちも、かつて一緒に働いていた同僚たちも、ふと夢の中に出てくると、朝起きて懐かしく思うことがある。
今はもう離れ離れになったとして、もう会うこともないかもしれないけど「かつて共に濃い時間を過ごした」ことがすごいことであって、それに比べたら、もう会えないことは大したことないなと思った。
この、甲本ヒロト構文、いいね。
いろんなことに応用できそうだ。
そういえば、しばらくnoteを書いてなかったが「noteをしばらく書いてなかったことは大したことなくて、noteをまた書いたってことがすごいんだよ」と自分に言い聞かせてみる。
いや、別にすごくはないか。応用の仕方を間違えたようだ
でも、皆さんなら、この甲本ヒロト構文を使って、どんな思いを巡らせるだろう。
「テストはあまりできなかったけど、勉強したってことがすごいんであって、それに比べればテストの点数が低いことは大したことない」
「貯金は全然ないけど、お金を貯めようとしたってことがすごいんであって、それに比べれば貯金がないことは大したことない」
うん、なんだろう。なんか、よくわからないけど、このままいくと「究極のニートメンタル」が完成しそうな気がする。根拠なき自己肯定感が異様に高まる。
話がだいぶそれてしまったが、親父さんが子供を抱っこする姿を見たとき、親父さんが抱っこが上手いかどうかは全然たいしたことなくて、わざわざ東京に来てくれて、抱っこしてくれたってことがすごいことなんだよなって思ったんだ。本当に。ありがとう。

